2012年9月15日土曜日

柏木哲夫(金城学院大学学長73歳)  ・人は死を背負って生きている

柏木哲夫(金城学院大学学長 73歳) 人は死を背負って生きている
大学で精神医学を学んだ後、アメリカに留学して末期の患者を様々な分野の専門家がチームを
組んで、ケアをすると云う後のホスピス医療につながる取り組みを眼にしました 
帰国後  大阪にある淀川キリスト教病院で1973年に日本で初めてのホスピスの取り組みを医療の現場に導入し、約40年間にわたって2500人を超える命を看取ってきました
学校法人の学院長を務める柏木さんに信仰を持つ、一人の人間として命を看取ってきたことで、
見えてきた事を伺います

人は生の延長上に死があると思っていますが、現実には死を背負っているんだなと思う 
人は生きてきたように死んでゆく中、2500名の方を看取って教えられたこと
昔は家で死を迎えていた  
祖母が74歳で自宅で死を迎えました 祖母の姿を見ていて、お婆ちゃん死ぬんだなあと 子供心に実感した
今、ほとんどの死が病院の中で起こっているので、多くの人はその死というものを、実際に自分で体験していない 、見ていない

極端に言えば自分が死を迎えるときに、それが初めての死の体験であったり、家族が死を迎えるときにそれが初めての体験であったり、要するに勉強しないで実際の場面に遭遇せざるを得ない
そういう時代に成っているので対処するのが本当に難しい
心の準備なしに迎えるというのはとっても大変なこと   
年に一度ぐらいは自分の死を考えるという事をされることが大切ではないでしょうかと
誕生日に死を思うという事を奨励しているのですが  大学、病院、会社 防災訓練日とか、
火災訓練日がありますね  一度も発生していない 発生率 ゼロ
発生率ゼロの火災に対して 年に一度準備をするわけですから  死というのは発生率100%ですから必ずおとずれる死というものを年に一度ぐらいは考え、それに対して準備をするというのはごくごく当然のように思えるのですが 私は自分の誕生日に死を考えている
 
遺言を都度書いている
死というものは、この世との別れではあるけれども 同時に新しい世界への出発であると、いう風に思ってますので、我々の仕事は この世をこちら岸とすれば新しい死後の世界は 向こう岸ですね  きちっと向こう岸に渡さないと 苦しまれたら困る 
ですからちゃんとこちらで専門的なチームを組んで 大きな良い渡し船を用意して、乗っていただいて こちら岸から向こう岸にお渡しする 良い渡し守になれば人々の役に立って、喜んでもらえるという風に思っています

私の信仰というか 信じているものとの間にそういう関係はあるかもしれない
大学2年生の時に初めて教会に行った  現役で入ることにしていたが、少し成績が伴わなくて、
浪人をしまして、浪人の反動で大学1年生の時にはダンス、麻雀してみたり、ちょっと真面目に勉強しようと思わなくて、1年生の終わりに なんかむなしい 満たされないという気持ちがしてきた
そんなときに熱心なクリスチャンが居て、教会に来ないかという誘いが来て、ある時クリスマス特別集会が有って ふっと行く気になった
宣教師がたどたどしい日本語で一生懸命にイエスキリストの誕生の話をしていて、内容は判らなかったが、一生懸命さに感動した

今まで見たことの無いような笑顔をした人を見かけた  
今の自分のむなしさを埋めてくれるような場所かなとふっと感じた  教会に通うようになる
5年ぐらいかかった 科学的な思考であったので判らなかった  
牧師が奇跡の話をしたと同時に罪の話をした sin(罪) 私が中心に有るでしょう  
人間は非常に自己中心的な考えをするので 自己中心 私が中心だと思う事が罪なんですと 
罪はいくら努力しても自分で解決する事は出来ない
それはある意味で 罪から解放されるのは奇跡的なことなんだと それは我々の罪を背負って
十字架にかかって下さったイエスキリストを信じることによってのみ、その罪の問題は解決するんだと言われた ポコっと開いていた空間が段々埋められていったという感覚が有るんですね

自己中心性 自分が自己中心的な人間で 自分の努力では解決できない という気持ちで  
自分でどうにもできないという気持ちを神が埋めて下さる という
そういう感じがしたんですよ  
それで自分では自己中心性というものはどうにもできないので、これは神様に何とかして頂かないとどうにもならないと思ってそれが洗礼に結びついた
当時川で洗礼を受けた(11月末 みぞれの日)  川に全身を浸して洗礼を受けた  
出来るだけ長く浸かっていたら罪が洗い流される様な気がした
今から考えると奇妙な考えかもしれないが、その時は本当にそう思った

水から上がった時にほかーっとした  生れ変わったと思った 私の人生の中で本当にドラマティックな日でした
1972年 リエゾン(橋渡し)精神医学  医者がほかの分野(内科で 透析を受けている人  
外科の手術の前の患者 婦人科でお産の後精神的にちょっと不安定になった人 とか) 他の科で精神的な問題を持っている人とそういう人を診療する
精神科で外来で待っていて来る患者さんを見るだけでなく、出掛けて行ってみる 
それをリエゾン(橋渡し)という
その中で初めて末期の患者さんのチームアプローチを体験した 
あと1月の命という患者さんに対して、医師 ナース ソーシャルワーカー チャップレン 多くのボランティア
薬剤師 栄養士 という人達が集まって患者さんの検討会をする 

 この患者さんにとって今何が一番大切なのか どういうケアをしなければいけないのかを本当に一生懸命討議している
初めて体験した時に 非常に不遜な考えだったんですが 1月で亡くなる患者さんに何故こんなに熱心にやるのと思った
疑問を言った時に、一人のナースが この人は今までアメリカの為に家族のために一生懸命生きてきた 今あとひと月ぐらいでこの世を去ろうとしている
最後の一月を その中でどのように過ごして頂くのか、どのようにして苦痛をから解放されて、
良き最後を迎えられるかを皆で考えて ケアを提供するのはとっても
大切な医学看護の分野だと思うと言った   
本当に素晴らしい事をやっていた 
 
独立した病棟でやっていた(明るくて 広くて 静かで 温かい)
5か所位回って 如何しても日本にこの様なものをつくりたいと熱い思いを持った 
病院をつくる(2億円)のに借金ではなく、 寄付と献金で賄いたいと言った  
それは甘いと言われた  開き直って 「要とされるならば 天の窓が開く」と言った 
ホスピスの病棟をつくる  2500名の患者を看取る  
2週間ぐらいの間をおいてみ取ったのが対照的だったのではっきり覚えている  72歳

すい臓がんの末期患者 倉庫会社を一代で築いた人  豪邸が有って 乗用車が2台あって 
非常にお金持ちの方 地位と名誉と財産がある
その方が入院されてきた 物凄い痛みがある  直りたいという気持ちが強くて 死にたくない 
この痛みを何とか無くして治療を受けて直したい
死ぬという事が全然受け入れられないような状態で入院されてきて、一番やって貰いたいことは痛みをとって欲しいとのことでモルヒネを打って幸い痛みはとれた
すい臓がんは下り坂になるとどんどん悪くなる 

死に対する恐怖感が凄くなって 何とか助けてくれと言って すこしでも不安を和らげることは出来ないか、恐怖感をちょっとでも少なく出来ないか、苦労したんですが 不安、恐怖感を解決しないままに、身体的な痛みはとれるのですが、心の痛み 魂の痛みは随分有ったと思うんですが、
切ない看取りというんですか 不安、恐怖感を解決できないまま亡くなった 
そういう風な患者さんでした
末期というのは其の人が付けてる衣が全部はげ落ちて、魂がむき出しになる 
そういう時期だと思う
この方は入院してこられたときに、素晴らしい衣を付けていてピシッとしたスーツを着て絹のネクタイをして、 入院と同時にパジャマに着替えますね 

そうすると衣は剥げ落ちる と同時に社会的な衣もはげ落ちる
倉庫会社の社長 名誉と財産 そういう社会的な衣も全部はげ落ちて、魂がむき出しになる
むき出しになった魂に平安が無かった 死の恐怖 不安にさいなまれながら亡くなっていった 
どう対処していったらいいか判らないままに切ない看取りになってしまった
それから2週間後に72歳の肺がんの末期の女性  クリスチャンだったんですが、
入院してこられたときに呼吸が苦しくて せいぜい2週間ぐらいかなと思った
私は1週間 か2週間で神様の元にいけるかと思いますが、それはそれで嬉しいんですが、
何ともこの息切れが苦しい、辛いんです

これさえ取っていただければ嬉しいんですといわれ、モルヒネとステロイドを開始した 
2日して随分良くなった
しかし、衰弱はどんどん進んで行って 1週間目ぐらいに回診に行ったときに、
明日ぐらいの気がしますと小さな声で言われて、私先に行っていますから先生も後から来て下さいねと言われて「ハイ」と言ったんですが、それから2日ですね 
段々意識が無くなってき始めたが 最後まで意識はしっかりしていた
娘さんに「では、行ってくるね」と言ったんです 
 娘さんも「お母さん、行ってらっしゃい」と言ったんですね 
隣の部屋に行くような感じだった

思ったこと  再会の確信が有る(二人とも 死後の世界での再会)  永遠の命の確信  
(この世の生命は終焉を迎えても あの世の命は永遠に続く)
2週間前の倉庫会社の社長さんとは全然違う   はげ落ちて魂がむき出しになった時に 
その魂に平安があるかどうか それが 一番最後の勝負の様な気がする
沢山の人を看取ってきて魂に平安があるかどうかが最後の決め手になる気がする   
身体の痛みは近代医学があり旨くコントロールできるようになった
心の痛み 鬱状態 不安等は抗鬱剤等で緩和出来る
  
しかし魂の痛み ということに関しては其の人が魂に平安を持った生活をしてきたかどうか という事に掛ってくる
問題になった人には、宗教家がいて 聖書の学び 祈り 讃美歌とか宗教的なアプローチで
剥きだしになった魂に対するアプローチで 短い時間できゅっと魂に平安を注射することは出来ないので、それまでの生活の中で魂の養いをしておかないと大変だと思います
病気で入院するのは小さな死の体験だと思う  
そういう小さな死を体験して準備をして訓練をして死にのぞむほうが、魂がむき出しになった時にちょっと魂が訓練されているというか そんな感じがする  
魂に平安があるかどうかが 一番大切ことではないかと思う 

どうも死というのは随分先に有るように思うが、入院してこられる家族の話を聞いてみると、人間死を背負って生きているんだと思うんですよ
62歳の肝臓がんで亡くなった人 主人は本当に会社人間でずーっと会社の為に働いてきた 
ようやっと定年で之から二人で温泉にでも行こうかと思っていた矢先に癌で倒れた 
60歳過ぎに卵巣がんで入院してこられた奥さんのご主人との会話で  家内は3人の子供を本当に育てて呉れて、私は外に出っぱなしだった

去年娘が結婚をして二人きりになれて 温泉にでも行こうと思っていた矢先に癌で倒れた   
私は勝手に「矢先症候群」という名前を付けた
生の延長線上に死があると思っていたが、実際は死を背負っていたんだと  一枚の紙の表を生に例えるならば、紙の裏に死というものが文字通り 裏打ちされている
一枚の紙が風の吹き具合によって、ふっと裏返ったら ちゃんと死が裏打ちされていたなと  
そういう感じがする
阪神大震災の時に 係わった経験  西日本脱線事故に係わった経験  ご遺族のケア 東日本大震災のケア 災害とか震災とかに 各段階によって、提供できる医療 ケアは段階的に考えないといけないと思った

JR西日本脱線事故の場合は駆けつけた医師が少なくて助からないと思った人には手当ができないままに助かる可能性がある人の治療 そこにあるのは技術力なんですね 
上から下に差し出すことが必要になる
其の医者のパーソナリティー、親切、思いやりとかは問われない  
その人が技術さえ持っていればいい  処が其の修羅場が収まって、被災地で一般的な医療が
必要になった時 例えば高血圧で悩んでおられた方が血圧の薬が全部なくなって 物凄く困っている、其の時に診察に行く医師は技術力プラス人間力が必要

これは支える医療(『差し出す医療ではなく) 下からの支え    今は寄り添いのケア  
寄り添いが必要  横から むしろ人間力が必要 人間力を持つ人が横から寄り添う
その人の自立性みたいなものを信じているから寄り添える  信じて無かったら寄り添えない
とっても大切なこと  背負う  背負うというのは人間にはできない  
震災で今辛い状況にある方を、私が背負いましょうということはできない
これは人間力ではなくて神の力というか  上よりの力というか 私には背負うことはできませんが、貴方から辛さ、悲しみを背負って下さる方はおられるんですよ、という背負う事ができる神の力をしっかり伝えてゆく といういわば宗教的なアプローチがこれからは大切になるのではないかと思えてしょうがない

仙台にカトリックの神父 プロテスタントの牧師 仏教のお坊さん  神道の神主さん  が宗教を越えた人達が心の相談室をつくっている
その人達の一番の仕事は 我々には貴方の苦しさを背負えないけれど ちゃんとそれを背負って下さる人はおられるんですよという事を伝えるという事が大きな仕事に成ってくるんではないかと思う
①差し出す ②支える ③寄り添う  ④背負う  の4段階があるのではなかろうか    
死を避けて通らないで、蓋をしないでしっかり見つめる  死は誰にでも訪れる
ごく自然な現実としてしっかり見つめる  という事をやっぱり一人一人がしてゆく必要がある
毎日毎日 死を想えというのは酷かもしれないが、年に一度 誕生日に自分の死をしっかり
思って下さいというのが 私の最低限のお勧めです