2013年3月3日日曜日

戸田奈津子(映画字幕翻訳家77歳) ・時代を作った女たち

戸田奈津子(映画字幕翻訳家77歳)    ・時代を作った女たち
津田塾大学英文科を卒業 映画関連の仕事に就こうと門をたたき続けたが、当時の字幕翻訳
の仕事は少人数の男性ばかりの職場
そこで外国映画会社の通訳のアルバイトをしているうちに、大きな転機がきました 
戸田さんが志した時代には夢がかなうには永い月日が必要でした    
第1回淀川長治賞受賞  「字幕の女王」とも呼ばれる

最近は映画はみる機会が少なくなってきた  今は趣味が合わなくなてきている 
効果に映画は音楽が全編に流れていて、音楽だけでもシーンを思いだす      
この頃の映画は展開が早い
映画を見始めたのは戦後3年ぐらいで解禁になった  海外の映画は半分はヨーロッパ 
後はアメリカだった  小学校から映画を見始めた  別世界が有る事に吃驚した
掘立小屋で 途中でフィルムが切れたりして10分位待ったりしたことも有った

映画にははまりっぱなしだった   
中学で英語を学ぶようになって、映画の影響で興味を持って勉強した
話したり聞いたりは映画で接触が有ったので勉強になった   
一生に一度と思って映画の場面を見ていた
大學卒業時点で どうしようかとはたと困った  
好きなものを活かせるものは無いかと考えたら、字幕があり英語が生かせると気がついた
しかし、入れてくれる処が無かった 
清水俊二 字幕で良く出て来るので、手紙を出したら、返事が来て会って貰ったが、メッセージとしては駄目だった

清水さんは字幕の第一人者だった  繋がりは保とうと思っていた  
翻訳をして生活を繋いでいた   
映画会社からアルバイトが来た  英文の手紙を打つ   
映画会社に外国からお客が来ると言うので通訳の役割を頼まれたが、会話をやったことが無かったが、何とかこなして段々 こなせるようになった(映画の内容を理解していたのでこれが良かった)
段々字幕の仕事が入る様になった  20年掛った 
(苦節何年というような感じではなかったが  楽天的)  結婚には魅力を感じなかった
水野晴郎さんと出会う  チャールトン・ヘストン等にあう  転機になったのが「地獄の黙示録」 
コッポラ監督 フィリピンで撮影(日本で途中下車した)
コッッポラ監督の一声で字幕をやらしていただいた   これがブレークした これで人生が変わった  
全然くれなかったところからも、話が有り 無茶苦茶忙しくなった  1週間から10日しか時間を
くれなかった
CGでは封切りの間際まで画面をいじるので(フィルムではないので)、時間が無くて 字幕の仕事の条件が悪くなった
現在は字幕翻訳者は20人位(7割が女性)周囲に入りたい人が一杯増えてきている 
(女性が多い)
翻訳の性別は関係ない  個性は出て来る事はある(自分の事は解らない)    
原文はあくまで尊重しないといけない
万人がわかるような言葉 いかに日本語にするかが難しい(日本語の方が大変)

イマジネーションの力は大事   言葉に敏感であることは重要です
宗教を知らないといけないし、その地方地方の文化も知らないといけない  
解らない領域は専門の人に見て貰って問題点を指摘して貰う
頭の中が1週間ごとにドラマが有って楽しい  俳優と似ていると思う  
頭の中では全人物に成っている訳だから、感情がないと台詞に成らない
頭の中では芝居をしている    
今の若い人達は世界が狭くなってきているように思う  今の若い人は知った世界の話が好き
(お茶の間的な) 外の世界に出て行かない
好奇心が少ない様に思う  自分で決めてほしい  周囲の責任にしてはいけない