中下大樹
大学でターミナルケアを学び、宗教者として、ホスピスで看取りの仕事をしました
そこで多くの末期がんの患者に出会い、その後、在宅での看取りを始めるとともに、自殺や貧困、孤立死などの問題に取り組む、超宗派寺院ネットワークを発足しました
これは宗派にこだわらず、布教を目的とはせず、社会的に孤立した人々の駆け込み寺として支援しているものです
東日本大震災では、いち早く現地に入って、遺体の搬送や葬儀に係わり、残された人々の心のケアに携わってきました
そこでの日々は宗教者としての自分自身の有り方を問い直す、厳しい試練の場であったと言います(東日本大震災で何を見たのか)
九段会館で卒業式で地震に出会い、そこで天井が落下して、先輩に当たる2名が亡くなった
東日本大震災は突発的な死を我々に付きつけた大事件であった
死というものをどのように受け止めて良いのか分からない(人間は遅かれ早かれ残念ながら必ず亡くなることを付きつけた そういった意味で我々社会が死とどう向き合うのかという事を同時に付きつけたのではないかと思う)
最初に遺体安置所に入りました 友人が石巻で亡くなって、御遺体を見に行くと同時に、東京から大量の棺と遺体をくるむ布を持って行った
まだむき出しの洋服を着て、裸足のままで私の方に一斉に足の裏を向けている状況でずらーっと何百体も私の方に向けていた(津波により靴を取られていて泥にまみれている
紙が一枚貼ってあって、何月何日どこそこで発見 何歳ぐらい 検死を御願いします)
その光景は今でも忘れられない 普通の考えでは理解できない
いまでもはっきりと思いだされるシーンがいくつかある
3月下旬 或る瓦礫の撤去をやっていた 人間の腕が出てきた 腕を掘り起して瓦礫から引き出した その時に自衛隊の方々が10人ぐらいいた
御遺体に向かって整列をしてさっと敬礼をした
トップの方が御遺体に向かって行って、毛布を御遺体にかけてこう言った
「お疲れ様 やっと楽になったね」と御遺体に語りかけた
日本人は無宗教と言われるが、宗教的な感性や感覚というものは被災地では多くの方が持ち合わせていたと思います
本当に死が終わりであり、無になると言う事であれば、遺体に向かって話しかけても意味がない
でも私達は御遺体を前にすると、無意識のうちに頭が下がり、手を合わせそして「痛かったね 大変だったね 辛かったね」と思わず声を掛けてしまう そういう現場が沢山ありました
自衛隊の車が御遺体を何体も運んでゆく時に、周りの人達は車が見えなくなるまで合掌して頭を下げていました そういうシーンが至る所にありました
御遺体を前にすると、信仰を持っている持っていないに係わらず、皆さんはお持ちでは無いかと被災地に行って、つくづく感じました
壊れた家で真っ先に見つけたいと思ったのは遺牌とか亡くなった方の写真を多くの人が思っている
生き残った方の苦しみ 私達の社会は効率、だとか合理的な発想で物事を考えてしまう
会社では結果を出したり、営業成績を上げたりとか、合理的な判断で何でもかたずけてしまいがちですが、誰かを失うという喪失経験はとても一人一人に於いて大事なのであって、しかし誰かを失ったり 辛い、苦しい、とかを我々の社会は受け入れると言うよりは、がんばれ、もっと結果を出せと言う事の方が重きを置いているので、ウジウジいつまで考えているのかと、非難の対象に成ってしまう時がある
でも私達は今は元気で自分の力で歩いたり、食事をしたり、排泄したりすることのできる人は多いと思いますが、自分でもいつかは病気に成って、寝たきりになることも有りうる
その時に、経済合理主義、生産性重視の価値観がかならずしも通用するかというと、中々そうは思えないときが有るのではないか
被災地に何回も足を運んで感じた事は、人間にとって一番の喜び、嬉しい事は自分の話をうんうんと言って聞いてくれる人がいる事、それが大変大きな力になるのでは、とつくづく感じた
そうかそうかつらかったなあ、とうなずいてくれる人がそういう人が居るか、居ないか
それが明日は頑張ろうと、もう一回やってみようという力に成って行く
世の中みんなが頑張れる人では無い
社会全体に自分の話を聞いてくれる人がいる、うなずいてくれる人がどれだけいるかという事を一人一人が振り返り、すすめることではないかと思う
どれだけの時間、経済的、精神的な余裕があるかという事を、今回の震災は私達一人一人に問いなおしたと思います
私は両親が離婚して、いろんなところを転々とする子供時代を過ごしてきた
どうして自分は生れていたんだろう、どうして人間は死んでゆくんだろうと、子供の時から感じていた
付きつめてゆくと僧侶となって行く路となったと思う
親から虐待を受けていたと言う事も有るが、自分の親しい人が自殺をしている
私の子供時代で私が第一発見者だった その時に痛烈に思いました
どんなに羽振りが良くても、お金もちで有っても、なにか歯車がくるってしまうと、いきなり命を断ってしまう 命を無くしてしまう事が有るんだなと子供時代に痛烈に感じた
逆に言えば、私達は 今生きていると言う事が当たり前のように感じているが、いつか必ず終わりが来る訳です、しっかりと終わり 人が死ぬと言う事を見据える事が、かえって生きることを本気で考えるきかけになるんじゃないかと思う
日本人であれば、仏教 独学で勉強していた 僧侶と出会ってこの道に進んでしまった
仏教の原点は 人が生れて年を取って病気に成って死んでゆく
この苦しみから離脱するかという事が原点だった
人々が悩み、苦しみ、病を得て死んでゆくと言う現場 命の現場に立ち会いたいと思った
最初に就職したのが看護ケア病棟のホスピスです
家族 いいイメージも有るが 必ずしもいいイメージを持たない人もいる
虐待を受けた
家族がセーフティーネット 救いにならないケースが増えてきている
「無縁社会」という番組を2010年にNHKが放送したが、遺骨の引き取り手がない
亡くなっても誰も弔ってくれる人がいないと言う社会に成ってきている
現場で沢山の家族に接した こんな家族が有るのか、こんな患者さんが居るのか
家族、地域、会社という縁が希薄になってきているなと思う
孤立して居る人の現場にもっと係わりたいなあと思って、病院を退職して、さまざまな貧困、
自殺、孤立死の問題にもより係わりだした
日本人の7割、8割は無宗教と言われる
宗教者の役割りは、今はとても大きいと思う
縁を繋いでゆくと言うことに対して宗教の役割はとても強いと思っています
被災地で一緒に追悼法要するとか、祈りをささげると言う儀式が人によっては、気持ちを和やかにしたりとか、救ってくれることも有る
意味が解らないお経であったり、意味が解らない儀式で有っても、何かこう手を合わせて、
一緒に祈りをささげると言う行為を通して、亡き人にあの世で安らかにお休みくださいと、
心の中で語りかけたり、お墓参りをすることによって、私達を見守っててねと、
呼びかけを感じることもできる
90年代オーム真理教 をきっかけに宗教は怖い、不気味だという概念を多くの人が持っている
本当の宗教は人を救ってくれるものだと思う
生活の中に或る者として、一人でも多くの人に感じてほしい 現地に飛びこんでゆく
自分から「生、老、病、死」という本当に苦しみの現場に飛び込んで行って、人々と共に一緒に
苦しんで、悩んで、悲しんで、涙を流しながら、その方々が抱えてる痛みと向き合いながら、立ち上がる手助け、一緒に悩んでゆく中で、もう一回生きてみようかな、もう一回頑張ってみようかなという様な手助けになったらいいなと思ってやっています
患者の一人と出会う 高齢で女性で身よりの無い人 子供はいるが係わる事を拒否していた
最初私と(僧侶なので縁起でもないと言う事で)係わりたくないと言っていた
寝たきりになって仕舞って、排泄も自分では処理できない 或る時にそばに行くと、このまま死んでしまうのではないかと、そばにいてほしいとちょくちょくと話した
その方の声を聞いていました 或る時病医から自宅に電話が来る
患者さんがいまにも亡くなりそうであると言う事で私が立ち会う事に成りました
(本来だったら家族が立ち会うものだが)
行ってみると、虫の息で 危ないなあという状況だった
そばに寄って行ったところぱっと眼を見開いて自分の手を出して、手を握ろうとしたので握り返した
其の人は酸素マスクしていたが僅かな声で「ひとの痛みの判る人になってくださいねー」と言いながら息を引きとったが、その時に雷に有った様な凄い衝撃が走った
自分が今生きている訳だが、あの人は嫌いだとか、お金が欲しいとか欲望にまみれているが、自分が死んで行く時に誰かに願いを宅せるのかなあと、貴方の事を忘れないよ
遠くから見守っているよ、だから しっかり頑張ってね あんたと出会えてよかったよ
メッセージとして投げかけられるのかなと、そう言う生きかたを自分はしているのかなと、つくづく自分の事を見つめざるをえませんでした
自分はこのメッセージを大事にいきてゆこうと、人の痛みの判る人に少しでも近づこうと、
それが大震災の時、現場に自分を走らせたり、社会の様々な問題に立ち会うきっかけに成ったのかなと、改めて思います
毎月、被災地に入っている 3県でそれぞれ全く違う
大事なことは「忘れてはいけない」と言う事 明日は我が身かも知れない
人間の愚かさをつくづく思い知らされた
作家 吉村昭 地震、津波についての事 克明に記してあるが届いていないのが残念
当事者に成らないと中々見えてこない事が沢山有るが、誰しもが当事者になることが有る
事件に巻き込まれる、事故に遭う 事は誰にも有る
当事者の気持ちを想像する
想像力が問われていると思う(もし自分が被災者になったら)
鎮魂、祈り 気持ちを癒してゆくためには、宗教的な儀式が人の心を救ってゆくためには大きな役割を果たすのではないかとつくづく感じた
儀式通して、前に進んでいく区切りの様なものに成って行くんでは無いかと思う
被災地の方々、2000人にお聞きしました
助かった方 真っ先に津波が引いて駆け付けたところは、自分の家、職場に賭けつける 次は先祖代々の墓 次には地域にあるおみこしの場所
どういうことかというと土地のお祭りがとても昔からあったもの
陸前高田で有る男性が言った言葉がある
「高田に生れた男は地域の神輿のいい処を担いで、「しょうごないん」?となって地域を守るんだ それが粋な男だ」
地縁、昔ながらの繋がりをだいじにしていることが東北ではまだまだ残っている
「生、老、病、死」の手助けが出来ればいいなと思っています