*{お詫び} 3日間 ブログを休みましたが、旅行に出かけたため投稿できませんでした
毎日見てくれている友人から、そのようなときには幾日休みますと事前に連絡した方が、良いのではないかとの、指摘があり、確かにそうだなあと思いました
今後はそのように進めていきたいと思います
(二日酔いの時とか、風邪とかで体調が悪い時もありますが、何とかやって行きたいと思います)
未投稿分は追って、進めたいと思います。
加藤章(日本モンキーセンター園長) 猿を知り、人を知る
加藤さんは1955年岐阜県生まれ 58歳 麻布獣医科大学を卒業した後、1981年猿専門の動物園 日本モンキーセンターに入りました。
獣医として、猿の健康管理に当たるとともに、生態研究に取り組んできました
加藤さんは猿を知ることは、人を知ることだと云います
猿を知ることで人の何が解るのか、そして猿と共に歩んできた加藤さんの人生とは、どんなものだったのかを伺います
猿を男性がじっくり観察している姿が多い 女性は赤ちゃんとか家族を観察する
男性は群れの全体を観察する傾向がる
卒業後変わったことをやってみたいとの考えもあり、家に近いところに猿の動物園があって、たまたま獣医を募集していたので、飛び込んだ次第です
以前は猿の種類は圧倒的に多かった 当時は100種類 今は70種類 それでも世界一ですが
遠足が非常に多い時代だった 30年で大分変ってきた
猿は病気が大学で学んだ家畜、犬猫の病気と違う
人と全く同じ病気、移し、移される関係にあるので、全部白紙に戻されてしまった
随分勉強をし直した
昔は誤診、失敗に付き合った猿がいたが、最近は何とかやっていけるようになりました
猿の生態研究もおこなってきた
ゆっくりと動物を観察する事が出来た その時その時の興味を見る、ずーっと見ることもできるし有難い職場だと思っている
ゴリラは物静かでゆっくりと考えて行動する
チンパンジーはいろいろやって答えを導き出す プロセスを考えるものではなく
800万年前ぐらいに、おそらく私たち人間とチンパンジーは同じお母さんから生まれただろうと、
そこから1人はチンパンジーの道を歩み、もう片一方は人へと進んできたと言われる
チンパンジーと非常に近い似たものも持っているし、進化によって限りなく離れて行っているものもあります
化石などが途切れているところがあり、森に住んでいたが、何故森から離れたかという事が一つ難しいところです
草原は森よりも食料が少ないし、他の獣に身をさらけ出すことになるので、、木の上という安全なところを何故捨てたのかは解明されていない部分なんですが、ともかく離れた
離れたことによって、遠くを見渡すため2本足で立って、常時立つ、且つ長距離を歩くのに、徐々に大きくなった頭を支えて、立って歩く
非常に広い範囲を歩けるようになって、いろんな文化ができた
赤ちゃんを抱いて歩かなければいけないという、マイナスが出てくる
猿は生れた瞬間から親に掴まって暮らす
動物は直ぐに歩きだすが人間は抱えて歩かなくてはいけない
身体を振り子のようにしないと歩けない構造だったが、何故続けてきたのか、研究者がいっぱいいていろいろな説がある
奇跡的に残ったのが私たちだと思う
今人間がいろんなことで包み隠されて見えない部分、進化の過程で判らなくなった部分、経済活動だとかいろんなことで見えなくなった部分が猿には恐らくさらけ出されているだろうと、人を映す鏡として、猿を観てゆくと云う事は必ず辿ってゆけば人間のいろんな行動、理由が解るだろうと霊長類学だとかが生まれてきた
日本猿は世界に先駆けて、日本が霊長類学をリードしてきた原動力にもなります
日本猿は野生のニホンザルは非常に面白い
社会構造がちゃんとできていて、役割分担ができている
ボスを中心につくられた非常に民主的な集団、利害関係が無く、力でなにかを抑えてくのではなくて、皆で群れを作り上げて、皆でどうしら生き残っていけるか、それだけを目標に皆が動いている
40年、50年前までは、強権的なボスという風に考えられているが、
山の中では威張っているのを、おっぽってよそ行ってしまえばいいんですが、何故ほっぽっていかない、何故付いていくのか、そんなところもニホンザルの研究としては重要な部分だった
ボスはなるのではなくて、されてしまう
威張ってれば皆付いていかない 何故ついてゆくかと言うと自分たちの利益になるから
日本猿の社会は母系家族
屈強のオス猿になっても、お母さんはお母さんなのでお母さんについていく
お母さんがついていくものは皆がついてゆく
お母さんは何についてゆくかというと、自分たちの為になる、世話をしてくれるのに付いてゆくのが得です
何が得かというと、先ず外敵から守ってくれる、美味しい木の実がなっている場所、良い場所を確保してくれる、よその群れからメスを奪いに来た若い猿を追い出したり、喧嘩を仲裁する、子供の面倒をみる
ボスのオスを仕立ててしまう
オスがなって利益があるかというとそうではない
山では食べ物を独占する訳にも行かない
利益と言えば、ごろんと寝転んだときに、毛繕いをしてもらうぐらい
猿の群れが林道をわたってゆくときに、私たち人間を見ると、林道にボスがピタッと座る
群れが無事に行き去るのを、見ながら私たちをけん制する
年寄りや遅れているものがいると、わざわざ戻って迎えに行って、一番後ろに行って、渡りきると又先頭に戻る
見ていて目頭が熱くなるような光景を山で見る事が出来る
力にあまり関係ないので、たいていは歩けなくなるまでボスは続く
縄文以前 人が集まって暮らしていたころは、こんなことから始まったのではないか?
皆が弱い生き物としてあつまって役割分担をしながら、子供を生み増やし、育って行く為には何かよりどころが欲しい、そんなところで自然発生的に出てきたのが、猿のボスで、ボスを中心に補佐がいたり、役割分担をする様な社会が出てきた
原始的な民主主義の始まりではないかと、研究し出したのも日本の霊長類学が進歩した元になるのではないかと思う
土地というものに、人が縛られて農耕民族になって、土地を所有している力の強いものが、給料やるから言う事を聞け、言う事を聞かなければよそに行けと言われる時代が来る、それ以前の時代には恐らく人が尊敬するリーダーのもとでみんなが一つになっていたのではないかと思う
ボスの他に影の権力者がいて、メス頭がいて、全てのメスを束ねている
母系社会なので、おばあさん、母、子供(オスもいる) 母が強くて、容認しているのがボスになる
非常に平和的で素晴らしい社会で縦割りというよりは「斜め割り」と呼んでいるが、多様があり、役割分担がある
動物の社会は明確ないじめがある 血統を残して行く為の物 病気に強い、戦いに強い、繁殖力のあるもの そういったものを残す為には持っていないものを少しずつ排除してゆく、という働きがある
大きな群れを持っているところには必ず発生してくる
結果として弱い者はそこから外れてゆく
其れに欲、娯楽、快楽が加わったのが、人間のいじめなのではないかと思う
寒い環境で身体一つで生き残ってきたのは、厳しいいろいろなことを乗り越えてきた証拠だろうと思う
奇跡の中で、最大の努力をしてきた苦難を乗り越えてきた結果が人間なので、もう少し人間を見直してもう少し、頑張らなければいけないのではないかと思う
繋げてくれた過去の猿や、猿人、原人に感謝しなければいけないと思います
闘争がある 食べ物、メスを取り合う
争いのない猿たちがいる スリランカのトクモンキー 彼らは基本的に闘争をしない
おとなのオスで8kg 日本猿の半分以下の体重
通常10~15頭だが、26頭になるが、全く争いが起こらない
取った猿がその場でのんびり食べられる
どこで争いが無くなったのか判らない
争いの種になるのが(食べ物とか)無くなったので、そうなったのかどうかは判らない
獣医になって35年 園長もやっているが、家族と顔を合わせるのが一日1~2時間 猿と接しているのは30数年間 一日 8~10時間になる 空気のような存在
自分も猿になってしまっているのかもしれない
園長という事で比較的自由に研究とかを、できる事がある
獣医は猿に取っては一番嫌がられる
吹き矢で眠らせたりするが、矢を持ってきてくれたりするが、もうやめてくれというような顔つきで持ってくる
バナナに薬を隠して飲ませようとするが、其時にバナナの方を見ないで私たちの目を見て全てを判断する じーっと見ていてバナナをぽとっと捨てるんです、たくらんでいることがばれてしまう
猿は白眼が全く見えない 目の表わす表情が人間より少なくなるが、相手の考えていることを早く読み取らないと、群れの中で生きたり、敵対する相手と向き合った時に、怒ってるかどうか、攻撃の意志がどれほどあるのか、目で判断をするので、人間の目はばればれの目をしていて、彼らにははっきりと判っていると思う
治療をする時に、逃げられないように、両側から麻酔の吹き矢でやるときに、両方からやると人に当たってしまったりするとまずいので、片方は吹き矢を入れていないが、其れが直ぐに判ってしまう(気合いの入れ方の違いが目に表れる)
獣医になるつもりは無かった
旅客機のパイロットになりたかったが、鼻が悪かったのですぐ諦めた
30数年やってみて、テーマを与えられた仕事なのかと思う
種類を競う事はもう無理な時代になってきている(野生からは一切持ってこない)
どこにもいない猿がいるが、当然一代で消えてゆくが、これから10年で20種類減るのではないかと思う
①環境の再現 熱帯雨林、湿地、草原 ②運動能力を観て頂く為、猿の能力を引き出すための
仕組みのある展示を軸に展開していけたら思っています
猿って面白いなと思っていただけるような園つくりをしてゆきたいと思います