2013年11月25日月曜日

天野祐吉            ・隠居大学(徳光和夫)

天野祐吉                隠居大学(徳光和夫
天野さん最後の収録です。
私(天野)はどちらかというとクールの方ですね。
私は(徳光)巣鴨で生れて、豊島区、目黒区で育っていつの間にか茅ヶ崎です。 
茅ヶ崎は40年です。
「茂雄は神様だから、一茂は神の子」  「一茂は神の子にもなりませんよ」 
これは毒舌ですかね。
「20数年前の友人でも、親友でも、その人が長嶋さんの悪口を言ったら即、絶交します。」
これは確かに、申し上げましたし、2人ぐらいいますので。
そんなに長嶋さんが好きなんですね。
高校2年生の時に、長嶋さんの大学新記録の8号ホームランを観て、この人の後輩になりたいと思って、立教大学を受けたんです。(クリスチャン系の大学だとも知らず)
4つの学部を受けて、たまたま社会学部で10日前に勉強した日本書紀がそっくり問題として出たので、もしかしたら受かっていると思って、行ったらやっぱり自分の番号がなかった。
補欠はあちらと書いてあって、補欠のところに自分の名前があった。
昭和33年に長嶋さんがジャイアンツに入ってから、ジャイアンツファンに宗派を切り替えるわけです。

土井勝が同級生で そんなに長嶋さんが好きならば、アナウンサーになればいいじゃないかと、背中を押してもらった。
アナウンサーになるきっかけだった。
デパートへ1年から4年までアルバイトで行っていたから、デパートに行きたかったが、
自分の人生を振り返って、長嶋さんとの出会い、長嶋さんとの丁度いい距離のお付き合いができて、自分の人生を豊かにしていると思えてならない。
日本TVにはいったのも、長嶋さんの一挙手、一投足を実況したかったが、これだけは叶わなかった。
TVが始まってから10年目だった。 幸運に入れた。
草野球で全員を長嶋の名前にして、実況中継の練習をしていた。
電車で通勤しながら、景色を見ながらも実況中継の練習もした。
しかし、野球中継にはいけずに、プロレス中継に回された。
古館、福沢氏は同様にプロレス中継出身者です。
ジャイアント馬場に出会って、良い人でいろんなことを教わった。
「親しき者にも礼儀あり」「人間これからやってゆくうえで、人との距離を常に考えろ」とか
馬場さんは非常に読書家で、物の考え方がしっかりしていた。

マラソン中継はうるさいように思う。 しゃべっていないとアナウンサーはいけないように思うんですか?→  間が空くのが一番怖くて、ちょっと間が空くと、何か埋めないといけないと働く。
目に映るものは全部描写しろと、先輩から教えられた。
フライが上がって、見て居ればわかるので「レフト取りました」ではない事を言ってほしいと思っているのかもしれない。  
絵と言葉は働きが違いますよね。 絵に語らした方が良い場合と、どうしても言葉でないと云えないと言えないことがあると思うが、其れがうまくかみ合ったときに画面が生き生きとしてくるんでしょうが、かみ合わせが難しいんでしょうね。
黙ると云う事を身につけると本当に良い放送ができるのではないかと思うんですが。

最近の司会者は自分の言葉で自分で意見を言おうとするが、とっても多い。
本来はそうではないと思う。
鵜飲みにしてしまう方が居るので、これが怖いと思う。
司会者はAさんはこうだ、Bさんはこうだ、Cさんはまた違う考えだと云うように、これらを取材して紹介するのが司会者だと思うが、自分の意見だけを言うようなことは、ちょっと司会者としては違うのではないかと思うが。
絵と言葉の関係 政治家がばかばかしい事をやってもばかばかしいとなかなか言えないが、久米さんは上手いなあと思ったのは、それまで鉛筆を持っていたのを、ポロっと落とす。
其れが「呆れたものだ」という言葉になっている。

久米宏はニュースを普遍性を持たしたと思う(言葉を砕いて判るように表現した)
言葉ではいわなかったが、鉛筆、頭を掻いたり、横を向いたりして、絵で表現していた。
けんかとか人の本質的なことはあまり言えないタイプですね。
相手の言葉を引き出す 本音を引き出すのは難しいと思う。
褒めまくるとか、やたらと怒らせると、本音が出てくると言われている。
天野さんは 柔和で有りなあがら本当に鋭いことをポンとおっしゃると常日頃から感じていたんですけれども。
こっちがコメントを求めると、求めた以上のコメントが天野さんから来るので、こっちは得したと思うんですね。

一番困るのは、新人があらかじめ質問を用意して、其れを読んで聞いて、とってもこちらの話を聞いてくれない。
質問を事前に用意してゆく人は伸びない。
一つだけ用意して其れを何とか相手の話を広げていこうと云う人間は伸びますね。
話の中で、新しいネタが出てくるが聞いていないので、話が広がっていかない。
聞くほうが難しいと思う(話上手よりも聞き上手にならないといけない)
マイク持って49年になる。

TVの初めのころは生が多かったが、今はスポーツ中継とワイドショーぐらい。
生の持っている面白さは大事だと思う。
私は(天野)馬鹿なことを言うので、生なのでTVにはあまり出させてくれない。
問題発言をしそうな人は、問題発言をしたくてするのではなくて、問題発言をする事に依って、その話題が広がるだろうと。

今は同じ原稿を読むが、読む担当者が生きる様な原稿を書いた方が良いと思っているが、標準的な物を書かなくてはいけないと言われる。
清水一郎 私の師匠ですが、ニュースでもプロレスでも同じように話す。 
民放 専門に読んでいるナレーターがいるが、いつの間にかそうなってきている。
分業化、効率的になってきたのか?
客観的に見ているとTVもちょっと変って来るのではないかと思っている。
TVが出てきたことでジャーナリズムが文字のジャーナリズムから、話し言葉のジャーナリズムになった。
TVが面白いのは、現場に立ち会わせてくれる、中継だから経過を教えてくれる 其れが特徴
其れをもっと生かすとジャーナリズムとして今までになかった新しい可能性が出てくると思って期待している。

可能性の凄くある中の数%しか使ってないのに、死に体になっている印象を持っている。
BSが相当面白くなってくるのではないかと思う。   丁寧に作っているから。
地上波のTVの持っている行き止まりをなんとか打破しようと、新しい試みが出てきているようで
古い時代の物に近づいている様な感じですね。
温故知新→ 温故起新 ですかね。 
昔の面白いものは 作り方が本当に一生懸命に、作り手の汗が伝わってくるような感じ。
技術的には楽になってきているが、昔はいいところを作るために徹夜してやったりしていた。
若い人は好きですね 若い人に期待するしかない。
(天野)若い人で良い仕事をする人が出てきたら、褒めまくりで行こうかなと思います。
(徳光)4打数 1安打 1安打は辛口にしてもらって、残りは褒めてもらって。

9月28日収録した隠居大学の最後の録音