川岸美枝子(和栽技能士) 着物の文化を世界に広げたい 2
今は徐々に仕事が減ってきている
独立したのが昭和61年 月に40~50枚の仕事がありました
当時、もう洋服になっており着物の必要性はあまりなく、贅沢品であったが、まだ注文はそこそこあった
結婚に際しても、たんすの中に着物を持たせて、嫁がせるような風習は残っていた
喪服、訪問着、紬、小紋の一セットで注文があった
今は月に10枚有ればいいほうです
反物自体も決して安ものではないし、仕立て代、長襦袢、帯、小物、帯締め、いろんな付属があって着つけができるようになるんで、躊躇してしまうかもしれない
平成元年ぐらいに中国の方に仕立ての技術提供を、と言う話があった 技術が行ってしまっているなあと思う
今は既製品で浴衣が出ているが、日本の中で本当は仕立てられると本当は一番いいと思うが、
海外縫製が残念ながら主流になってしまっていると、呉服屋さんなどから聞きます
かたちのある技術は決まっているので、もう輸出されてしまっているのだんなあと思っているが、心のこもった仕立て、着心地のいい仕立ては日本でなければなかなか難しいと思っているが
着たときに身体になじむとか、お客さんの身体にあったもので寸法を決めるものなので
縮緬素材、結城紬、大島紬いろんな素材があるので、素材にあった仕立てをしないと、高価なものなので後々まで大事にしてゆくためには、きちんとした正確な仕事をした着物の仕立て上がらないと難しいと思います
流れ作業で覚えた仕立てでは判らないと思います
同じ失敗を重ねて、嫌にならず腐らず毎日重ねてゆく、そこで生れてくる自分だけの物は、自分でしか判らないが、其れを形にしたときは嬉しいし、それをお客さんに提供できる喜びは自分で無いと判らない、海外縫製には無いことだと思う
最近は仕立て代込みでいくらと言う風になっていて、商法が変わってきている
(買う方からすると判りやすい、お得感がある)
前橋のほうの家で5人をバラバラにやっている 教室で3人を教えている
先ずやって見せて目で見てもらって、やってもらうのが基本なので、マンツーマンで出来るだけやっている
高校生、夜間の高校生に話をするが、非常に反応が良くて、技術を如何に自分に付けて、将来をどうなるか、人とのかかわりを話したが、非常に興味を持ってくれて感想文などを頂いた
やってきたことに対して、話をさせてもらった
話の前に着物を着てもらったが、周りの人の見る目線が変わってきた
これからも機会があったら話をさせてもらいたいと思っている
文化を見つめ直してもらえると良いなあと思います
頑張った先に自分を描き出せる何かが有るってなったら、やるべき事に価値があるのではないかと、感想文に書いてあったりして、講演会をやってよかったと思っている
どんなことでも何かにぶつかるが、そこを越えると何か自分にとって、一つ自分も越えられるし、何かが開かれるし、自分の励みになって、良いんじゃないかなあと思っている
家族のきずな 安心して一つの仕事に打ち込めることができたと思っているので父に感謝している
家族 父は77歳 (母は亡くなってしまった) 息子、娘
長男は前橋福祉専門学校で作業療法師の勉強を、長女は医療関係に進みたいと云っている
15年ぐらい、民謡をやっている
母親が芸事が好きだったのと、歌ぐらい歌えないといけないかなあと思って、民謡をやりました
腹から張った声を出さないと、いけないといけないので、健康にもいいと思っている
師匠が83歳で凄く若くて元気です
民謡も着物の世界 そちらの方からも仕事に話があったりするので有難いことです
着物の仕立て方で立ち姿も変わってくる
仕事を始めて34年 着物の枚数にすると7000枚になるかもしれない
一枚一枚が全部違うので、違う布質をいかにきれいに仕上げるか、それだけの経験があるからだと思うので、今までの仕事量に感謝しているし、これからの自信にもなると思っている
あっという間の様な時間だった
川岸さんの天職でしょう、とか言われるが、決して天職ではなくて、挫折を繰り返して、何とかそれを乗り越えてきて、私としては適職だと思っている
伝統文化を伝承してゆかなくてはいけないし、伝えるものを伝えてゆこうと思っている
和裁自体を知らない人もいるので、こういう世界もあることを知ってもらいたし、着物を一年に一回は着てもらいたいと思う