山内宏泰
気仙沼のリアスアーク美術館は2年ぶりに、リニューアルオープンします
美術館は高台に有ったため、津波は被害はうけなかった
津波は過去の出来事ではなく、これから起こることとして、津波被害の常設展を新しく設けることになりました 自らも被害に受けた事も有り、資料としての瓦礫集めをしてきました
被災したものは被災物と言っている(瓦礫とは云わない)
瓦礫:つまらないものというような意味(こういう呼び方には抵抗が有る)
自転車、ビデオカメラ、等生活してきたいろいろなもの 子供のおもちゃ、ぬいぐるみとか収集した
①津波のエネルギー、破壊力は口では伝わりにくいので、解り易いものも収集(電柱の壊れたもの、鉄骨とか、)
②生活の痕跡 暮らしが見えるようなもの(炊飯器、洗濯機とか家電製品、机、椅子とか、ものはそれほど壊れていないが、生活が壊れたもの )
これからも続くはずだった、時間、生活など 日用品から滲み出てくるこの
ぽつんと炊飯器のみがあり、蓋を開けると真っ黒いヘドロが入っており、ヘドロを捨てようと思ったら下の方に真っ白いご飯が入っていた
(これを見ていろいろ生活の状況等を思い浮かべてしまった 古いデザインで20年前のものと思われる8合炊きだった かつては大家族の家の炊飯器であったろうと思った )
温かい食卓を象徴するような風景 一つのツールとしての炊飯器かなと思う(それが壊されている)
気仙沼の人口減少を表すようなもの
津波は恨み様のない自然現象 毎日の生活のなかで、ある風景 明日にも同様に津波にであうであろう場所は日本のどこにでもあると思う
津波に遭ったことの無い人達は、どこかで自分達の話ではないと言う様な感覚が有ると思う
解らない事が解る様にして行かないと災害に備える事の心が育たない
明治三陸津波(明治29年) 昭和三陸津波(昭和8年) 37年しかたっていない
昭和35年にチリ地震 (27年後) こんな経験をしてきた地域の住民ですら、実をいうと震災まえには、こんなことが起きると思っていなかったし、想像もしていなかった、聴いてもいなかったと言う人が大勢いる
今回は明治と比較すると 同等かという様なレベルであり、決して想定外では無かった
明治。昭和の地震の伝承できない環境が有った
チリ地震の時には津波警報が有るのにも拘わらず、サーファーが1000人出掛けたとの話がある
明治、昭和の津波の情報は美術館で資料展示はしていた
展示をして危険をどう逃れるか、自分達が築いてきた文化をどうやって守って行くか
海とともに生きる 意味とは離れられない と同時に津波とは切り離せない
危機意識は高くは成ってきたが、まさかではなく、常に起きるんだと言う意識が必要