渡辺貞 理化学研究所 計算科学研究機構 次世代コンピュータープロジェクトリーダー
スーパーコンピューター京の設計の中心となって、開発を進めてきました
去年の京の本格稼働から丁度半年を迎えました 1秒間に1京回を計算します
どのように設計され、本格稼働ではどのように使われているか、どのような成果が期待できるのか、現代人の暮らしの中でスーパーコンピューターの果たす意味を伺います
現在 ほぼフル稼働 150名位の人が使っている ジョブを投入する
一人がつかっている時も有る ジョブのスケジューラーを使って振り分けている
用途は科学技術計算(数値計算) 気候の温暖化のシミュレーション 津波のシミュレーション 自動車の空気の流れ 宇宙はどうしてできてきたか 等に使っている
シミュレーションは天気予報 地球表面をメッシュ状に分けて、そこに温度、気圧、風速と言った物理量をインプットする 有る方程式に従って計算する
そうすると次の時刻の状況が解る それが空気の流れなので次のメッシュに入れて地表全体を計算することによって、温度、湿度、風速、気圧等が判る
CPUはスーパーコンピューターには8万数1千個相互に繋がっている
京の場合は6億個位トランジスターが入っている
チップには限界があるので、現在の集積度では1個のCPUには6億個位である
CPUチップをたくさん並べて、それらを相互に高速のネットワーク ケーブルでつないで一つのコンピューターを作っている
京の名前が10ペタフロップスと言われるが、1フロップスは1秒間に1回の基礎計算
10ペタは10の16乗をいう 京は10×16乗
我々の目標性能は 10ペタフロップス です この目標でスーパーコンピューターを作りなさいと、文部科学省の方から要請が有った
10ペタフロップスのスピードですが、地球上の人口 70億人が一人1秒間に1回計算するとして17日掛るのを京は1秒間でやってしまう
パソコンの10万台~数十万台分の処理能力が有ります
最新のモデルで 当時世界で一番はやい「シミュレーター」というスーパーコンピューターが有るが( 京から10年ぐらい前に開発したコンピューター) 気象シミュレーションはメッシュで3.5kmメッシュ で代表的に、ここの温度は、15℃、風速毎秒3mとかのパラメーターを入れるが、非常にラフなデータだと言う事になる
雲の影響は地球温暖化に非常に大きな影響がある
1つの雲は3.5kmより小さい 3.5kmのメッシュでは余りに粗くなってしまって、正確な予測はできない
可なりな正確で当ってきているが、まだまだ当らないことも有る
メッシュを細かくする 1/10にすると 縦×横×高さ で1/1000に分割しなくてはいけない
そうすると1000倍の速さにしなくてはいけなくなる
予測精度上げたいと思うとそれに比例して、高速なコンピュータが必要となる
汎用スーパーコンピューター きっかけは 今から7年前 科学技術の分野 計算科学と呼んでいるがシミュレーションは諸外国、に比べると基盤が弱いと言う事が有って、プロジェクトを起こした
科学技術の基本になる5カ年計画でスーパーコンピューター技術はライフサイエンス、防災、新しいデバイスの開発、日本の社会生活に取って、基礎になる技術であると言う事で、このスーパーコンピューターの開発をしようと、それによっていろんなものに利用しようと言う事で始まった
費用は1154億円 いれる施設、動かすソフトウエア 本体だけでも700~800億円
全体で 建屋 60×60m 地下1Fから3F 3Fに本体が有る
部屋の面積が60×50m 熱が出るので15メガワット 冷やさないといけないので水と空気でやっているが、2Fに設置されている
1FにはハードディスクがHDD 巨大記憶装置 (30ペタ)が設置されている
こう言った設計仕様の者が出来るかとメーカーと繰り返し繰り返しやりながら出来てきた
理化学研究所はプロジェクトマネージメントですからスタートした時点で30名位 延べ1000名位
CPUのチップのなかの設計、それを繋ぐネットワーク、搭載するプリント板、それを入れる框体、冷却するモジュール 全部作った
京で一番苦労したのはCPUとそれらを繋ぐネットワークですね(富士通が担当)
ネットワークについてはモデルが無かった 8万数千個を繋ぐのに、高速に計算できるようにしなくてはいけない 伝送路なので誤りが有るので訂正して送るとか、どこかが壊れてしまうとシステムが止まってしまうので、どこかが壊れても止まらないように、バイパスして動かすような仕組みが必要
(高速のデータ転送が必要、誤りの検出、どこか障害が起こってもそれを避ける仕組み)
ゼロからそう行ったことを作った 結果としては巧く出来た
設計の自動化は進んでいるが、回路の動作 をシュミレータが有って不具合が有るとシュミレーションする
京のスーパーコンピューターを作るのにもスーパーコンピューターが必要
なるべく不具合が無い様な設計をしないと、日程が崩れてしまう
作ってみないと本当に解らないので、見極めるのが極めて難しい
不具合が比較的少なかった 量産 ゴーを掛けてから不具合が見つかると大変なことになる
CPU8万数千個作ってから不具合が見つかると、8万数千個直さないといけない
コスト的にも大変なことになる 1個10万円とすると8万個で80億円 設計変更して直すのに半年が必要になるが、今回はなにもなくできた
小学校の頃は北海道の中に育った 受験など何もなかった 勉強など殆どしなかった
高校に入ってから数学は好きだった
中学のころまでは医者になろうと思っていたが、血をみるのが駄目だった
父親が早く亡くなった、伯父のもとで育って、伯父が医者をやっていたので当時はそう思っていた
東大、電子工学科を選んだ(昭和37年) 大学院でコンピューター関係にはいる
大學の講義が面白かった 先生からトランジスターをやるから何でもいいから、何か作ってみろと言われて、ゲーム機みたいなものをつくろうと思ったが、動かなかった(面白さを実感した)
NECに入る コンピューターの開発部門に入る
上司からこれをやれという事でコンピューターを設計するためには作る為のツール(コンピューターを使って設計する為のソフトウエアを設計する)が必要なので そのソフトウエアの設計をやった
汎用大型機の設計 (アーキテクチャー)をやってきた
1980年代のはじめ 航空宇宙研究所 1ギガスーパーコンピュータをやらないかとの話が有り富士通、日立、NECに声が掛り、航空宇宙研究所と一緒に細かい開発の研究を始めた
形になったのが1985年だった SXシリーズとして製品化 当時世界で一番早かった
クレイ賞 スーパーコンピューターの開発に貢献した人に与えられるが、日本人で初めて受賞した
7年前のスーパーコンピューターの開発プロジェクトが発足して、リーダーとして理化学研究所に移る
スーパーコンピューターは技術の塊 日本の国の力は技術だと小学校の頃から先生に言われた
技術であると言う事があって、製品に活かせるものをつくろうと思った
基本的には技術開発という事が私としてはライフワークとして続けてきた
技術開発をやって行くためには 粘り強さ、忍耐に尽きるのではないか
最先端の技術開発はやればやるほど、困難さは見えて来る
1ギガスーパーコンピューターをやったときは、当時有ったのは其の1/100の速度
目先の技術では出来そうもないが、いろんな苦労をしながら出来た
京を手掛けようとしていた当時は とてもとても10ペタはできるような状況ではなかったが、
10ペタができた
次世代のスーパーコンピューターは 単に性能を上げると言う事は出来ると思うが、制約条件
消費電力を増やさないで100倍のものを作ろうとすると、極めて大きなチャレンジ
今すぐ解が見つかると言うものではない チャレンジしてみないと駄目