2025年2月21日金曜日

鈴木秀子(シスター)           ・〔わたし終いの極意〕 老いを学びながら生きる

鈴木秀子(シスター)         ・〔わたし終いの極意〕 老いを学びながら生きる 

鈴木さんは1932年静岡県生まれ、93歳。  聖心女子大学卒。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了、文学博士。 フランスイタリアに留学後、その後国内外の大学(ハワイ大学スタンフォード大学)で長く教鞭をとる。 現在は聖心女子大学キリスト教文化研究所研究員を務める一方、生き方や仕舞に関する講演や執筆活動を精力的に行い、著書の数は170冊を越えています。 

樋口恵子さんとの対談集「何があってもまあいいか」と言うタイトルの本。 93歳の同い年です。 「高齢者は機嫌よくいましょう。」と二人で声をそろえて言っています。    30代の初め頃フランスに行きました。  こんな綺麗なところがあるんだと感じました。 修道院の院長さんが「フランスで大事にしていることはみんなが機嫌よくいる事ですよ。」と言いました。 「機嫌よく」と言う言葉がすとんと落ちました。 不機嫌はハラスメントだと思います。  機嫌がいいということは本当に大切なことだというのは歳をとるとともに強く感じるようになりました。  「まあいいか。」で切らないといつまでも恨みつらみがつながるように伸びてゆくんです。  落ち込まないための大きなきっかけになります。

90歳になってつくづく感じるのはどうやって生きたらいいかお手本がないわけです。 それに向かって鍛えておく必要があるのではないかと思います。 「老いの学校」を自分の中に作る。 先生も生徒も自分です。 特に感謝する習慣をつけるのが大事です。 歳をとると人の世話になることは当たり前ですから。  若いうちから心から感謝できるような自分を作り上げていることが必要だと思います。  90歳になって大きく変わったのは、先のことを考えなくなった。  過去のことも考えなくなった。 だからとても楽になりました。  子供は無我夢中になって今のことをしていますが、私の場合は長い蓄積と経験と英知とかが、今この瞬間に集中しながらも生きているなと言う、或る意味での喜びがあります。 花が綺麗だと思い気持も子供と深みが違います。 深く味わえるというのが歳をとってきたよさでしょう。  

私は40年ぐらい前に高いところから落ちて臨死体験をしました。  あの世は素晴らしくいいところで、人が死ぬことこんなところに来るんだということが判って、それ以来死ぬということに対する恐れは無くなりました。  5時間ぐらい意識はなかったです。 台に立っている自分をもう一人の自分が眺めているんです。  足の周りに、その時はたけのこの皮と思ったんですが、観音様の周りにそれが一つ一つ落ちてゆくんです。 一つ落ちてゆく毎に、人がなんていうことから煩わされなくなった、自分を責めることから煩わされなくなったと思って、最後の一枚が無くなって完全に綺麗になると思った時に、自分が上がって、自分を見ている自分と一体となって、高いところに行って気が付いたら綺麗な光に満ちた世界だったんです。 すべての宇宙、ありとあらゆるもの、エネルギーだとすると、大宇宙のエネルギーのおおもとの方がいて、私のすべてを許し愛し抜いてくれるというのを感じました。 人間は全部こういう愛で包まれて、皆結ばれているんだということを感じました。  あの世(自分がいた世界)に帰りたくないといったんですが、あの世に帰れば愛する事と知る事が大切ですと言って、はっと気が付いたら病院にいました。

臨死体験と言う様な言葉もない時代で、或る人が英語の本を持ってきて、それを読んだら同じことが書いてありました。  私たちは深いところで、創造主の愛によって繋がっているということを強く感じました。  どういう形で死が訪れるかわからない。 死は眠りに入るのと同じだと思います。  今こうして歩けること、話せること、出会えること、そういったことが中心になって来ます。  言い換えれば感謝だけです。  ゴミを拾って捨てる、それが出来る事が有難い事です。   私は亡くなる人に随分接してきましたが、亡くなる時に吸って吐くことが停まるんです。 普通に息を吸って吐くことがどんなに素晴らしく有難い事か身に沁みて感じます。 厭なことが起こったならば、今息を吸って吐いている、自分は生かされている、それが一番大事なことだというところに戻れば、厭なこともそんなに大きく感じないんじゃないかと思います。 

朝5時に起きて祈りから始まります。 次に御堂にいってみんなとい一緒にミサにあずかります。 食事をして自分のする仕事をして、夕食の後にみんなで集まって、災害にあった人、病気の人とかに対しての取次の祈りをします。  祈ることは死ぬまでできます。 他の人に祈ることは喜びにもなります。 祈りによって生かされているようなものです。 

私は小さい時から中学まで戦争期を過ごして、目の前で友達が機銃掃射で殺されたり、体験をしてきました。 戦争が終わって9月から学校に行ったら、教頭先生がそれまでは天皇陛下の御真影の前で必ずお辞儀をして教室に入りました。  或る生徒が終戦前と同じようにお辞儀をしたら、教頭先生は「あのバカはまだあの前でお辞儀をしている。」といったんです。  今迄一番大事だとしていたことを、否定したことに凄いショックを受けました。  生きてゆくうえで決して変わらない価値と言うものは、なんだろうと思いだしました。  

聖心女子大学に入って曽野綾子さんと同級生になりました。 話をする中で本当に変わらないものは神様だと判りました。 洗礼を受けて神様と共に過ごすことを決心して修道院に入りました。(大学3年生)  それまでの修道院では中世の風習があって、一切沈黙で敷地外には出られない習慣でした。 沈黙は当たり前のことでした。 8年間の修行を終えた時に、教会が中世の風習を改革するということになり、風習が可成り改められました。  それで外に出られる様になり、普通の人と同じように生活しながら、祈りを中心にと言う風に変わって来ました。  以前は言葉の沈黙のほかに頭の沈黙もありました。

親しかった仲間が亡くなるのは悲しいです。  悲しみを外に出して、辛いことも外に出して自分を空にして、切り替えてゆく。 愛するということはその人の心の奥に沿いながら、人は何のために生きているかと言うと、死ぬまで成長し続けて、成長するために生きているということを聞いたことがあります。  愛するというのはその人が人間として成長してゆくために、何が自分が一緒にいることで役に立つかと言う事を心掛ける、一緒にいて共に幸せ感を味わう時に人は成長してゆく。 愛するということは役に立つようなことができるのが一番です。  知るということは何を知ればいいのだろうと思いました。  今も良くは判らないが、知るということは人間として成長してゆくということはどういう事なのか、愛に生きるということはどういうことなのか、知恵を働かせて自分で考えて、自分で出来ることをしてゆく事ではないかと思っています。  小さい事で何かできることを心掛ける事とか。  これが愛なんだと言葉を交わさずとも判ることはある。 

〔わたし終いの極意〕とは愛と感謝です。 90歳を越えて、起こってくることを心を広くして「まあいいか」と言って受け入れてゆく事だと思います。 必要なことは必然と起こって来ますから。