2012年9月20日木曜日

多賀洋子(主婦67歳)      ・もう君を幸せにできんと泣いた夫(つま)

多賀洋子(主婦67歳) もう君を幸せにできんと泣いた夫(つま)
京都大学在学中に知り合った夫と25歳のときに結婚 夫の透さんは京都大学教授を63歳で
定年退職  その頃からアルツハイマー性認知症を発症し、去年12月に亡くなりました
およそ9年間の介護生活について、「再びのゆりかご」と「認知症介護に行き詰まる前に読む本」を
出版しています
定年退官して 教授室から書類等を1週間かかって家に運び込み、家でご苦労さん会を二人で
していた時に、私にもご苦労さんと言ってくれないのと言ったら
「何が」と言った「 1週間かかって荷物を運んだんでしょう」と言ったら 「えっ」て言う  
1週間かかって荷物を運んだ事を今日だけだと思っていて 6日間の事をすぽっと忘れていた
そういう忘れ方というのが認知症の症状  出来事を全部忘れてしまうのが認知症  
昨年に亡くなる
少しずつ少しずつ進行している   
認知症の介護している人の役に立てればと2冊の本を出版した  
講演も依頼されてしている
薬学部であったが(薬学の勉強はあまりして無かった)、文学部に行きたかった  
卒業後2年後に私にプロポーズしてくれた

やっぱり言葉は大事 亡くなる時に 「君と一緒に暮したのが一番良かった」と言ってくれた
認知症にはいろいろな症状が有る  夫の場合は言葉をつかさどる分野がしっかりしていた 
退職する直前位から 公衆電話がかけられない状態だった その後漢字が読めない、書けないと
いう状況だった 
音に敏感に成っていた 健康だったら騒音は聞き流してしまって、必要な音を聞き分けるが、
それが出来なくなっていた
騒音に耐えられなくなってきていた 引っ越しを何回かした  
人と付き合う事に対しても嫌がっていた  
散歩で向かってくる人に対して顔を合わせるのも嫌がった

人と会話をすることも躊躇される そういう症状が認知症にはある
釣りが好きだったが、仕掛けが面白いはずなのに、仕掛けができなくなってきたりして、
いちども満足に釣れなかった
退官後1年目に国立医療センターの脳外科に診察に行ったが、脳梗塞、脳腫瘍も無いし、脳委縮が
少しあるが、個人差レベルの事 今のところ大丈夫だとの結果だった
趣味の事を積極的にやって下さいと医師から言われた 
絵が好きだったので、出掛けてスケッチを書いていたが、認知症が進行するにつれて、3年後には
スケッチができなくなった
  
(目が疲れると言っていたが、実際はスケッチをする事ができなくなっていたのではないかと思う)
おかしな事はいろいろあった  私は花が好きで草花を買ってきて植えると、それを踏みつけたりもした  
そこに落ち葉を蒔いたり、小さな米粒みたいな石を気にしてつまみだしたりした
いろんな事で良く口げんかした   
夫の姉が公園で足を踏み外して後頭部を打って亡くなってしまって、ふさぎ込んでしまった
夜間譫妄 夜に非常に混乱して錯乱に近い状態になる  
(昼間に踏み切り停止を警察から注意され、罰金を払ったが 夜中に夫が突然揺り動かして
警察へ電話するといきり立って、目が据わった様な状態だった) 
 
再度病院に行こうとせきたてたが、問題ないと 言って その後行くことができなかった
早期発見が大事ではあるが、当人が拒否してしまうので、早期発見に至らず、之が最初の大きな
ハードルとなる
私自身が閉そく感に悩まされた  共感ができなくなってしまった  
(桜が綺麗だねと 言ったら どれが  とか言われてしまい)
何のために生きているのかという気分に陥ってしまった  
自分の心の中をのぞくと何かを待っている  やましい はっきりさせたくない 
夫のそういう状態から解放されたい 逃れたいと言う状態だった 
 
庭で夫がやったことを非難したら、もう嫌になった 死にたくなった 包丁を出せ  
俺はもうつまらん男に成ってしまった 前から俺は自分の事が嫌に成っているんだ
洋子 お前を幸せにしてやれん  と言って涙を流すんですね  もうはっとしましたね  
夫はある程度自分が頼りない人間になったのを自覚していてそして絶望している
それを私はちっとも気がついてあげてなかった 
 絶望も妻の私を幸せにしてやりたいと思うけれどもそれができない と思って絶望している
それなのに私の方は夫を幸せにしてあげたいと思わないでこの状況から逃げたい  
解放されたいと思っていた
そのことを夫の言葉で気付かされて、私も泣きましたね
    
それからは避難しないで受け流すようにしていたら、夫も矢張り笑顔を返してくれるようになった
ぎくしゃくした関係が良くなってきたが、私としても努力してきた 
夫が病院に行かないので、病院に一人で相談に行く  日ごろの言動を洗いざらい話した 
先生もいろいろ質問をされて  アルツハイマー性認知症であろうと言われた  
MRIを再度取らないといけないと言われた
薬もあるが、限定的である   
嫌がることをさせて絶望感に夫がなると言う事にデメリットの方が大きいと思って診断して貰って告知されるのを諦めた
私にできることは笑いあって、仲良く穏やかに暮らしてゆくことをその時点で決心した   
喉に詰まるとの話が有って それを理由に 神経内科に言った
側頭葉の左側が委縮していて中期の認知症であることが判った  
診断結果は夫には伝えなかった  介護サービスの手続きはしておいた
面接をして要介護度3 でした 安堵した 病気なんだと 不思議な安堵感がした(一瞬であったが)  
認知症 300万人