新津春子(空港ビル清掃人) ・掃除はやさしさ
9月24日は清掃の日、24日から来月1日までの1週間は環境衛生週間です。
羽田空港は世界最大の航空業界格付け会社から、2013年、14年、16年、17年と4回も世界で最も清潔な空港に選ばれました。
その立役者が空港ビルを清掃する新津さん47歳です。
新津さんは中国残留孤児の二世でさまざまな苦労を乗り越えて、今や掃除のプロフェッショナルとして日々の清掃の仕事はもちろん、後進の指導、セミナーや講演の講師にと忙しい毎日を送っています。
清掃の極意とは何なのか伺いました。
一日約22万人が利用しています。
お客様最優先なので、それをみなさんそれぞれ工夫してやっています。
2013年、14年、16年、17年と4回も世界で最も清潔な空港に選ばれました。
みんなの力がないと難しいです。
清掃する人は在籍で700人です。
19社の責任者がいて、常に無線とか電話でやり取りしています。
おじいさんが軍人で中国で戦争していて、引き揚げたときに父が中国に残されて残留孤児になり、母は中国の人です。
中国 瀋陽で生まれまして、17年間そこで住みました。
日本人と判った時にはいじめられました。
今思えば耐えてきたことが今日あると思います。
17歳で日本に来ました、飛行機見るのも乗るのもはじめてでした。
見るもの聞くものすべてが新鮮で衝撃でした。
ホテル住まいで直ぐにお金が無くなり、一日三食パンの耳を食べたこともありました。
学校には1年後から行きましたが、言葉が通じないところと、クラスの人たちが輪を作っていて輪の中に入れなかった。
いない間に椅子に画鋲を置かれたときもありましたが、中国と一緒だと思いました。
解決できないことなので、しょうがないと思いました。
学校へ行く前、後、休みの日、夏休み、冬休み、365日毎日アルバイトをしていました。
トイレ、床掃除の仕事、ウエートレスの仕事でした。
社長が雇ってくれて感謝しました。
きつい、汚い、危険(3K)仕事といわれるが、そんなことを云っていられる場合では無かったです、生きてゆくのに必死でした。
この会社は23年目になります。
鈴木常務が亡くなって5年になります。
鈴木さんはアピールが下手、喋るのも苦手な人ですが、清掃の事になると口が止まらない人で、清掃の事をなんでもおしえてくれました。
聞くと色んな資料を一杯くれます。
手書きで、人の付き合いがとんでもないほど広い人で、清掃の神様と言われていました。
ビルクリーニング技能士の免許を持って5年の経験がある人のコンテストがあり、1人20平米でワックス塗りする作業で、予選大会では1位を狙っていましたが2位でした。
鈴木常務に問いかけたら、あなたには相手に対する優しさがないでしょうと言われて、そういうことは考えていませんでした。(技能には自信があった)
どう優しさを出すのか分からなかった。
机、椅子はだれが作ったのか、作った人間があなたの事を見たときにどうみているのかと言われて、物でもそこまで考えることが必要なんだと判りました。
(当時はなかなか考えられませんでした)
いまやっていることはすべて鈴木さんが言ったことを守っているだけです。
先々を考えること、皆が気付く前にやっていけばハッピーです。
自分も楽しくなります。
その後全国大会があり、そこでは1位に成りました。
常務がやっていたことを引き継いで、今は部長がやっています。
日本一のハウスクリーニング会社を作りたいです。
親会社の社長に話したら良い事じゃないですか、やってください、との一言でした。
今の私は必要とされていて、来たときとは違うんだと思いました。
メーカーさんが洗剤と清掃道具を毎年新しいものを出してきますので、いいか悪いかテストしないといけないので、その時代に合ったものを使わないとだめだと思います。
清掃道具は自分で作ってしまうものもあります。
皆が意見を出し合って作っています。
臭いは隅っこ、空気の流れにくいところなどから出て来ますので、健康には良くないので健康の為に清掃します。
家では主人がよくやってくれていて、洗濯も99%、食事も主人がやっています。
中国、台湾にも今年行って、講演をやったりしているので、主人がやる様に成ってくれました。
家庭などでは1時間ときめて掃除をする、一番汚れがひどいところだけを拭いて掃除をし、その時にそばにタオルがないとだめです。
平均でみて、汚れが一番ひどい所を掃除する。
若い人に教えるのに、教えることをマニュアル化しないのが大事で、その人が得意なところを先に教える、嫌いなものはなかなか覚えられないので。
自分が体験したこと、苦労したことを伝えたいと思っています、そうすれば越えて行くと思います。
プロは毎日の積み重ね、人との出会い、こつこつやり続けること、それが結果的にプロに繋がると思いますが、プロになったからと言ってずーっとプロではなくて、プロになった時がスタートだと思います。
空港が自分の我が家だと思っています、そうするとどこでも普通にできちゃいます。
やる仕事は尽きることはない、それは楽しいこと、やりがいのある仕事です。