2025年3月30日日曜日

中村結美(放送作家)        ・名わき役の最後を撮る

中村結美(放送作家)        ・名わき役の最後を撮る

中村さんのお父さん俳優の織本順吉さんの晩年にカメラを向けたドキュメンタリー映画「後ろから撮るな」が完成して先日封切されました。  織本さんはNHKの朝ドラや大河ドラマの出演のほか、およそ2000本の映画やドラマなどで名わき役として鳴らしました。 2017年に90歳で民放のドラマ「安らぎの里」が遺作となり、2019年3月に亡くなりました。 

「後ろから撮るな」の反応は、男性、特に年配の方は、自分自身に当てはまる様で身に詰まされるという反応が多いです。 女性は介護する立場から、同じようなことを思いましたと言う様な反応がありました。  父は90歳までドラマに出続けました。  父が認知症の症状が出始めてその証拠を撮ることで始めたと言った感じです。  撮っているうちのいろいろ面白いことが有ったりしました。  それが発展して映画となりました。 

織本さんは電気会社に勤務した後、1949年に新協劇団に入団。 朝ドラの澪つくし』をキャスティングしたことが全国に知られるようになった。  母の実家が神戸で、両親の介護が必要になり、父を東京に残して私が4歳妹が1歳の時に母と一緒に神戸に移り、父とは別居生活になりました。  父が来るのは年末年始と京都で撮影がある時ぐらいでした。  過剰に父親であろうとするワンマンなふるまいをしていました。  テレビは子供の頃から作り手として見るようなことを父から言われていました。  家族が家族になるための練習期間のようなものをせずに、また家族をやらなければならなくなりました。 しっくりこない状況はありました。   現実の父親役だけはうまく演じられませんでした。 

父は5歳で母親をなくして、15歳で父親を亡くして、その後継母と過ごしています。   晩年は癇癪を起すことが増えていきました。  筋が通らないことでも怒り出したりしました。   私は家の中の本当の父の姿を記録したいと思って撮影を始めました。  そこが意外と伝わらないのは残念です。  世間からはあんなに穏やかで優しそうで、その方がご主人でいいですねと、母はずっと言われていました。  母からは愚痴を言われる役を私はやっていました。  

私は1960年東京生まれです。  神戸育ちで、脚本家、放送作家、テレビディレクター。  高校卒業後銀行員になりました。  文章を書くことは好きで、高校では兵庫県の作文で1位になりました。  勤めの傍らシナリオを書いたりしていました。  「初めてのお使い」「ムツゴロウと愉快な仲間たち」「花よりだんご」、NHKの番組などいろいろ手掛けました。   東監督と会う機会があり、父の気持ちが判ったようなところもあって、銀行員と言う普通の生活ではなくて、ものを作る人になりたいと思い銀行を辞めました。  

「後ろから撮るな」  父は多分私がカメラを向けても、自分自身はどうにでも演じてやるわいと、どうにでもコントロール出来ると思っていたと思います。  しかし或る時に、自信が亡くなったのかなあと思いました。  それで自分の神経の行き届いてない後姿を撮るなという事だったのではなかったのかと思います。  どうしても後姿を撮りたかったです。  1月に病院に入って、3月頃には飲み込む力も弱っていました。  水も飲めなくて点滴だけで栄養を摂っていました。   撮った映像を父に見せましたが、その瞬間だけはしっかりしていました。  感想を言ってくれました。   

「どんなにうれしかったか、本人にしかわからない。  こんな幸せなドキュメントは考えられない。」 「こんな映画が出来たのはお前だから出来た。  こんな幸せな役者はいないよ。」と言っていました。  かっこいいドキュメントではないと判ってもらえると思います。    舞台の上で死ねたら本望とよく言いますが、死の間際まで中々撮ろうと思っても撮れるものではなくて、たまたま父と娘という事で、ぎりぎりまでカメラを向けられました。 それが役者として嬉しかったという思いを言ってくれたのかなと思います。  よっ 名演技!織本順吉と言いたくなるような顔でもあったなと思いました。  父も逃げずにいろいろな顔を見せてくれました。