秋吉久美子
1972年女優としてデビュー 大學に落ちて、地方の予備校に行っていて、アングラを見に行っていた時に、スカウトされた
私は自然体でやっているようだが、松本監督の中には構図と、台詞ががちがちになっている
デビューははっきりとは分からない 「赤提灯」1974年 その年は立て続けに主役をやる
「16歳の戦争」
文学少女だった 日本文学 芥川龍之介が好きだった 女の人が垢ぬけている
垢ぬけたいのがテーマだった
「晩夏」という映画に出た時に凄く自分の中では一番伸び伸びできた
田中絹代のいろいろな役を演じた時 田中絹代の私生活を演じた時に何だと思ったことが有った母体は一個ではないかと思った
何も恐れる事は無くやればいいんだと思った 上からの俯瞰のマップが見えた
其の瞬間に物凄い楽になってしまって、すべてが人生なんだと言う感じ方しかしないようになってこだわりを捨てた、節目だと思った
1日衣装替えを28回して、頭をいろいろ変えたり 16歳にもどったり、1日の中で16歳~65歳までこなしたり、めちゃくちゃで頭の中が、 徹底的に嵐の中を経験した
サンフランシスコに留学する 「深い川」が入っていたので長く続か無かった
1年間(5年間の学生ビザをとったが)だけだった 楽しかったが
宿題がでて、皆の前で発表することがあって、周りから拍手されて、もてる
人間としての女優という隔離された一つの幻想というか、バーチャルな存在 向こうに行くと人間同士の付き合いが出来る事が有る
一人で生きれると言う存在を感じるのが好き(原始人のDNAかなと思う)
胸がぎゅーっとなるのが好き
早稲田大学の大学院に入る ジャーナリストの友人から行った方がいいと言われる
文化人類学、哲学 試験が英語 硬派の人達との出会いが有る
国を通して、外の世界と係わったりする人達 交流しながら私の事を心配してくれる
修士論文のチェックをサポートしてもらう(岩手の公務員の人)
芝居とは違った辛さが有ったが、人間の交流とか大学院の日々は自分を解放出来て楽しかった
2年間 私の青春は浅はかだったと思った
教育を通すと自分が整理されると言う事が解って、恩師という言葉が初めて判った
自分が女優という役から役へ生きて行く仕事から自分の中に恩師がいて、自分は弟子なんだと言う非常に解り易い気持ちが芽生えて、いろんな先生から、いろんなものを与えていただいたと言う気持ちが本当にある
この先生は素晴らしいなと思えるようになってきた
社会にこの様に貢献できるように成ってありがとうございますと先生に素直に言えるようになった
(NHKの朝の番組に出て福島の事を話す機会が有り、話した内容について先生から褒められ
人間になるために勉強しなさいという言葉がようやくわかった(ひょっこりひょうたん島の歌詞の中にある一節)
大学院のクラスメートとは今も飲む機会が有り、凄く楽しい開放感のある時間を過ごす
事が出来る 学問は活かさないといけない
自分の役目も多少判る様になったと言う意味で自分が努力して卒業して良かったと思う
「インターミッション」 休憩時間 耐震法を見直されて 、古いビルに勧告が出てしまって、取り壊されることになる
取り壊される中で、いろんなお客さんが来て、いろんなストーリーがオムニバスで休憩時間に発生すると言う 事なんですが、ドキュメンタリーであったりフィクションであったり、本人にフィードンバックするところが有ったり、色んな意味のジグソウパズルのような、ドキュメンタリーの様な作り話の様な、いろんな要素が一杯集まって、だけど一つの話になっている物凄い面白い話です
監督が映画評論家 とり方、台詞の言い回しがいろいろある(いろいろな監督の手法を取り入れている)
映画通で無くても面白い
それぞれ別のドラマで構成されているが、インターミッションで一つに纏まる(凄く面白い)