小野和子(宮城民話の会顧問) 津波を伝える民話の力 2
{猿の嫁御」
昔々 或るところに娘3人持った親父がいて、山の田さ 水かけにいったんだとしゃ
掛けても掛けても 水かけらんなくてや 娘3人持ってたから 一人くれるから だれかこの田さ
水掛けてくれけねべかなあ 独り言行ったんだと 山から、がしむしがしむしと猿一匹降りてきて、たちまち田さ ざんぶりと田さ水掛けてくれたとしゃ 助かった 助かった 猿と約束してうちさ帰った 行ってくれるんだか、くれねえんだか、しんぺいでしんぺいでまんまかれえあや
(一番上の娘 怒って枕を蹴って出て行った 二番目も同様に怒って嫁に行くことを拒否
三番目も駄目だと思っていたら三番目の娘は嫁に行くことを承諾
猿の家に嫁に行く 初節句が来て実家に帰る事になる 土産に餅が好きだから餅を持っていくことになる 餅を臼にいれたまま持ち帰る事になる )
美しい藤の花が咲いていて、おらえのおやじさあ あの花など取って言ったらもちよかよろこぶべなあ お安い御用だと猿は臼おいて登ろうとすると、あら土のうえなど臼おいたら、土くせーっておらな親父さんはもちくえべなーと言うので、猿は仕方なく臼をしょったまま 藤の木さのぼっていったんだと
(もっと上もっと上と 娘が言うもので 富士の枝が折れて 川に落ちて流される)
猿はごろりごろりと流されたんだと 岸でそれを観ていた娘は一人ではしゃいで喜んだ
猿は俺が流されてゆくのを悲しんだと思ったが、猿、川に落ちる命はおしくねえ
あったらおめ―をごけにするがやー と発句よんで、ごろりごろりながされていったんだとしゃ
娘はとっとと家さ帰って来たんだとしゃー こんでえんつこ もんつこ さけた
「えんつこ もんつこ さけた」 宮城県で昔話が終わったという言葉である
この話を聞いて猿がかわいそう さるはなんにも悪いことはしないのに
民話を聞き始めて40年前、 この話が最初の話 宮城県で多く語られる話
猿がかわいそうだと云ったら、話しをしてくれたおばあちゃんは おれはそうはおもわねえ と
風呂敷包み一つで嫁に行って、姑、など苦労話をする 帰ろうとおもう事があるが、仕方なく川のそばに行って、川の音に負けないように泣いて家に帰ったという
娘は猿を葬って勇ましく帰ってきた 私はじーっと我慢して実家には帰れなかった
民話って幾重にも幾重にもかぶせて判らないように語るところがある
おばあさんと改めて話を聞いて、この話を聞くと立体感が浮かんでくる
大学で日本文学を勉強してきたが、文字に残ってきた文学だけが、文学として教えられてきた
名もなき人たちが口伝えに語ってきた物語の面白さ、広さ、深さみたいなものは全く知らなかった
話を聞かせてもらうと、全く知らなかったと言う想いと共に、一つの病みつきになった
戦争で本は読めなかった 本格的に読んだのが、大学に入ってから
民話絵本を作る会のサークルができたことを知って、仲間に入れてもらう事になる
そこで話を聞くことになったのが始まりです
その後は一人で活動するが、段々増えてきて宮城民話の会を作ることになる
つてもなく話を、あっちにいったり、こっちに行ったりして聞いた
糸がほどけるように話が段々広がって聞けるようになる
一人で100話近く話をしてくれた人がいた
TV等が普及して語りの場が無くなってきて大きく変わった
「猿の嫁御」でも話が違う事があったり、続編があったりする
私は後語りを生みだしてきた 話を聞いて自分自身の想い等を記録する
最初、聞きとりながら書いていて、その後重いテープレコーダー利用するようになる
「が」 文字にすると一つだが発音されるのはいろいろある
民話声の図書室を始める
聞いてきたテープをCDにして、文字と対応させながら、誰でもが聞こえるように作業着手している
伝承語り手の映像でも撮ろうとメディアテークの協力を得ながら、映像でも撮っている
第7回民話の学校で被災された方々の映像記録を撮ってくれた若い監督2人が震災間もなく仙台に来て、自分たちの映画を撮っていたが、映像を撮ることに無力感があったと云っていた
物を撮るのではなく、生きている人たちの言葉で綴る震災映画を作ろうと試みた
言葉は映像の中でずーっと残ってゆく
民話を語る人、民話を聞く人に依る映画を撮りたいと云う事だった
民話伝承者 200話ぐらい語たれる方 3人を撮ってほしいと云った
聞き手は私が担当して、映画ができ上った
語りのグループが日本全国でいろいろ出来てきた
「波の音」、「波の声」「歌う人」 東北3部作が渋谷で一般公開される(11/9から)
海に向かって柏手を打って礼をしていた人がいて話をお聞きしたいと云ったら、ガダルカダルからの生き還りの人だった
島に上陸していったところ、食べ物が無くて、1日40粒のコメが配られたとおっしゃった
40粒はスプーン一杯にもならない 米粒の多さ少なさで兵隊同士が争っていたとの事
醜いなあと思っていたところを子供のころに聞いた食べ物で争った兄弟の話の事を思い出した
その話は、目の見えない兄弟がいて、美味しいところを兄に、すじの所を弟が食べた
兄はもっと弟は美味しいところをたべているのだろうと、兄が弟の腹を裂く
俺が食べたのはがんこだ、がんこだ かっこう、かっこうと弟は飛んで行った
(東北ではかっこうのことをがんこ鳥という)
兄は兄の方で本当に腹が裂けてしまったのかと、ぽっとさけたか、ぽっとさけたか 今度はホトトギスになって飛んで行ったと云う悲しい話がある
明日は敵に突っ込んで死のうと自分一人でもいいから、そう思ったという
故郷の神様、仏様を全部思い出して、その夜は寝たところ、夢でおばあさんが出てきて、風呂が沸いていて、大皿に一杯あんころモチが出ていて、其れを自分は食べたと、それから不思議なんだけれど毎日おばあさんの夢が出てきて、あんころモチを食べさせてくれて、おなかがすかなくなり、見つかった食べ物は戦友に食べ物をやり、怪我をした戦友の荷物をしょってやり、無事に日本に帰って来たという
この話を信ずるかと言われて、この話を信じれば、昔話をしてもいいと言われて、20話ほど話してもらった
きちんと記録に残したいと思っている