2013年11月9日土曜日

わかぎゑふ(劇作家)       ・咲いていない桜が好き

わかぎゑふ(劇作家)     咲いていない桜が好き
27歳の時に作家中嶋らもさんのパートナーとして劇団を旗揚げしました
現在は座長として脚本、演出を担当し、大阪庶民の喜怒哀楽をテーマにした数多くの人情劇を世に送り出しています
NHK、ETVで放送中の英会話番組リトルチャロでは原作を手掛けています
迷子になったチャロという白い子犬が、飼い主を求めて懸命に生きる姿には、わかぎさん自身がこれまでの人生から得た教訓、そして、東日本大震災の被災地の皆さんへのメッセージが込められています
そのメッセージとは何なのでしょうか、わかぎさんの人生の歩みと共に伺います

先輩から付けてもらった 本名「ふきこ」のFを「ゑふ」と言う事になった
子供のころから日本に興味があったので、日本人らしい文字があってもいいと思って旧かなの「ゑふ」にした
大阪の人情 匙加減の中に全てがあって、駄目だよと言う前に、「其れはやめといたほうがいいんちゃうかなあ」という言葉が、何パターンも用意されていて、人に駄目と言う前に、段々段階を踏むような人を育てるのに寛容な場所だと思っている
あいまいさが人情 
2001年、大阪舞台芸術賞の奨励賞を頂く
「お祝い」というお芝居 お祝いから一番遠い人の話を書こうと思った
生理用品の開発をする男の人を書こうと思って作った
歳の離れた妹がいて、初潮を迎えて、回りからかわれて、交通事故に会って、亡くなる
生理用品の開発をする事を決心する
昭和初期なので、周りの人に聞けなくて、女郎屋に行って、聞いたりするが、親身になって答えてくれる女郎と結婚することになるが、その後、女郎と結婚したってことでその土地から追われたりする

リトルチャロ  チャロが懸命に生きる人情話  人間の男の子と思って書いている
どの犬にもモデルがいる  ドレットは原田芳雄をイメージして描いている
もともとは水泳選手を目指していた   オリンピックを目指していた 
昭和34年生まれで 東京オリンピックがあり、幼稚園で旗を振っていて、オリンピックの選手になりたいと思った
大学に行ったら周りが絵を描いたりする人たちで、体育系から文化系になってしまった
強化選手にはなったが、たいした選手ではなかった

漫画研究会を中学の時に作った 絵を描く様になって、父が絵が好きだった事もあり、父とよく話す様になり、最も親密になったころだった
グラフィックデザイナーに向かおうとするが、途轍もなく技術が無いことを思い知らされた
高校のころに誘われた先輩が、劇団を作られたのでそのまま手伝いに行っていた
芝居をやるイメージは全くなかった(主に劇のバックの絵を描いたりしていた)
面白くて、或るとき脚本を書かなければいけなくなって(25歳)、書いたが全然面白くは無かった
役者をやりだして、直ぐに無理だと思った  周りには才能がある人がいっぱいいたので
いろんな芝居の分野が出来るような人になりたいと思って、そうしたらいろんなところで役に立つかなあと思っていたら、いつの間にかl脚本家、演出家になって、なんでもやらなければならなくなった
それまで、挫折感の塊だった(特に役者の時)
父の影響が強かった 父が56歳の時に生れた(当時すでに孫がいた)
父は達観して娘を育てる様な感じだった 明らかに他のお父さんとは違っていた
死ぬ前の日に危篤になり、先生が覚悟してほしいと云われて、父は手を胸の上で組んで、カクッと亡くなって、眠るように死んだ
兄が「ちょっと待てよ まだやろう」 と言いだして 父が動かなくなった状態から 「ごめん ごめん」と云った  楽しかったよ と言うような死に方だった
なんでもやってみろ、なんでも食って見ろ、なんでも試してみろ 等人だった
好きなものだけがどうせ残る いろんなことをやってみろの中から演劇が残ったと思う

種と鉢を渡されて、花を咲かせることが小学校の時にあったが
菊の花の予想していたことと全然違った花だったが、人生も同じように、自分が一生懸命咲こうと思っているところに、うまく花がつくとは限らないと思うが、自分では考えもしなかった所に花が咲いていったりするものなので、どこが養分になって、どこが花になるのかは意外と判らないと云うのが私の率直な考え
どの人生もお楽しみ
人生の花 その人がこれだと、これが自分の落ちつきどころだと思う瞬間が花だと思います
誰かに依って安心感を得る時かもしれないし、仕事で成功した時かもしれないし、たった一瞬かもしれない 自分で満足したと思える瞬間

父は三味線を弾いていて近所に教えていて、私は子供のころ三味線、長唄の教えを受けていた
演劇で或るときに長唄を作ってほしいとの依頼があり、全然長唄はしらなかったが、請け負った
なにも見ずに歌詞を書いて、今藤美治郎さんが長唄にしてくださった
でき上った長唄を歌い始めたときにアッと思った 父のひざの上で小さな種が植わってたんだと
思った 凄く吃驚して、父親に見せたかったなあと思った 幸せな瞬間だった
リトルチャロの東北編の詩
「私は咲いていない時の桜は好き 人は咲いているときにしか桜を見ない 
しかし夏、秋、冬と太陽や風、雪に耐えている  春に綺麗な花を咲かせるために
ひと時の幸せの為に懸命に生きる そんな風に生きてきた

支援はお金だけではなくて、忘れない、まだ終わって無いといい続ける事が凄く大事だと思う
あらゆる意味で、気持ちでつながらないと、どうにもなっていかないので、手を離さないと云う気持ちはとても自分の中では強く持っていないといけないと思っていて、今度の震災については最後まで、手を離さないでおこうと思っている
栄養(お金とか物資ではなくて)をとり続けて努力していれば、どこかで花が開く
東北の人々との交流の中にちょっとずつ希望の種が植わっていけばいいなあと思う