2013年11月26日火曜日

岸平典子(ワイン製造販売社長)  ・ワインで見つけた私の故郷

岸平典子(ワイン製造販売社長)  ワインで見つけた私の故郷
山形県上山市にある武田ワイナリーは大正時代から続く上山ワインの醸造所です
ここではブドウの栽培、収穫、醸造、熟成、瓶詰め、出荷まで一貫して行っています
5代目の社長に成る岸平典子さんは、このワイナリーの長女として生れ、大学でワイナリー作りの基礎を学んだ後、ワインの本場フランスに渡り、4年間にわたって本格的なワイン作りを勉強してきました
その後、実家のワイナリーに戻り、ワイン作りの一翼をになってきましたが、兄の突然の死去の後
社長を継ぎ、高い品質のワインを世に出しています

収穫仕込みも最終段階 今頃までが一番忙しい時期だった
ブドウの四季に合わせて生活している  7月が酷い気象だったので、苦労した
こういう時は特に技術が必要です  細かい、丁寧な仕事が重要になってくる
大正9年にワイン作りを始める   ブドウ作りはその前の前の代からやってきた
棚の様な形の物は日本の品種を栽培 垣根みたいなものはヨーロッパのやり方なのでヨーロッパの品種を栽培している
全体で15ヘクタール 東京ドームが3つ入るぐらいの広さ
畑の斜面が東南斜面なので日当たりのいい場所になっている

兄と私の二人兄弟 味を作る仕事なので、未成年の時はワインは駄目だったが、科学的な調味料を使ってはいけないとか、自然なものを食べる様にとか、味覚教育に厳しかった
兄はすでに継ぐものと思っていて、東京農大の醸造科に進んだ
私は大学は応用微生物学を修めて、ワインの世界に入ろうと漠然と思っていた
私の方が守備範囲の広い学問だった
ワインの知識を付けないといけないと思ってフランスで、栽培学、醸造学を学ぼうと思った
行ってみてカルチャーショックを受けた   
フランスのワイン生産者は誇りを凄く持っていた
自分の土地にきちっと向き合ったワイン作りはどういう事か、刺激を受けて、考えるようになった
その土地の風土を表すワイン作りの哲学がある、と思った

自分が身体で知っている所の土地で、ブドウを作ってワインを作れば上山の味が出せるのではないかと思って、日本に戻ってきた
技術者の立場でワイン作りをしていた  兄とか父とかと、ぶつかったことは有った
ブドウである原料 選別して良いものを使う事を主張したが、父は大地からの恵みだから全部使う事を主張してぶつかった
タンク1本だけ自分でこっそり自分の思っている製造方法をやって、比較して飲んだら私の方がうまかった
父は嫌な顔をしていたが、最終的には味なので、納得してもらった(時間はかかったが)
兄が次期社長と言う事で働いていたが、心臓発作で亡くなってしまった(30歳前)
社長として動く事は全く考えていなかったので、戸惑いがあった
7年経ってから受け継いだ
(営業のやり方、値段の分け方 財務 全然知らなかったので勉強した) 
ワイン作りより大変だった

ブドウ作りの技術的な事だけに目がゆき、周りが判らなくなる様だったので、俯瞰して見えるようになってきた(アプローチの仕方が変わってきた)
判断を迅速にすることが大事  判断してから悩むことが結構ある
従業員は15名 年間30万本作っている 生産量の割に人数は少ない
8名は栽培もやるし、醸造もやる セクションは無い
ビニョロン→直訳は畑の人 意味はブドウ栽培をやって醸造して売るまでの人をいう
皆でやることによって、この土地がどういう土地か、今年のブドウはどういうブドウか、全ての事を判って、物作りに愛着がわいてくる  ビニョロンを目指していきたい

単一の物だけがあるのは不自然 異常な状態  雑草が下に生えている(自然な状態に近い)
四季折々に雑草も生えている  
アブラムシはカラスノエンドウにつくが、カラスノエンドウがないと、ブドウに昇ってきて、芽を食ってしまう、そうすると農薬を使わなくてはいけなくなる 
洞爺湖サミットの時に当社ワインを使わせてもらった
消費者が上手いと云ってくれるのが一番と思っているので、身が引き締まる思いがした
お客さんに出したときに、美味しいと云ってくれた時が一番嬉しい
やっぱり上山はいいところだと思う ブドウ栽培をしていてもブドウが生き生きとしたブドウになる
日々勉強して少しでも多く上山の味を表現できて、お客様に届けようと思っている