木村肇二郎(眼科クリニック院長) ・いわきの浜で 患者とともに
木村さんは昭和15年生まれの85歳。 慶応大学の医学部を卒業した後、大学病院の勤務を経てふるさといわきに戻りました。 祖父の代から続く医師の家系で、患者の話を丁寧に聞く姿勢はちちから学んだと言います。 木村さんはかねてから治療が難しい視覚障害に人達の暮らしのサポートを続けてきましたが、さらなる活動の拠点として、4年前東日本大震災で大きな被害を受けたいわきの浜に「兎渡路(とどろ)の家」という研修施設を開きました。 ヨガ教室や音楽会、触る彫刻展など多彩な催しが行われ、今では障害の有無にかかわらず様々な人たちが訪れる交流の場となっています。
屋上からは海が一望出来て、建物は木のぬくもりがあり正面は大きな窓になっていて、外の景色はほとんど見渡せます。 天井も高くて圧迫感はないです。 福島県から建築文化賞も頂きました。 一部2階建てのバリアーフリーになっています。 視覚障害の方への様々な工夫がしてあります。 ここは兎渡路という地名です。 地名の由来はよくわからないです。 一時入院した国立病院が道路を挟んで反対側にありました。 命を助けてもらったという事でここを選びました。 国立病院は震災で内陸に移ってしまいました。 いわき全体では450人ぐらいが亡くなり、ここは80名ぐらいが亡くなっています。 10mぐらいの堤防が出来て海が見えなくなり景色が変ってしまいました。
昭和15年生1月1日生まれです。 父が大阪に勤務している時に大阪で生まれました。 実家に疎開していわきで終戦を迎えました。 小さいころはよくいたずらをしていました。 5人兄弟です。 喉に腫瘍が出来て息が出来なくなってきました。 父の知り合いの東京の病院で手術をして取り切れないので放射線治療をしました。 合併症が起きて顎の上の骨に穴が開いてしまいました。 鼻と口が繋がってしまって、今でも繋がっています。 歯も無くなり入れ顎を作ってはめ込んで今も生活をしています。(中学時代から) 毎食後入れ顎を外して綺麗に掃除をして又取り付けることをしています。
中学生の時に白内障の手術をするから見にに来ないかと言われましたが、医師になれとか言われなかったです。 でも眼科がいいかなと思いました。 父は非常に優しくておとなしくてよく説明していました。 よく話を聞いて説明するという事は父親から受けついでいると思います。 慶応大学病院に務めたのは32年間です。 大学では学生セツルメント活動と馬術を選びました。 セツルメント活動は街の中に入って行って、定住して街の人と一緒にいろんなサポートをします。 慶応大学病院の反対側にある若葉町の街で、子供たちの勉強と診療所での診療(先生たちの手伝い)を毎週一回土曜日にやりました。
その流れもあり「兎渡路(とどろ)の家」という研修施設を開きました。 サポートするためのシステムを作って、その一つとしてこの建物もあります。 目が見えなくなってしまった方へは福祉の制度の説明したり、目の見えない人用のパソコンを教えたりして情報を入るように指導します。 東京旅行するとか、美味しいものを食べに行ったり、映画を観る(説明付き)、音楽、そういったことも行っています。 診察室の枠を踏み出してサポートする、という事をやっています。(セツルメント活動の延長) 年に2回はバス旅行をし、楽しんでもらって、いろいろな話を聞くというのは、眼科医としても非常に役に立ちます。 85歳になっても元気でやってますが、妻が副院長で同士といた感じで感謝しています。 100歳を目指して同じ活動を継続していきたい。