岩佐 大輝(農業生産法人GRA) イチゴの街を取り戻せ
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県山元町のイチゴ栽培を復興しようとたちあがって農業生産法人GRAの代表岩佐さんの話です
岩佐さんは山元町出身の36歳、東京でITベンチャー企業を経営する青年実業家です
故郷山元町の復興にはイチゴ栽培を復興する事が、欠かせないと農業生産法人を立ち上げました
然し、今までやっていたイチゴ栽培では未来は無いと、コンピューター技術と農業を融合させた先端農業を導入し、震災の2年後には日本のどのイチゴよりも大きく甘く、香りのある、山元町ブランドのいちご、「ミガキイチゴ」を完成させました
岩佐さんは震災から2年半、東京と山元町を週に何度も行き来して、山元町の復興に全力で挑んできました
岩佐さんのベンチャー魂溢れる活動を語っていただきます
山元町はかなりの被害を受けてほぼ壊滅状態と言われたが、かなり復興が進んできた
内陸部はかなり元通りになってきている
沿岸部、いちご団地は今年の9月に全てのいちご農家が定植(イチゴの苗を植える)までこぎつけた
海岸線の町並みは消え去ったままになってしまっている状況は変わらない
130軒近くあったが、高齢のために止めた方が多い、50歳代は再起をかけようとしているが、高齢者はリタイアしてきている
8月の終わりは第一回目の定植が終わって、11月の初旬には初出荷できると思う
高校生まで山元町に暮らしていた
震災で線路まで流されて、今帰ると自分が過ごした街がそこにあるのかと思われるような感想を持つ
震災当日、東京にいて、山元町の様子はTVでは判らなかった
3日後に車で被災地に向かった
一言で云うと地獄絵図の様に思った 俄かには信じられなかった
イチゴ農業、イチゴ産業 山元町のイチゴ出荷は当時14億円 山元町の予算が40億円
其産業が一瞬で無くなってしまって、これは何とかしないと町としての機能が無くなってしまって、人が無くなって、文化が無くなって、と恐怖を感じた
最初はごみの処理とか手伝った
かろうじて残った農家が5軒程度あって、復興に意欲を燃やしていたが、一方で家を流され、畑をながされ、家族を亡くしたりした人たちが多くおり、もう一度立ち上がる気力が無くなったのがほとんどだと思った
何とか復興の旗印になるような成功事例を急いで作らないと、この街に目が行かなくなるのではないかと考えた
最初ボランティアを始めて、そのあと農家のマーケティングのコンサルティングのような事をして、自分たちでもハウスを作ってみようと云う事で震災の年の秋に、自分たちで井戸を掘って、ビニールハウスを作った
井戸水は全部塩水なので、育たないが、かなりの時間塩分を含んだ水でイチゴを育てた
奇跡的に育ってくれて、大収穫の春だった(2012年)
食べるものを作る難しさを味わい、食べたときの喜びに感動した
3人でスタート(腕のいい農家の友人、ボランティアの受け入れ担当の役所の友人)
65歳以上の高齢者がほとんどだったので、培ってきた技、ノウハウをなんとか受け継いでいかないといけないが、人間の手足だけでは限界があるので、コンピューターを使って彼らのやってきたことを再現する
一人の名人の技で大きな農場を経営できる 農業が産業化する 高付加価値の産業ができる
外の風向き、風の強さ、太陽の強さ、温度、湿度、二酸化炭素濃度といったデータをあらゆるセンサーを用いて、吸収する、其環境に応じて、窓を自動的にあけたり、二酸化炭素を注入したり、細かくコントロールすると、イチゴは最適な環境で成長する事が出来、品質が安定する
収穫量 10アール 3.5トンの収量 我々の技術を使うと7トンぐらい収穫できる
経営を始めるときには、既存の状況はどうなっているかをかなり分析して、新しい戦略を考えると云うプロセスが、今までの経営の経験を活かしたと言う事になると思います
資金は大変ですが、農業は保護されている産業で、スタート時に半分ぐらい助成金でカバーされる
2億円の額は銀行から借りて調達をする
役員全体が連帯保証を持って責任を持つという方法しかない
これからは国も日本の農業の活性化に力を入れているので、うちのような会社も、ドンドン出てくるのではないかなあと思います
ヨーロッパの農業大国と言われるオランダなんかは、九州ぐらいしかないのに、食料の輸出が世界第2位だとか、そういった国もある
コンピューターでフルオペレーションを行って、農場に発電機があって、電気を作ってそこから出る二酸化炭素を栽培に利用している、熱も利用している
GRA設立 農業、教育、交流 3本の柱がある
山元町の場合、急ピッチで産業の復興をする必要があった 若者が残らないと将来これをやろうとは思わないので、子供たちが将来の夢を志を持って生きる、教育プログラムとして山元町の中学校に提供することも非常に重要だと思っている
交流事業 →東京、大阪、他の都市から山元町にゆく 交流が生まれる 話の中からいろんな事が生まれてくる
10年以内に我々の活動をきっかけに100社ぐらいの企業化、農業を継ぐ人が現れる事を目標にしている
結果として、雇用と云うものを1万人規模で、作っていこうというビジョンを掲げている
山元町だけでなく、沿岸部 気候も良く施設園芸に向いていると思う
GRA 4つの理念
①実行実現 ただ想像したり思うだけでなく実際に手を動かして、考えて物を作ってゆく、どうし てゆくかか考える
②価値共創 多くの人々と一緒に何かに取り組むことで、イノベーション新しいものを創造して ゆく
③是利利他 社会問題としてこういった問題がある、こういった地域をつくりたい 社会囲周に 対して、解決する 何を我々は役に立てるかを考えている
④電光石火 何事も誰よりも、素早くやろう 素早く成し遂げよう スピード感を絶やさずに地 域を活性化させよう
創造的復興に取り組んでいきたいと思っている
1年で約3000人以上が見学に来ている 素晴らしいものがあると集まってくる
日本の農業 イチゴだけで200種 バラエティーに富んでいる 奥行き感 圧倒的に優れている
ただ外国の模倣ではだめで、日本のいいところをたくさん発見して、日本の強い農業を作っていきたいと思う
「ミガキイチゴ」 山元町特産 東京で一粒1000円 山元町の他の野菜の値も上がってくる
東北被災の支援に答えるためには、新しい街を作っていかなくてはいけない
風化するのは当然なので、我々は勇気を持って受け入れて、立ち向かって新しい東北を作っていかなくてはいけない
何かに挑戦するという心意気を持たないと、亡くなった方に報いる事ができないのではないかと思う
インドへのビジネス 2012年11月 ムンバイから東に180kmぐらいのところ
農場を作って2013年3月に大収穫に成功した
①インドのマーケットはポテンシャルがあって、かなりの中間層のマーケットが大きくなってきてる
②震災後に立ち上がった会社が、インドに行って実績を作ることで証明する事は、非常に大事だ と思っている 我々の農業は世界で通用するという勇気と刺激を持ってもらって前に進んでい けたらいいんじゃないかと思っている
③インド、暑くて過酷な地域 栽培に成功すると日本でも作るのが難しい、夏のシーズンに作る ための研究のテーマとしてもインドで栽培する意味がある
園芸の場合 ハウスの建設コストが億のお金がかかるので、付加価値の作物を作らないと採算が合わない
イチゴ、トマト、パプリカ レタスなどに限られてくると思う
小エネルギーで栽培する技術が完成してくると、あらゆる作物にコンピューターでの栽培技術が転用できる
あらゆる地域で食べ物が栽培できる様になる、事が可能になってゆくと思う
まだスタートして2年、スピードアップしていかないといけない
山元町の人口は20%減っている それをしのいでゆくにはスピード感が必要
山元町、東北が世界の施設園芸の最先端基地になるような街に作って行きたいと思っている
1万人の雇用 ビジョンを達成するためにあらゆる努力をしてゆきたいと思っている
我々の取り組みを良く見えるように若い人たちに、夢を持ってもらえるようなGRAの活動を見せてゆきたい
イチゴの街を取り戻せ