2012年9月8日土曜日

石毛直道(食文化研究者)    ・鉄の胃袋世界を行く 


石毛直道(食文化研究者74歳)        鉄の胃袋世界を行く
国立民族学博物館 名誉教授
食文化研究の第一人者 文献の研究だけでなく、実際に世界をたべ歩き、訪れた国は80カ国以上  現地の人が食べている物はなんでも食べるという 鉄の胃袋を持った男と言われる
世界を旅してたべ歩いて見えてきたもの、日本人は世界でも極めて特異な食文化を持っているという事でした  
世界でどんな手厚いもてなしを受けたのかそこから何を学んだのか、国立民族学博物館の石毛さんに聞きました

千葉県生まれで近くに考古学の大学生がいたが、その人の腰ぎんちゃくに成り 貝塚が大変多いところで、縄文時代の遺跡を中学生の頃から沢山歩いてて、新しい遺跡を私が発見したりした
当時、考古学が有ったのは京都大学だけだったので、考古学をするために、そこに入った  
もう一つ興味が有ったのは、海外に旅行する事だった(海外旅行の自由化以前)
探検部がありそこに入り、大学の先生を隊長にしてその調査の補助員としてゆくのが、海外に行くのに、一番手っ取り早いので大学の2年生の時にポリネシアのトンガ王国に行った

その頃は発掘が進まなかった頃 島中歩くと、貝塚だらけなんです 現代の貝塚なんです 
女の人が貝拾いをして、毎日のように貝を食べて裏庭に捨てる  
現代の貝塚に興味を持ったのが始まり
大学院の頃にはニューギニアのチュウギ高地を探検した  
我々が出掛ける10年前ぐらいまでは、石器時代だった  
世界で一番最後まで石器を使っていた処、未探検地域だった 
石器時代の暮らしに出会って本格的に文化人類学に興味を持った   
そこで考古学から文化人類学に変更してしまった  

助手の頃に結婚しようと思ったが金が無くて学割があった(若い学者への割引で安く飲ませてくれたり、つけで飲ませてくれたり) 
京都で一番安い飲み屋でつけで飲んでいた     借金を返すために本を書く事を思いついた  
よく売れる本を考えたら テーマは何だろうと考えたら食い物だろうと思った
それぞれの場所についての食べ物がノートに記載されていたのでそれを集めて、一般の人向けに書いた   
それが大変よく売れて思ったより沢山お金が入った
文化人類学的に食生活を研究する事をやらないとまずいと思い、始めた

食を意識するようになってから、長期の調査だと、自分で「居候方式」となずけた調査法
例えばタンザニアで調査したときには、私が調査対象にした村は神奈川県と同じ面積だが、人口はすかすかで、 狩猟採集の民族がいる 
弓矢で狩りをしてサバンナの中を移動している民族 
牛を飼ってそれを食べ物にしている民族 農業をしている民族
農業と牧畜の両方をもっている民族 の4種類の民族がいた  
そこで友達になった家に転がり込んで居候をする 
お金を払わないで、仕事も手伝いながらそこの家族が食べるものと同じものを食べる 
 
1週間居たら持ち物は全てわかる 生活を一緒にして調査する
狩猟採取民族で面白いのは焼いて食べるのが一般的 草食系の動物なら内臓をしごいて(腸とか)製造過程の糞(臭いはするし苦味がする)を焼いた肉に付けて食べるんです  
それが美味しいとのこと  
慣れないと駄目 慣れるとそれが癖になる(慣れる所までは行かなかった)
現地の人の者ならば何でも食べる  サモアで食べたパロロというものがある 
サンゴ礁にすんでいるイソメの仲間で、格好がミミズみたいなもの  パロロが実に珍味

サンゴ礁の穴に入っていて一生出ないが、 毎年10月と11月の満月の晩から8日目、9日目の夜明け前の2~3時間にポロロの生殖体の部分だけちぎれて、海に浮かんで生殖活動する  
1年でも限られた時間にしか取れない 網で取る  
毒々しい緑色 太さが1mm、長さが10cm  細いミミズみたいなもの,
うごめいている生のままライムの汁を掛けて食べる  初めて食べた私にとっても美味しかった  磯の香りで浅草海苔の香り 生うにの味とこのわたの味がする  
日本酒があったらいいなと思った
冷凍しても味が変わってしまって駄目、取れたてをたべないと駄目 

ゲテモノも食べた、コブラだとかいろんな蛇をも食べた  くせがなくて鶏の肉に似ている  
インドネシではワニの肉を食べた 癖がないいい味だった
私の胃袋を通過したものを全部数えたら、ちっちゃな水族館や動物園が作れるかもしれない
中国の雲南省の奥地で東南アジア系の民族が住んでいる処 豚の生き血をどんぶりに注いでお客さんに呑ませるのが習慣  栄養はあるが生のままだと非常に危険である
口や喉にキズがあると、そこに生き血を飲んだ時にそこからウイルスが感染する,という事知っているので、大変抵抗感があるが、お前の為に殺した豚の血だというので飲んでしまった  
大丈夫だった
食べ物を研究しているんだったら、食べることも仕事のうちだろうといわれるが、世界中の美味しいものを食べられていいなと言われるが、楽しいことは仕事にするんじゃないという事がつくづく判った
文化として調べるんだったら、美味しい物とか年に2~3回しか食べないものよりも 一番大事なのは、そこの人が毎日食べるものそれを食べなければいけない

ニューヨークの日本食の調査 懐石料理の様にぽちぽち盛るのは駄目で 皿に沢山盛付ける
アメリカの日本料理は日本に較べて、3倍の量がある
それを食べるとなると大変な量になる それを1日4回 調査の例数を稼ぐためにそればっかり続けた
麺の調査、イタリア パスタの調査 コースの中の一部 まずオードブル、次にスープかリゾット、パスタ、メインディッシュ、それからデザートをたべるというコースの一部で、コース全部を注文しなくてはいけない   
パスタをいろんなものを経験してみようと思うと、一度に4種類ぐらい注文しなくてはいけない
食べて食べて帰ったら、糖尿病になってしまった

珍味  スウエーデンのシュールストレミング  子持ちニシンの塩から見たいなもの  
普通の塩辛と違ってある程度発酵させてしまってから、缶詰めにしてしまう
缶詰めは普通、熱をかけて殺菌するが、それをやらない
そうすると空気に触れる事が無い状態でニシンが醗酵する  缶はパンパンに張れる  
猛烈な匂いなので飛行機に持ち込むのは禁止されている 
猛烈な腐敗した臭い  世界で一番臭い食べ物  
げてもの それぞれの文化によって違う

安土桃山時代に日本に来た宣教師ルイス・フロイス ポルトガル人がいた
日本の塩辛を食べて 我々にとっては魚の臓物の腐った物、腐敗したものは忌み嫌うべきものと
している      
処が日本人は肴として大変好むと 言っている
ポルトガル人にとっては食べ物のカテゴリーに入らない  
それぞれの文化によって線引きが違う 
あるところではゲテモノが別のところでは常用するという  差別すべきものではない
   
卵かけご飯  ヨーロッパの人は日本に住んで日本の文化良く知っているのに、矢張り抵抗感の有る人が多い    
生の卵を食べるのは日本人と蛇だけだという
中国人は何でも食べると言うが中国人は生卵を食べない  
中国料理は野菜でも生では食べない料理
アジアでも東アジアの食文化は箸を使います  料理法にも影響する  
料理する前から小さく切っておかないといけない  そういった料理法が発達する
汁ものにいろんな具を入れて食べるというのも、アジアで発達したわけで箸だったら熱い汁の中の具を食べる

ヨーロッパでもコンソメやポタージュがあるんじゃないか あーいった液体のスープになるのは割と新しくて、スプーンを一人一つずつ持つようになった
それまでは具が沢山のスープでそこへパンを付けたりして食べていた  
熱い汁の中に煮えた具を箸でつまんで食べるというのは、麺が発達した
熱い麺類は手で食べるわけにはいかない 
中国で出来た麺類がアジアに広がり、それが私の考え方では西アジアを通ってイタリアに入りスパゲッティの様なものになったと考える
日本の場合は 肉を食べない文化が長く続いたことで、肉を食べないという事になると御馳走は魚になります 

味噌、醤油が万能調味料として発達したということもあり、生魚を切っただけで醤油、ワサビなんかを食べる刺身は大変上等な料理  
肉を食べる料理は油を沢山使うのですが、(動物性脂肪 バター 植物油)日本というのは本当に油を使わない料理だった  
天ぷらも江戸時代中ごろからポルトガルから伝わったと言われる
脂っこい味は下品な味とされてきた  普段のおかずは野菜 イモ類は甘みがあるが葉っぱの
野菜はあまり味が無い  そこにうまみを付け加える

鰹節、昆布、干しシイタケだとか 出汁の文化が発達した 
これは日本の特色  鰹節のイノシン酸 だとか 干しシイタケのグアニン酸  昆布のグルタミン酸 と言ったものがうまみのもとに成りうまみというのは今までは甘み、苦味、酸味 塩味 4つの味が舌から大脳に伝わるという説だったが、旨味も脳に伝わる     美味しく感じる
旨味を付けくわえたりするけれども、食べ物そのものの持ち味を大事にするというのが日本料理  
あんまり肉を使わなかった料理が、今世界中で日本料理ブームになった
ヘルシーだと評価されている  
アメリカの1970年代の終わりから始まるのですが、アメリカ人が寿司を食べ始めた
健康に良いんだと話す 
本音の方を聞いてみると無理して健康にいいからたべている訳ではない、食べてみたら美味しいかったというのが一番の理由だった
自分達の文化が持っていなかった新しい食べ物を発見したんだ  
アメリカを起爆剤にして寿司だけではなくていろんな日本料理が広がっている
人間の食→世界の学者たちが食を文化として捉える事が少なかった 
1970年代の後半から食文化が始めた  人間の食文化の特徴を考えなくてはいけなかった
文化と言ったら何か 動物には無い、人間だけが持っている 
本能とは違って生れ落ちてから後、習ったりして身に付けたもの

動物と区別するいろんな考え方がある  人間は言葉を使う動物  道具を作る動物 
人間は料理をする動物 友達の霊長類を研究している自然人類学者の研究で、この頃よくわかってきたのは、料理の一部はチンパンジー、ボノボ といった高等霊長類 
料理を広く考えると 下ごしらえも含まれる 
堅い木の実を石ころに置いてもう一つ石ころを拾ってきてポンと割って中身だけをたべる 
これは広い意味での料理の一部門
しかしながら、人間の料理の一番の中心は火を使った料理をすること 他の動物は料理をしない  
人間は料理をする動物であり、これは皆さん異論が無い 
人間は共食する動物である  動物は成長したら一頭一頭自分で探してきてたべる 
集まってたべる事もあるけれども、個体が食事の単位 どこでも人間の食事は一緒にたべる
一緒にたべる基本的な単位が家族  
人間が家族を創り出した時から、人間の食事は共食という事になったわけです
日本の食文化はここ40年で劇的に変化している  伝統的な日本食ではなくて洋風 、中華風が家庭の食卓に上がるのが当たり前になったが、それだけでなくレトルト(温めるだけ)、中食
(調理済みの食べ物を買ってきてプラスチックをただ開けるだけで家庭で食べる) がかなりある  
食品産業が家庭に中に入りこんでいる
共食  一人でたべる様になる  家族と一緒に居ながら一人でたべる  
朝ごはんはむしろ一人一人で学校、出勤に合わせてたべるようになってしまった
晩御飯の時でも友達と一緒にたべてしまったり、家族で一緒に晩御飯をたべるというのは大変少なくなってきた
出来あがった食品を家庭に供給する(社会の側の食品産業)  
家庭の外で食べる外食産業  
家庭の食卓に対する 社会の食卓が外食産業
家庭の台所に対する 社会の台所が食品産業  
社会の食というのがドンドン家庭に入り込んで家庭の食というのが衰弱し始めているというのが現在の社会ですね

家族が食事の単位にならなくなるかというと、どうも後100年 200年 考えても、ならないんじゃないかと思いますね
家族以外の基本的な社会の単位は如何も出来そうもない  
家族の共食 それを支える家庭の台所もやっぱりずっと残ってゆく 
そうしなきゃなんないから駄目だと、義務感でさせるのではなくて、今までみたいに家事としてやりたくないけど料理作りしなくてはいけないという義務感を抱かなくても、そういうときは買ってきて食ってもいい訳ですが、 料理をするというのは、物を作ることの楽しみがある
 
そういった楽しみを目覚めてもらって それで今までの様に
女の人ばかりだけじゃなくて、男の楽しみとしての料理を行う  
一人だけで食べるのじゃなくて、一緒に食べる事の楽しさ、美味しさ 心理的な美味しさがある
そういったことをもう一度考えてみたらいいんじゃないかと思うのが私の意見です