2018年6月16日土曜日

前畑洋平(産業遺産コーディネーター )   ・“廃墟”から“遺産”へ

前畑洋平(産業遺産コーディネーター NPO法人J-heritage代表 )・“廃墟”から“遺産”へ
39歳、群馬県の富岡製糸場や長崎県の端島、通称軍艦島がユネスコの世界遺産に登録されるなど産業遺産への関心が高まっています。
しかし保存整備が行われている産業遺産はごく一部で廃墟と化した場所も少なくないのが現状です。
前畑さんは人知れず解体されてゆく産業遺産を見学記録することを目的に、9年前30歳の時にNPO法人を立ち上げ、神戸を拠点に全国でツアー見学会や保存活用に関する企画運営を行っています。
又或る廃墟を残そうとインターネット上で寄付を募るクラウドファンディングを行い、国の登録有形文化財の指定を目指して活動をしています。
産業遺産の価値と魅力は何なのか、伺いました。

産業遺産というと広くなってしまいますが、人間が生きていくうえで必要な生産活動を全て産業と言いますが、特に後世に残す価値や意味がある遺構を産業遺産と言います。
国内だと軍艦島、富岡製糸場などが有ります。
文化庁が文化財として認められている、幕末から戦前戦時中の時間軸になるものもあります。
軍艦島は江戸時代には炭鉱として発見されていました。
明治の産業革命で島津家が操業していた集成館工場群であったりとかも江戸時代から開発が進められていた。
石見銀山も有ります。

軍艦島は最盛期には5000人が住んでいて、当時世界一の人口密度を誇っていて人口密度は東京の9倍と言われていました。
明治時代に鉄が必要で八幡製鉄所に石炭を供給すると言うことで、明治の近代化に大きく貢献したという意味で価値が注目されています。
炭鉱住宅は日本の試験的な高層住宅ですが、文化財的な価値は評価されていない。
古くは大正一桁の時代の高層住宅の建物が残っています。(最高で9階建て)
海底水道、海底ケーブルで電気を送っていました。(日本初)
昭和49年に閉山、無人になる。
世界遺産に登録されたのは明治時代のものに限られていて大正、昭和の物は対象になっていない。
建物は廃墟の状態、30号棟(1916年(大正5年)に建設された日本初の鉄筋コンクリート造アパート)は倒壊してもおかしくないような状態だが保存の対象にはなっていない。
知られていない産業遺産はあるが、人知れず崩落する場所もある。
地域の人は負の遺産として考えてしまう。

私は昔廃墟に興味を持っていたが、壊されるものがいろ色々なあってそのうちこのままではいけないと思い、NPO法人J-heritageを立ち上げて神戸を拠点にしています。
全国を回っています。
小学校のころに映画を見て廃墟に関して興味を持つようになりました。
通っていた小学校の前に廃工場があり、そこに遊びに行って秘密基地を作ったりしてそれがきっかけになりました。
会社に入って車に乗るようになり全国を回るようになりました。
兵庫県の神子畑選鉱所(みこばたせんこうしょ)があり、見学に行ったら、建物は壊されていてコンクリートの遺構だけになっていた。
人が勝手に入って事故があったりしてはいけないということで、壊してしまう場所があると言うことで、許可をもらって遺産としての価値が有るのならば、そういったアプローチをしていった方がいいと思いましてNPOを立ち上げました。
僕たちはコーディネートをする立場で、多くの人に情報を発信してそこに連れてゆく役割です。
遺産として残していこうと思った時には地域の人がやはり主役です。

愛媛県の今治市にある四阪製錬所、上陸できないので船でしか見られないが、吃驚するほど貴重な建物工場群が残っていました。
病院、学校、住友家の別邸、明治期から使われている工場群が有りました。
公害克服の為に島に移して、象徴の煙突があります。
長崎県の諫早市の旧長崎刑務所が印象に残っています。
明治の5大監獄の一つで、明治時代から使われていたもので壊されることになっていて、レンガ作りの立派な建物で感動したが、壊されてしまいました。
奈良少年刑務所はほぼ当時のままの状態で残っています。
窓の上はアーチになっておりおシャレな刑務所になっている。
五翼放射状舎房と呼ばれていて、中央に立つとすべての舎房が一元監視できる。
前身は奈良監獄で、当時明治41年(1908年)に竣工した山下啓次郎設計による「明治の五大監獄」の一つ。
寮美千子さんが受刑者に対して詩の先生をしていたが、協力をしていただいて見学をさせてもらい、その保存にかかわりました。
(参照:「寮 美千子(作家・詩人)・心をほぐす詩の授業」
http://asuhenokotoba.blogspot.com/2017/01/blog-post_21.html
2017年に国の重要文化財に指定され、残ることが決まりました。
ホテルとして利用することが計画されています。

神戸の麻耶観光ホテル、廃墟になってしまった戦前のホテルがあるが、壊そうとしているところを何とか残せないかということをNPOでお手伝いをさせてもらっています。
20年以上廃墟になってる。(廃墟マニアの人気スポットになっている)
所有者と会う機会が有り、地元団体、NPOなどで残して活用していこうと検討しています。
インターネット上で寄付を募るクラウドファンディングを行い、720万円支援をいただいて、国の登録有形文化財の指定を目指して活動をしています。
昭和4年に建物が出来て、1990年代までは活用されたがその後廃墟になってしまいました。(その後復活の時期もあったが、又廃墟になる)
ケーブルカーでの足の利用だったが、太平洋戦争の影響がありレジャー目的の鉄道という事で不要不急の鉄道という事で鉄道を供出されてしまって、営業休止を余儀なくされてしまう。
戦後復活するが台風で損壊したりして、修復できず又廃墟になってしまったりした。
産業遺産にはそれぞれ物語が有り歴史が有ります。

姫路モノレール、戦後復興の象徴の一つですが、赤字で営業を終えてしまいました。
1966年に行われた姫路大博覧会(地方博覧会)の会場輸送の手段として作られたもの。
いろいろな問題が有り8年で営業を終えてしまった。
モノレールの橋脚が一部残っています、また去年まで中間駅の大将軍駅が残っていたが、残念ながら取り壊されてしまいました。
昭和30年代にはやった円形校舎、資材が少なくて済むが増築できなくて、その後生徒が少なくもなり壊されていってしまっているものが結構あります。
遺産を継承していく仲間を作っていけたらと思っています。