2012年9月21日金曜日

多賀洋子(主婦67歳)       ・もう君を幸せにできんと泣いた夫(つま) 2

多賀洋子(主婦67歳) もう君を幸せにできんと泣いた夫(つま)
デイサービスを利用するようになってから平安な日々を迎えられる様になった
2008年にNHKが募集されたものに募集した介護百人一首に応募した 
和歌  「もう君を幸せに出来んと泣いた夫(つま) 呆けてもなお優しい貴方」
(暗黒の3年 夫のやることに対して避難する そうすると夫も私に避難する  
私も腹を立てていた  閉塞感が有った)
施設に行った(スケッチのドライブの続きに行った)  
シルバーサービスいこいのみぎわ  代表西口和代さんが自宅を改築されて始めた  NPO法人
家庭的な雰囲気がある良い施設でした  そこに通い始めてから私達の関係が随分改善された  
引っ越した頃は人付き合いをいやがっていたんですが、通うようになってから駄洒落を言ったりして
人付き合いが改善された

どの利用者さんも長い人生いろんな苦労を重ねて、過ごしてこられた 
その利用者さんの体験や経歴を含めて、認知症の人としてだけではなくて
一人の大人として尊敬の念を持ってお世話させていただきます と言って下さった 
第一印象として信頼出来ると思った
夫には友人の家に行きましょうと言って憩いのみぎわに行った  
大学の教授だと認めてくれて対応してくれたので安心感が有った様に思う
月に1回から段々と増えてき、最終的には週4回ぐらいになりました   
夫の様子を交換ノートに書いてくれて夫の状況が把握できたので安心できた
負担軽減の為にデイサービスを始めたが、なにより本人にとっていい事なんだと、
言う風に思えるようになりました

デイサービスは家族の介護負担の軽減になるのははっきりしてますが、なにより本人が社会生活を
楽しめる残された数少ない機会なんだなと思えた
最初はやましい様な気がしたが、その後本人にとって楽しい場になると思った  
交換ノート  認知症の人も矢張り外面が良くて、外では穏やかだけれども、一番気の許せる
配偶者には怒りをぶつける
告知することに対する迷い  病気の事を告げていないことは良かった事だと思います 
傷に塩を塗るようなことはしなくていいですよね と書いて下さった
認知症の方が幸せになるには周りの手助けが必要ですよ  それがなければ認知症の人は暗い
毎日しか過ごせません
   
手助けの意味  認知症の人の不安感 喪失感 そういうものを家族の人、スタッフなんかが
ちゃんとわきまえて其の不安感に寄り添う、そういう接し方だと思います
自身は何も感じてないと思いがちですが、そうではない  
認知症になればなにもかも判らなくなる、と思いがちですが、そうではなくて 
自分がドンドンおかしくなって、来ているとうのは自覚しているんですよね
馴染みの風景、馴染みのバー、馴染みの人間関係 そういったものがドンドン失われてゆく 
最後には馴染みの自分自身さえも失ってゆくんじゃないかという不安感、喪失感におびえておられる 
認知症の方は、それを家族やスタッフの方はわきまえて少しでもその様な不安感や  
喪失感を少なくしてやる接し方は無いかと、心がけている事が大事なんですよね
2006年の年末からデイサービスを始めて、2008年の年末ぐらいまで2年間ぐらいは安定していましたが
、2008年の年末から症状が進行して 異常が始まった

スケッチブックに執着が有った様で、手当たり次第 自分の周りにあるものが自分のスケッチブック
だと言い張って デイサービスに行く時に鞄の中に取り込むんです
タオルでもスリッパでもTVのリモコンでも花瓶でも 孫のおもちゃまでも 鞄の中に取り込む  
そんなことが起こりました
羞恥心が薄れてゆくようだ いろんなところで立ち小便をする 
ひどかった時は新幹線のホームで立ち小便をしてしまった
止めても怒りだすだけ、   夫だけではなくて認知症の人によくある症状だそうで  
女性でも運動場、公園などでもいきなりおしっこをする

止めても仕方ないのでやらせて下さいと 相談した医師からの話だった(西口さんの話から)
昼と夜を取り違えてしまう  夜中に起こされる  外はまだ真っ暗だといっても、明るい 
鳥も鳴いていると言って 自分はさっさとリビングに行ってしまう
其の時に今は昼じゃない 外は暗いと説明して、判らせようとしても無理なんですね
しつこく説明しようと思うと怒りだす 同調するようにおやつをやって
之をたべたら、寝ましょうねと言って対応した  
いなくなってしまった事も有った 
一人で外に出てどんどん歩いて行ってしまった  
110番して民生委員とか消防団とか対策を取ってくれて、
3時間後に隣町まで行ってしまっていて、隣町の人が気付いて通報してくれて、保護された事が有った
その時に 手に落ち葉だとか松ぼっくりだとか軍手だとかを握り締めていた、 
手になにを持っているんですかと聞いたら、「お勉強のもの」といったんです

それには唖然としたが、 娘が注意したら、「ちょっと歩こうと思ったもんだから」と答えた 
帰り路が判らなくなってしまった
その後絶対に一人にはできないと思った 私はC型肝炎のウイルスを持っていて、検査を怠っていた  
受けてみたらウイルスのレベルがハイレベルに成っていた
入院しなければいけなかった  インターフェロンの治療は最初に2週間の入院が必要  
退院後も通院が必要  48週 続けることになる
身体がだるい 気分も落ち込む  
副作用が強いので介護と両立できませんよと最初に言われてしまった
治療を諦めようとも思ったが、共倒れになるかも知れず、何とか治療の方法を考えた

ショートステイ を考えたが、他の人の持ち物等を自分のスケッチブックだと思って取り込んでしまい、
トラブルを起こす人の世話はできないと断られた 
先生に相談したが、抗生新薬を使う事ができると言われたが、副作用が強くて外来で処方は
できない 3か月ぐらい入院したら 副作用が出るか見ながら
処方を微調整して段々穏やかになって貰う事ができます と言って貰った 
不安感、焦燥感を鎮める薬です  ためらいが有った 相談した
私が先に死ぬことはできない  夫を最後まで介護しなければならないと思って 
入院をして貰う事を決断した
夫が何にもない 何のために生きているのや と言って泣いていた   
私も入院して治療しようと決断した
薬がうまく作用してくれたようで 身体の衰弱も無く 不安感、焦燥感が静まって安定していた頃の
穏やかな状態に戻れた

わたしも元気に成って 在宅でショートステイを利用して介護しようと思っていた 
 特別養護老人ホームから連絡が有った 入所も悩んだが 入所を断ったら
次にうまく入れるか判らないので、入所を決断した  
食事、排泄、睡眠、着替え、入浴 生活の基本は施設のスタッフにまかせて、出来るだけ頻繁に面会して
ご主人の楽しまれること、よろこばれる事を、一緒にする時間を出来るだけ長く取って精神的に
支えたらどうですかと言われて、ほっとするような気持ちで決断した
ショートステイ、デイサービスはあくまで在宅介護  特別養護老人ホームに入ると 夫はそこが
現住所になる 生活は別になる
入所させた事に罪悪感を感じた 最後まで在宅介護の気持ちはあったが私一人では介護できな
い段階にきていると思った

現在300万人の認知症の人がいる  体験を通して伝えたいこと   
認知症になったからといって、何もかもわからなくなっている人ばっかりではない
おかしな言動はあるが、叱ったり、たしなめたり、正しいことを教えようとしたりすると 
認知症の人は不安感から激しく怒るわけですね 
それでは介護は難しくなる という悪循環になるわけですね  
逆に認知症の混乱した言動を之は病気なんだと家族は優しく受け止めて 混乱した言動の奥にも
人間としての素晴らしさが有るわけです 優しい気持ち、人の為に役に立ちたいという思いがある
(表面的には判りにくいが)
再発見する努力を家族は重ねて、最後まで尊敬や感謝の気持ちを持ちながら係わり続けてゆく
ならば、認知症の人は穏やかな 暮らしができるわけです

そうすると介護の方も 楽になるわけですから  最後の最後に在宅では介護しきれないと
なった時には 社会的なサービスを受けることを視野に入れた方がいいと思います
認知症になった人が新しいことを覚えることができる 「千の風にのって」の歌詞を覚えた
夫の脳は言葉の分野が障害はうけなかったようです
「何が人生の中で一番良い事だったと思う?」と尋ねた  
私の方を指さして「あんたと結婚したこと」 と言ってくれた  涙が込み上げてきた