2018年6月3日日曜日

古川登志夫(声優)           ・【時代を創った声】

古川登志夫(声優)           ・【時代を創った声】
71歳。 『うる星やつら』(諸星あたる)『ドラゴンボールZ』(ピッコロ)『機動戦士ガンダム』の数々の役、『北斗の拳』などなど、沢山の作品に関わる。

『うる星やつら』は1982年の放送でした。
それまで担当したものは2枚目が多かったが、諸星あたるは3枚目で、声優としての守備範囲を広げてくれた代表作の一つのような感じです。
放送が始まって間もなく、声がキャラクターのイメージに合わないと投書があり、声を変えてみないかと言われました。(ショックでした、降板させられるのかと思った)
原作者の高橋留美子先生が、ある雑誌でインタビューをうけていてイメージ通りだと言うことで、そのまま続投させていただきました。
転換期の作品になりました。
一行の台詞の中で、前半は2枚目の感じで喋って後半はナンパな感じで喋ることがあり、不連続の連続、ということで褒めて頂いたことがあります。
富山敬さんの軽妙な役の時が参考になると思って聞いて勉強しました。
富山敬さんには憧れていました。

中学1年の時に児童劇団に入団。
兄から両親への手紙の中に児童劇団子役募集のパンフレットが同封されていて、それがきっかけになりました。
東京に出してくれと親に頼み込んだが最初大反対でしたが、なんとか説得し毎週休みに東京に通いました。
栃木県の訛りが直らなくて苦労しました。
子役としては鳴かず飛ばずでした。
稼げなくてアルバイトばっかりでした。
仕事は25歳ぐらいからやり出しましたが、本当に稼げるようになったのは30歳ぐらいからでした。(アニメで主役をやるようになった)
そのきっかけとなったのが、1976年からの放送の「マグネロボ ガ・キーン」という巨大ロボットアニメの主役でした。

それから自分でも吃驚するぐらい忙しくなりました。
最初の主役の収録の時には色々判らないこともあり苦労しました。
先輩から色々学びました。
周りより自分が下手でいつもプレッシャーを感じました。
1977年に古谷徹ら声優仲間とともにバンド「スラップスティック」を結成する。
コンサート出来る位曲が出来るようになり、コンサートを開いてライブも出しましょうと言うようにもなりました。
趣味で始めたのが忙しくなってきてしまいました。
有名な方々から作曲をしていただきまして、吃驚しました。
スキルアップの為にレッスンとか負担になってきました。
「チップス」海外ドラマ (カリフォルニア・ハイウェイパトロール (California Highway Patrol) ) の主役の話があり、6年半続きました。
その後海外ドラマも手掛けるようになりました。

格闘場面などではマイクロフォンからある一定の距離を保ちつつ、アクションも想定してやるのが大変だが、舞台でやってきたことが役に立ちました。
マイクロフォンの使い方は先輩の背中を見て、距離感、息使いなどを勉強しました。
若い声優の人達には、夢を描いてスタートしたときに、ふっと思いつきで辞めたというのではなくて、或る程度の結果が出るまでちょっと頑張ってくれればいいと思います。
プラスアルファの演技、自分独自なものを加味して行くと言うことを考えるようになっています。
個性が重んじられる時代かと思いますが、自分だったらどうなるのか、プラスアルファを考えてチャレンジしてもらえたらと思います。
ディレクターは自然に喋って欲しいというような事を言います。(自分にフィットした喋り方)
海外からオファーをいただくことがあって16回ほど行きましたが、、国境、言語や民族などを一足飛びに結びつけてしまう日本のポップカルチャという魅力的なツールだと思っていて、これを世界に喧伝するセクションが必要だと思っていて、そんな役割も担っていけたらと思っています。