2012年9月12日水曜日

土方正志(出版社49歳)     ・被災地からの挑戦

土方正志(出版社49歳)   被災地からの挑戦
3.11以前を伝えたい 東京でフリーライターや編集の仕事をしていた土方さんは12年前に仙台に移り、
出版社(有)荒蝦夷を7年前に立ち上げました
去年の大震災時は仙台市内の事務所が傾き、自宅も全壊する被害を受けた 作家や書店 読者に
背中を押されて 出版の仕事を続けています
被災者の立場に立って 3.11以前をどう伝えたいのかをお聞きしました
復興という言葉が使われているが、まだまだ程遠い状態だと思います  
阪神が復興宣言したのが10年目ですから  
まだ1年半なので 復興の道のりの第一歩を踏み出したか、踏み出すところかもしれない  
まだ一面の荒野ですよね
以前の街を考えるならば全然まだまだですね  場所によってそれぞれ違う  
元に戻すことと何か新しく変えなければいけないんじゃないか そのバランスのいいところで変えなければ
いけないと思う
仙台に住んで12年になる 出版している頃も災害報道をしていた  フリーライター、編集者を含め東京では
15年過ごす(普賢岳が最初)

麓の街が壊滅した 其の取材が最初  奥尻島の津波、阪神淡路大震災、三宅島の噴火 
有珠山の噴火 ・・・ずーっと災害の取材をやってきました
一旦自然が人間に牙をむけるとこの様になるのかと思った 自然の脅威を覚えた 災害は日本列島
に暮らしている限り だれでも被害者になる可能性があると思った
戦争も無く平和だと言うけれども、災害の歴史を考えてみるとこの67年間 災害でどれだけの人が
亡くなり、 どれだけのお金が亡くなりどれだけの街が壊滅したのか を考えると
ちょっと空恐ろしくなると、ある地震学者の方が言っていました
減災  被害を最小限に減らすために如何したらいいかを考えるようになった   
繰り返すことをどうやって記憶にとどめるか

当時 一旦 山形に避難した 「仙台学」を出版していたが 3月末に原稿依頼した 
この時点で考えていることを書いてほいいと依頼した
東北ゆかりの17人が、震災への胸の内をつづった特集号「仙台学」11号を4月下旬に発刊
東北在住だった人は生々しい経験  東北に故郷があり現在は東京とか大阪とかに住んでいる人達
は焦り、いらだち、やるせなさ を書いて頂いたようです
ストレートにみなさんが原稿にぶつけていた  被災地のそとでも被災地の事を思っていてくれるのだ
という事が判った
赤坂憲雄 民族学者  東北学を立ち上げる時に一緒に仕事を立ち上げた  
聞き書きは其の時からやってきた
今回も震災が有ったこと  経験をしたことを記録に残しておかなくてはいけないと 一般の人達に
片っ端から聞いて書きこんでいった

最初の一年で100人の人から聞いた その後も続けている 被災体験だけではない  
被災前にどのように生活をしていたのか 被災の時にどういう経験をしたのか
そしてどのように考えているのか 其の聞き書きなので長くならざるを得ない  
そうならないと全体が見えないのではないかと思った
20年後30年後に役に立つためにはその様に聞き書きする必要があると思った  
被災地を生きてゆくのはどういう事なのかというところまで考えないと
災害列島に生きる上で役に立つ記録には成らないのではないだろうかと考えた
明治(29年)と昭和(8年)の津浪  聞いたということはあったが、やっぱり切実には思えてはいなかった 
其の事が今回の聞き書きを3年 5年 10年とやっていきたい しつこいほどやれば皆さんの身体に焼きつく
のではないかとの思いがある

災害 根こそぎという事では 明治、昭和の津波も同じ  明治にしても 昭和にしても 木造家屋で
根こそぎ持って行かれたけれど、今回は鉄筋、高層で
人間社会の暮らしが違って来たんで被害が大きくなってきている   
建物とかが凶器になってしまう
木造家屋の方が生存率が高い しかし火災に対しては弱い    
どのように被害を少なくするにはあらゆる角度から考えないといけないので、難しい側面がある
これからの街作りは 逃げるのが一番なんだけれど 逃げ方 頑丈な建物をつくってそこに逃げるだとか
1年目にこう思っていたのが 状況が変わってくるのでそれから半年なり、1年経つとまた考えていることが
変わってくる 

神戸の被災者にあったが、1年目と2年目 3年目が矢張り違ってくる  
1年目の時にはここまで来れば大丈夫だと想ったが、その後いろんなことが起きてきて
やっぱりまだ駄目だ と2年目の時に思う  2年駆けて来たんで大丈夫だと思ったが、矢張り又いろんな
ことが起きてきてまだ駄目だと新たに感じてしまう
(取材に来てくれた時にもう大丈夫だと言っていたが、経過してみると 俺達何にもわかっていなかったと
感じる)
被災者というのは矢張りその様なものだと思う(神戸の被災者を取材してきて)   
2重ローンの問題とかいまだに引きずっている
街が復興することと、被災者の生活とか気持ちが復興するとかは別問題なんだと思います
今の神戸は以前住んでいた神戸じゃないよと言う人がいる  復興とは何だろうか

有る建物が有って、そこに何らかの思い入れがある方たちにとってみれば、以前の建物が壊滅して
しまって新しい建物が建つということは、違う街になって
仕舞うんじゃないんでしょうかね   そんな気がします    
自分が被災者になって仕舞って、そうかこういう気持ちなんだなと初めて感じましたね
3.11以前に  気仙沼の街で地元の人達と一緒に酒飲んで、夜ふらふら歩いて 
思い出が有りますよね  あの街が無いんだなという事ですよね
ゆりあげのお寿司屋さんとかが無いんだなとという事ですよね 
しかしあの店の記憶とかは全部残っているんですよね  
あそこの寿司屋さんで美味しいお寿司を食べた しかしそこは更地になってしまっている   
その感覚なのかな という気がする 
 
今の神戸の人の話なんかも そういうことなんじゃないかと思いますけれど  
新たに高台に店をつくって主人も我々お客も良かった、良かったと言ってお寿司を食べているのですが
、そこの店は全然違うわけですよね
それは仕方の無いことなんですけれども、あっ そういう喪失感なんだな 
被災地の人達が抱くのはと初めて自分がその立場になって初めて判りましたね
災害以前にそこに有った生活ですかね 営みですかね  
それがそのまま戻ってくることなないんですよね
それが一番大きいのかなという気がします  
多分仕方の無い事だと皆思っていますけれども、復興ってなんだろうなと、
理屈では割り切れない感覚というのでしょうか
それがやっぱりどこかに有るんじゃないのかなという気がします 
 
震災直後、1年、2年、3年その都度考えが変わってくる  そうですよね それは仕方が無い  
変ないい方かもしれないがそれが復興なのかもしれませんよね
忘れてゆくということも、もしかすると人間の心の大切な働きかもしれない   
といいながらも忘れたくない、思い出としてちゃんと残してゆきたい
記録としてのこしておきたい    
地元の出版社だけじゃなくて いわゆるメディアの役割なんだと思います
聞き書き 100人にやりましたけれど、初めて会った方も居ますが、実は震災前からずーっと 
お付き合いしていた方たちもいるんですよ
だから当然震災前の暮らしも知っていて、今回被災されてじゃあ今どうしているのか 
地元の出版社だっただからこそと思っている
地元の出版社だからこそ、東京から取材に来た人と話すのとは、どう接してくれるかというのは
全然違いますから、やっぱり地元の人間の仕事だろうなあと思いますけれども
寄り添うというより お互い 生活体験で、くんずほぐれつの世界でやっている処がありますんで