宇野和美さんは大阪の出身、東京外国語大学でスペイン語を専攻、1995年に児童文学「アドリア海に奇跡」で翻訳家デビューして以来、児童書、絵本を中心におよそ60冊を翻訳しています。 現在JBBY日本国際児童図書評議会の会長も務めています。 JBBYは子供の本を通して平和をと言う活動を行っている団体で、良質な子供の本の普及、読書活動の推進、子供の本を通した国際理解などを図っています。 宇野さんが翻訳者になる夢を確かなものにする礎となったのが38歳の時、5歳、7歳、9歳の3人の子供を連れてスペインバルセロナの大学院に入学した経験でした。 夢を諦めない宇野さんの人生について伺いました。
昨年は6冊絵本を出版しました。 私の翻訳した7,8割ぐらいが自分で見出して提案した本になります。 日本で書かれていない本とか、こんな面白い本を日本で読んで欲しいとかそういう本を出そうとしています。 翻訳出版は言語によって大きな格差があります。 2024年に国際子供図書館に納められた児童書で英語から翻訳されたものは500点以上ありますが、スペイン語からの本は11点だけです。
2023年からJBBY日本国際児童図書評議会の会長も務めています。 去年が50周年になりました。 素晴らしい作家とお目にかかる機会もありました。 子供の本に関していろいろ話し合う事が出来たことは、とても大きな経験でした。 ボランティア活動をしていていい事は、いろいろな人と信頼関係で結ばれることが有難いことだと思います。
小学校、中学校は転校が多くて、本を読んで違う世界があることが大きな救いになっていました。 外国の作品を読みたいという思いが強かった。 中学生の頃に翻訳家になりたいと思いました。 東京外国語大学でスペイン語を専攻しました。 出版社に務めました。 新婚旅行でスペインのマドリードに行った時に、児童文学を10冊ぐらい購入しました。 2017年に「太陽と月の大地」と言う歴史小説を翻訳しましたが、そのなかの一冊でした。 29歳で出産し、そこで会社を退職しました。 その後二人を出産しました。 長男が1歳の時に保育園に預けて、翻訳の勉強を始めました。(時間的には厳しい。)
35歳の時に「アドリア海の奇跡」でデビューしました。 嬉しかったです。 翌年絵本を出版しました。 読み物とは全く別の世界だと思いました。 子供から学ぶことも大きかったです。 38歳の時、5歳、7歳、9歳の3人の子供を連れてスペインバルセロナの大学院に入学しました。 1年のつもりでしたが、2年半になりました。 須賀敦子さんが森さんに「貴方みたいな人はヨーロッパに行くといい、3人連れて行けばいいい。」と言う本の中の言葉に接して、衝撃が走りました。 そこから決心し、計画を立てました。
時間がない事と語学が厳しかったこともあり、苦しい時期ではありました。 子供がいたから頑張れたという一面もあります。 私は、「わたし」を生きるしかないんだなと、どっかで思っていたのかなあと思います。 仕事、日常で出会う人で素敵な人が沢山います。 そういう人と友達でいられるというのが、とてもありがたい気持ちがあります。 その人と一緒に話せる自分でありたいといったことの積み重ねが、自分を少しづつ上を向いて歩かせて来たといったものがあります。