2013年3月18日月曜日

下館和巳            ・東北弁で演じる喜劇

下館和巳   東北弁で演じる喜劇
シェークスピア・カンパニーは下館さんが主宰して、1992年に仙台で発足しました
作品の台詞は全て東北弁で演じます 現在の団員は50人ほど 2000年平成12年にはイギリスの
エジンバラ演劇祭に参加、現地で大好評を博すなど、着実に実績を積み重ねてきました
大震災の時は、一時期中止を余儀なくされました 去年から又徐徐に活動を始めて 11月からは新しい作品を演目に宮城県内の被災地などで公演を重ねています
その作品が喜劇、新ロミオとジュリエットです 元々は悲劇の作品を喜劇にしたものです

初演はどきどきした コメディーなので笑ってもらわないと駄目なので
3時間の長いもの 今回は70分 ロミオとジュリエットが一旦死んでしまうが又生き返って来るという設定
私はお客さんとして観客席で見ている 全部反応が見える つぎの作品の書き手の栄養になって来ると思う
ジュリエット14歳 ロミオは17歳  御爺さん、若いこどもが見て、思いだしたといっってくれた
(学生服、セーラー服 ) 大震災前まではオセロをやっていた  
大震災で我々はもう続けられなかった 何も無くなってどうしようもないなと思った

安否の確認をしたら、全員大丈夫だった それ以上は話している事は出来なかった
時間が段々経ってきて、食べ物、生活に必要なものは何かと思い知らされた 
シェークスピア そんなことを考える人はいなかった  米、水、電気だけで生きている訳ではなくて、いままで余分だったものが必要になって来る 映画だとか本だとか
その時に、人間にとって必要なものは何なんだろうと思うようになった
無駄だと思っていたものが実はものすごく重要なものかもしれないという事を思った
劇団員を集めて、(東京、新潟等の外の人達が集まってきた  仙台の人は来なかった)
20人の仲間が集まって、話あったときに、苦しみを話す  浄化何ですね
皆で共有することでほっとしていた こうやって繋がる事だけで安心するものだと思った

今は余裕がないがいつかはやってみたいと言ってくれた
2002年にロンドンのグローブ座でダイレクティングフェリーという作品をやらして貰った時に、1992年に
ワナメーカーにあう グローブ座は舞台を作るだけではなくて、いろんなものを読んだり、考えたりする
図書館も必要、勉強会も開く、学校なんだゾと言うのを想いだして、私達の目的は和製グローブ座を立てようと言うのが僕たちの発足した最初の動機だったんです
いまやお芝居もままならない、劇場?解らない さきがけて学校をつくろうよ、やれることをやろうと今は仙台市内は閉じていたので何もできない 
何が出来るかと言う事になって朗読、カウンセリング等々じゃあ始めようと言う事になって、読書会を開催することになる

「ロミオとジュリエット」なら興味を持ってくれると思った
集まってきたのはお爺ちゃんお婆ちゃん 学生 真中の世代はいない
読書会を開きつつ劇団がすこしずつ動き出した
英語で皆に声を出して読んで貰う  暗記するうちに 具体的に何をイメージするか 話し合う
お婆さんからもう劇はやらないのかと言われて、3時間で長いので、短くて、余り人が死なないで
面白いのをやってほしいと言われる
短い、楽しいとのテーマが与えられたと思った 
観客席から見ているといろんなものが見えて来る 
今までは自分達がやりたいと思って来たものを上演してきたが、お客さん本意で作ってもいいのかなと思った

どんな舞台を作っていったらいいかと、考えていたら友人が 東北だったら温泉だねと、温泉にいって文句を言う人はいない  
設定は温泉 時代は昭和30年代が良いのでは、(この時代は温かい、皆生き生きしている 何かに向かって憧れていたし) 二つの家のぶつかりあいをどうするか、 (4人で女川に行こうと言う事になり、被災後1年後に行った 変わらない状況にしばらく呆然としていた 構想を練ることになる)
シェークスピアは偉大なる盗作作家と言われた人でオリジナルな作品は余りない
ロミオとジュリエットは1595年の作品 シェークスピアは何故あの時期に原作に目が行ったのかという事だと思うんです  1595年の数年前はロンドンをペストを襲っている おびただしい人が亡くなっている
シェークスピアは自分が生き伸びたという感覚が有ったと思います
其の時にシェークスピアの中に死と生というイメージが有ったと思う

人がこうやって亡くなって行く 明日は無いよな 明日が有ると言う生活ではない
其の時に、何のために自分達は生れてきたんだろうという思いがシェークスピアの中にあるとしたら
「恋」というテーマはシェークスピアの心をつかんだと思うんです
ロミオとジュリエットには死というものが一つの仕掛けとして出てきます 仮の死 42時間(これが僕は
引っかかった)  これで再生しようとしていた 二人の恋をきっかけに 長い長い二つの家の憎しみいを溶解して溶かすことが出来るのではと、中間に立つ神父さんは思う
そのために薬を使って死なせて、死の先に光を見つけようとする
シェークスピアは死に挑んでいるような気がした(次々に親しい人達をあっけなく死なせる)

何のために生きているのか お金、名誉、・・・  でも無差別に死んでゆく
生きていてよかったなあと思えるのは何だろうと シェークスピアは恋だろうと 死んでもいいとの思い
とは 何だろう  死に対する挑戦 死に負けないぞ 
1595年当時に上演されたものには、民衆の思いが有ったと思う
無常観、怒り、いらだち、疑問を感じていたと思う
政略結婚の時代に、恋というのは当時はもっともっと結晶の様なものが有ったと思う
スペイン等で伝説になっていた物語をシェークスピアは銅から金に替えて、ロンドンで発表した
ロンドンでは命と死に向き合っていた人達が一杯いたと言う事ですね
かたずを飲んで見ていたのではないだろうか  悲劇を書きたいと劇作家としては思っていた様だ
ロミオとジュリエット(悲劇になるかなあと思いながら) 若さ(明るい) エネルギーがはちきれんばかり 
みずみずしさが有る  彼の中にある若さもそこに投入して行ったと思う