2025年3月4日火曜日

米田穣(東京大学総合研究博物館 教授)   ・人類学と考古学 その境を越えて“科学”する

 米田穣(東京大学総合研究博物館 教授)   ・人類学と考古学 その境を越えて“科学”する

米田穣さんは現在55歳。 東京大学総合研究博物館 教授で人類学者ですが、科学的な手法を開拓し考古学の分野でも多くの業績を上げています。 米田さんは考古学者と共同で発掘調査にも加わり、同位体分析と言う科学的な手法を用い、人骨のほか縄文土器に付いたおこげからその年代を正確に測定し、食事内容やと調理法、更には暮らし方などもあきらかにしまた。   こうした業績が認められ2019年には著名な考古学者濱田青陵の名を冠した賞を受賞しました。 人類学や考古学のジャンルを越えて新たに考古科学の世界を切り開こうという米田さんに考古学者との共同作業から得たもの、今後の夢などを語ってもらいます。

私が中学生の時に理科を担当して下さった先生が、大学で霊長類の研究をしていました。  聞いて霊長類の研究は面白いと思いました。 霊長類の研究は京都大学が長い歴史を持っています。  東京大学では生物学科に人類学という専門分野が入っています。  人類学の中に霊長類学があります。  ネアンデルタール人の研究をしている先生がいて、発掘調査に参加してほしいとお願いしました。  

我々の祖先はアフリカで誕生しました。 およそ700万年前ぐらいにアフリカから人類の化石が見つかっています。  人類の生物学的定義は直立して二足歩行をするというのが大きな特徴となっています。  東アフリカでは山脈が形成されたことによって乾燥した草原が広がって行きました。 二足歩行の進化と言うのは、草原と言う新しい環境が現れたことと関係するのではないかと長らくかんがえられてきました。  2000年頃にエチオピアで発見されたアルディピテクスという非常に古い化石が報告されました。 二足歩行していたことが判っています。 面白いのは一緒に発掘された動物の化石はほとんど森に棲んでいる動物だったという事です。 草原ではなく森が多く残っている段階で祖先は二足歩行を始めたという事が新たに判りました。  

二足歩行を始めた時と消化器官などが進化したタイミングは、おそらく数百万年ずれていて、二足歩行とは直接関係ないという事が判っています。 でも新たなサバンナ環境になれるという事は大きな変化でした。  動物の死体を食べることは人類の祖先(猿人、原人)は始めたと考えられます。  草食ではあったが200万年ぐらいあとからサバンナという環境で動物の肉も食べるようになった。 魚などを食べるようになったのはもっと新しくて10万年前とか、数万年前のホモサピエンスになって、本格的に食べるようになったと考えられています。  環境に合わせていろんなものを食べることが出来たという特徴があります。 

私は生物としての人がどのような環境に適応するかと言うのを、主に縄文時代の骨を使った研究を行ってきました。  考古学者に誘われて一緒に研究を知るようになりました。   縄文土器は縄文時代の遺跡からは必ず出土すると言ってもいいくらい広く用いられてきた土器です。  土器のおこげも材料の特徴が、同位体という分析法を応用してみると、元の材料を或る程度推測することができる。  食べ物の傾向がおこげで知ることが出来ます。 人骨は賛成の土壌に埋められてしまうと溶けてしまうので見つかる先が限られてしまう。  おこげだと広い範囲で分析が可能となる。  

精製土器、粗製土器とに大きく分かれます。 精製土器はお祭りなどのために特別に作った土器と考えられてきました。 粗製土器は調理する目的によって精製土器とは使い分けてきたと思われる。  粗製土器は肉を調理する場合に用いられていたが、植物だけを加熱するという事にも用いられています。  精製土器は肉と植物を併せて調理するという目的に使われていた。  用途によって使い分けられていることを知ることができました。  ドングリのあく抜きなどにも粗製土器が使われていたことが確認できています。 

縄文時代にどんな調理法があったのかという事はほとんど研究されていない。 北海道と沖縄は魚類を沢山食べる。  本州周辺では陸の食べ物と海、湖の食べ物を組み合わせるといったことが特徴になっています。  意外と地域差はなかったです。(沿岸と内陸、東北と関東とか) 遺跡ごとに違う事が判りました。  遺跡周辺でとれるものを最大限に活用するのが縄文時代の特徴になります。  

縄文時代は植物を栽培する農法、動物を飼いならす牧畜はほとんどないという風に考えられています。 大きな豆などが見つかることがありますが、もしかすると縄文人が育てていたのではないかと考える研究者もいます。 弥生時代には畠の跡が見つかったり、専用の農工具が見つかったりしています。  縄文時代の後期には雑穀も見つかっています。  渡来人がもたらした雑穀を栽培していたのではないかと言う証拠を見つけることができました。 長野県の人骨から確認できました。(人骨に残されている炭素の同位体から、雑穀を食べていたことが判明) 雑穀を主食としてはしていなくて1割程度。  農耕へは連続的なものであったように思います。  

福井県三方湖の鳥浜貝塚は栗林が近くにあって、湖には沢山の魚介類がいる。  青森県の三内丸山遺跡は昔は海に近かったと言われている。  栗林は重要な資源だったと思います。  栗林が長く維持できるように管理していたものと思われます。 

濱田青陵の名を冠した賞を受賞しました。   考古学では分析的な手法を応用する手法が広がってきています。  遺物を次の世代に残す保存科学も重要ですが、分析によって得られた知識を、過去に暮らしていた人たちの生活、社会を理解するために利用する視点は、弱かったと思います。 考古学者の情報と分析して得られる情報の価値は同じだと思うので、両者を組み合わせてより過去のことを理解する科学的研究が出来るのではないかと思います。 科学的手法を考古学に生かす考古科学を展開できればなあと思っています。 自然と調和した暮らし方の考え方自体は、もしかすると争いが少なかった背景にあるのかもしれません。