2013年11月27日水曜日

高野英一(ワイン会社代表)     ・ワインで出会った仲間たち

高野英一(ワイン会社代表)  ワインで出会った仲間たち
高野さんは 11年前、55歳で大手電力会社を早期退職して、耕作が放棄されていたブドウ畑を耕し、ワイン作りに励んできました
幼いころから過ごしていた勝沼、このブドウ畑が次々に耕作放棄地にかわってゆく事に心を痛めたのが主な理由でした
先輩と共に二人で耕した畑は60アールですが、その後多くの仲間が加わって、今では3棟のワイナリーで1万7000本のワイン作りをしています
当初会社の仲間の定年退職後の仕事に受け皿にしようとだけ考えていたワイナリーですが、高野さんの来る者は拒まずの精神に即発されて、首都圏で会社をリタイアした人に加えて、今では20代~40代の若手も参加するようになり少しずつ耕作放棄地の再生にも貢献しています

今は仕込んだワインの瓶詰めまでの管理ですね
設備的には2万本 1万7000本を作っています
ブドウは1.5トン、委託で5トン、買い入れを含めて17トンをワインにしている
6000Lの目標が17000Lくらいになっている
2007年 他のワイナリーに頼んでワインにしてもらってたのが、自前のワイナリーを持って、免許取得して、他のところから委託を受けて、目標2万本ができればいいと思っている
よそでやらない少量ロットをやるとか、個別のワインを作ってやるとか、地域の活性化に役に立てればいいなあと思っていて、小さい仕事も受けてやっている
大手の工場のスケジュールに合わせて、ブドウを持ち込んでワインにしてもらうが、ブドウに合わしてスケジュールに組めないで、ブドウが傷んでしまうとか、傷んだブドウでは良いワインができないことが解っていたので、ブドウに合したワイン作りができるようにしなくてはいけない、其れがワイナリーを作った最大に理由ですね

2002年会社を辞める 最初2人で始めた  行き当たりばったりで、やってきた
やらざるを得ないような状況でやってきた 
手伝ってくれる人が徐々に増えてきた 皆さんに支えられてやってこられた
最初退職した人たちの受け皿にと言う様に思っていたが、半分は若い人が来てくれる様になった
最初、自前でやってゆくのがかけだったが、楽観的に思っていた
地域に役立てる様な新規事業がないかという事で提案制度があって、見渡したところ、ワインの搾りかすから、ワインを作るのをヨーロッパでは持っていて、最後の物を有機肥料にする(木のチップとワインの搾りかすブドウを混ぜて作りだす) 畑に戻すサイクルがある
循環サイクルに乗せられていいと思ったが、採用される寸前で提案制度の条件の中で、5年累損解消がクリアできず提案を取り下げ、自前でやることになる

勝沼 私が小さい頃 農地は宝物見たいなものだった 退職するような時には周りの畑が耕作放棄になってしまって、周りの耕作している畑の厄介者になっていた
耕作放棄地が2町歩 復元できるようになった
最初、10何年放棄されていた土地で、大木になっていたり、コンクリートがあったり、復元の仕方を見出して、2年掛かって6反歩(60アール)復元して、そこで力尽きた感じがあった
日本のワインの本を開く鳥居平はワイン作りの一等地のところ
2往復で目いっぱいで、年寄りの畑ではないなあと思う  55歳だから出来た
70歳、80歳の人にやれということは無理ですね(今私も66歳で大変です)
最初果樹農家から指導をしてもらう  
剪定の仕方、消毒に至っては、どの時期に何の消毒をしたらいいのか分からなかった

天候 台風、長雨とか大変 人間の力ではどうにも出来ないような状況の中で農業をする
ネットで集まった若い人達が農業に携わりたいと、耕作放棄地の手伝いをしたいと、今年20kgの
ブドウが取れて、ワインを作る、来年には200kgになる
若い人たちが応援に来てくれる
最初40歳代の人が来て、ワインつくりをしたいとの申出でがあった
放棄地を紹介したら、その人がネットで会員を募集して、410数名応募があり、毎週誰かが来るようになった
10アールをブドウ作りをやるようになった  
イベントもやるようになって、バーベキューとかも、やるようになる
地域の活性化に貢献してくれるようになった
2人では6反歩が精一杯だったが、当時借りていた1町歩の残りを担当してもらった

最近の若い人たちは農作業を楽しんでやってくれる
農作業は娯楽だとは思っていなかったので、考え方、ものの価値観が違うと思う
今後もっと広がってくるのではないかと思う
金を払ってワイナリーのお手伝いをすると云いうのが、広がってきている
どう対応してゆくか、現在手探りの状況です
ロシナンテ」というグループを作る 高齢者を会員募集 
若い人も応募してきた(地域活性に役立っている) 
リタイアした人も入ってきている  大手の会社の役員だった人、医者だった人とか
その人たちと、当社の農業部門を法人化する事を検討している
ワインビネガー(酢) の新たに部門を作って会社を興すとかも担当者が中心になってやってもらう
「人間裸で生まれて、裸で旅立つ」 事は以前から思っていたので、できるだけオープンにしてやっている

やりたいと云う気持ちを持っている人が集まってきて、それぞれの人間関係、人脈を使いながら最後まで走り続ける環境を作っているという事ですかね
安く借家(3万円で1万円は会社が負担)を借りて、1週間おきに自宅と勝沼を往復するとか、コンテナを改造してそこで生活をして、1週間のうちに水曜日に帰って、金曜日に戻ってくると云う様なことをやっている人がいます
あまり干渉しない、それぞれ皆さん、人生経験揉まれた方なので、心配はしないが、奥さんは大丈夫なのかと問い合わせたら、何ら問題ないことが判った
退職金をつぎ込んだが、妻は反対するのは判っていたので、事後承諾してもらった
今は妻には諦めてもらったと云うのが、本筋です
妻の関心が孫に100%向かったので、こちらへの関心は無くなった