| 緒方正則(73歳) 人生聖書に導かれ |
| 40年ほど前 大企業に勤めながら、大阪、片野市にキリスト教の教会を作り、25年余りにわたって月曜から金曜はサラリーマン、週末は長老として、信者に説教をおこなう伝道師として |
| 2足のわらじをはき続けて来ました |
| 会社を定年退職してからは、神学校に学び資格を取って自ら作った教会の牧師になりました |
| 巡回説教者として関西や四国の教会に出かけて説教をおこなっていたが、現在は徳島県鳴門キリスト教会牧師をしています |
| 聖書は生活上の教えが見られる必要書といわれます |
| 私の家は仏教の家で祖父が熱心な仏教徒だった 初めて教会に行ったのが27歳の時だった |
| 組織の中で働いていていろいろ摩擦があったりした 中間管理職で良くしようと動いたつもりだが、私がかき回しているのではないかと気が付く |
| 聖書が指摘するのは偽善 を戒める |
| 貴方は人の欠点ばかり見つけて、文句を言うけれど他人の小さな欠点に目をつけて騒ぎ立てるが、自分自身の大きな問題点があることを |
| 貴方は気が付いていないのではないか とばっさりやられる |
| 自分の本当の面に対する目が向くようになった |
| 妹が27歳で死んでしまった 子供が一人いた それを見ていて、人間にもっと希望とでもいいますか、そういうものを提供できないかと |
| 考えた 妹の死を引き金に何かしようかと考えた 何かというのが教会ということになる |
| 死に対する克服が何かお手伝いできないかと考えた |
| 妹に対し、病院に聖書を持ち込み、病気が発見されて3か月だったので 何かを発見できるのではないかと考えた |
| 一粒の麦が地に落ちて、死ななければ一粒のままである しかし死ねば大くの実を結ぶであろう |
| 妹の死を一粒の麦にしようと思った 何かここで教会活動を起こすことで、それが多くの実りという事に繋がるのではないだろうかと |
| 考えた |
| 半年後に教会を始めることになる 私と大学生がいて、家内 3人で始めた |
| 最初借りている家がありそこを使っていた 次に自治会が集会場を提供してくれる |
| 後押しがなかったら続けられなかった その後家を購入する |
| 週一回の礼拝 一時間ぐらい 聖書の説明を20分から25分ぐらい説明の準備をしなくてはいけない |
| 難しいところがあっても飛ばせないので調べなくてはいけないので、準備が大変だった 時間が大変 |
| 周囲の人の理解がないとなかなかできない 幸い私の場合はめぐまれた |
| 仕事の関係で来られない時があったが、原稿を書いてFAXで送って代読してもらったこともある |
| 一回として休まずにやってこられた 大局観を見る力 いざ問うときの判断力 度胸 そういうものが欠けていると |
| 感じたが、それが聖書を読むことによって、教会活動をすることによって与えられた |
| 乗るかそるかの時がある 何に頼るかということになると、日常的な活動 教会との取り組み 具合 そういうものから |
| 身についてきたことがいつの間にか言っているように感じる |
| まわりのひとたちの理解はかかせなかった |
| 妻は毎週毎週 来たひとの為に食事を作ってくれた |
| 牧師になって、念願のという気持ちはない 先に実践をやってしまった関係で思いつめた気持ちよりは、やらざるを得なくなったというような感じが強い |
| 牧師やるようになる前 ボランティアというかやめようと思えばいつでもやめられる環境にはあった |
| 牧師になるということはボランティアではない、引くに引けない 責任がある |
| これは自分がやらなければならないというような感じ |
| ここで残りの生涯を使っていこうという感じ |
| 実用的な、生活上の教えはあちこちに散見される 自分ではなかなか発見できないないので、 それを |
| みなさんに 知ってもらいたいと思う |
| 「小さいことに忠実な人は大きいことにも忠実である」 |
| 日常のことをほったらかしにして、聖書を読んでいてもしょうがない |
| 危機管理 どういう気持ちで毎日の仕事に当たってゆくか 心構え、気構え |
| 「明日のための心配は無用です 明日のことは明日が心配します 労苦はその日その日に 十分あります」 |
| いやなことから逃げない 今日の仕事は今日終えてしまう 明日に延ばさない |
| 気の進まない仕事 それから先に済ませる |
| 「自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうかと心配したり また体のことで何を着ようかと 心配してはいけません |
| 命は食べ物より大切なもの、体は大切なものではありませんから」 |
| ふつうはこの反対 しかし あなた方にとって本当に大切なもの あなた方が気を取られている 着物どうしようか 食べ物をどうしようか |
| 毎日毎日考えているが それだけでは人間として生きていて |
| ちょっともったいないなあ と もう一歩出ていきたい 出て行った先に何があるか |
| 聖書の中にある そういうことを考えると 自分は今日一生懸命生きればいいんだ |
| 明日のことは明日考える それが大切だと思う |
| 自分ができる範囲で、自分の今いる場所で今ベストを尽くす こんなことではないでしょうかね |
| 宗教は怠けものを作るのではないかと考えているという誤解があるのではないか |
| これからの日本の社会が求めている人材を実は宗教が作り出してゆくべきだと考えている |
| 宗教は逃避だとよく言われるが、これはそうではないと思っている |
| 逆に足場を作ってくれる 積極的に生きてゆくために足場を作っていると思う |
| 宗教は縛るからいやだ ということがあるかもしれない |
| よく考えてみると何が自分を縛っているかというと、それは宗教ではなくて、その人の欲ではないと欲に縛られている |
| それが私たち人間の普通の姿ではないかと思う |
| 束縛から解放する それが宗教の働きの大きな一つだろうと思います |
| 宗教というと冠婚葬祭専用のように思われいることが多いのではないのか |
| あるいは冠婚葬祭という場所に押し込まれているような気がする |
| もっと宗教が働くというか、社会的に機能する場がもっと作られていってほしい |
| 引き出すときなんじゃないかなあと思っている今こそ宗教の力を |
| 日常の生活と宗教が離れていないで、毎日の暮らしに近いところで宗教が捕らえられれば いいなあと思います |
| 一つの形が聖書の中にこんな言葉ある と日々の生活のヒントになりアドバイスになるわけです |
| それを見落とさないで生きたいと思っている |