小野和子(宮城民話の会顧問) 津波を伝える民話の力
1934年岐阜県高山市生まれ 東京女子大学日本文学科を卒業、1958年から宮城県仙台市に住んでいます
その後宮城県内の民話を語る方々を訪ねて歩きまわり、民話を採集記録して40数年になります1975年に仲間と宮城民話の会を設立しました
2011年3月11日の東日本大震災後の8月に宮城民話の会が開いた民話の学校を中心に伺います
仙台市青葉区だったので私は大きな被害は無かった
民話を訪ね歩いたところは、沿岸部もあったが、大震災後可能な限り調べたが、かつて訪ねた方が今回の震災ではすでに亡くなっている方はいました
津波があったので、日常的に記録する事がいかに大事か再認識した
私たちの会は海辺、山辺を訪ねて民話を記憶している方から、一つ、二つを聞いてくると云う仕事でしたが、子供のころから覚えている人とかに一杯話を聞いて記録してきたが、活字で記録するだけじゃなくて、声で話して下さることがとっても面白かった
多くの人に味わっていただきたくて、宮城民話の学校を立ち上げた
1年おきとか2年おきとかに、全国から民話を聞いて下さる方に来ていただいて民話を聞いていただく(私たちの会は20名ぐらいの小さな会なので毎年は実施できない)
2011年夏には県の一番南の丸森町を拠点に山元町の語り手とかの人たちに集まっていただいて民話の学校を開く予定だったが、大震災にあってしまった
今年は止めようとの話になった(第7回)
今まで語りつがれてきた民話でないもの
小野とめおさんは新地町の人(福島県)で家も畑も全部流された東京の青梅に避難していた
手紙のやり取りをして、其中に「郵便を渡されて、封書の名前を観ただけで、嬉しくて封を切らないうちから涙がこぼれ今まで我慢していた何かが堰を切った様に泣けて泣けて涙が止まりませんでした」と書いてあった
「私には民話があるのだ、生きてる限り私は民話で頑張ろうと自分で自分を励ましました」と言う事が書いてあった (大正13年生まれの小野とめおさん)
直ぐその後仮設住宅に戻ってきて、民話を小学校にいったり、集会所で語ったりしている
山元町に住んでいる庄司あいさん 昭和9年生まれ 彼女も全部流された
「形あるものは全て無くなったけれども、私には何より民話が残っています
これを命綱 離しません」
私はこの二人のお手紙を観て、民話の力を改めて思った
この人たちの意志を生かすべく何らかの形で、民話の学校を開きたいと思いました
私の若い友達も4人の子供を残してやはり震災で亡くなっている
(子供の文化の窓口の仕事をしていたが、一度も子供には民話を話したことは無く、民話を話したいと云っていたが))
この方々にあの日のことを語っていただきたいと思った
二人のほかに、やはり家も奥さんも亡くされた方ほか、民話の会の人たちを含めて6人の方にお願いした
3月に被災されてお願いに行ったのが5月で 2カ月しかたってなかったが、快く引き受けてくれた
従来の民話の学校の内容とは違って、過酷なあの日を語ってもらった
語りにはこういう力を持っていて、こういう存在の仕方をして、人を支えるんだと云う事がその時に身に沁みて実感した
私としては生き残った者が何かしないときけないと、その流れの中で、被災された民話の語り手の人に、あの日のことを語っていただくと、そのことが被災された方のすこしの力になるだろうし、あの日の様子を胸をかきむしられる思い、を共有できる何かを残してもらえるかも知れないと思った
海の見える会場ではすこし残酷だとの声もあったが、明日をどう迎えるかを考えるためにも、残った海辺のホテルで行った(希望者が多かったが、200人で打ち切らせてもらった)
辛い体験を語ってくださった 不思議な密度の濃い時間を過ごした
とめおさん 東京から自分の家がどうなってるか、聞いたらなんにもありません、大きな柿の木があったはずなのに、と言うと、なんにもありません との返事 あるいは妻が車の中にいて流されてゆくときに、静かに手を振って遠のいてゆく状況、等々の話をされた
淡々と話す内容ではない内容ではあるが、淡々と話されて、かえって臨場感がうかがえた
民話の学校を聞いた方の感想
「6人の被災された方の話はあまりにも悲惨な内容ですが、その語り口が昔噺の様になっていることに先ず驚きました 語ることの意味を改めて感じました
語ることによって少しずつ自分を解放出来る方々、語るようになれるまでどれだけ血の汗を流されたことだろうかと思いました 私はせめて聞き手になったらと参加しました」
話す人も話せるか心配だったが、すっこしでも苦しみを分けてくれと言っているように、聞いてくれて話せてよかったと云っていました
3.11を風化させないために、根拠地を作っている メディアトークが映像で残しておこうと、一部始終を映像に記録してくださった
学校に参加できなかった方にお見せする機会を作れた