2025年2月19日水曜日

小川良樹(高校女子バレーボール指導者)  ・〔スポーツ明日への伝言〕 教え過ぎない、押しつけない

小川良樹(高校女子バレーボール指導者)  ・〔スポーツ明日への伝言〕 教え過ぎない、押しつけない 

小川良樹さんは下北沢成徳高等学校女子バレー部の監督を42年間務め、全日本バレーボール選手権(春高バレー)で3回、高校総体で3回、国体で6回、選抜大会では2回、併せて14回チームを全国優勝に導きました。 その間にロンドンオリンピックで日本女子を銅メダルに導いた木村沙織さん、荒木絵里香さん、メグカナと呼ばれバレー人気を復活させた大山加奈さん、東京オリンピックでの日本のエース黒後愛さん、パリオリンピックでも中心メンバとして活躍した石川真祐さん、岩崎こよみさんなど多くの選手が小川さんの指導の元から巣立っていきました。 2023年3月に下北沢成徳高等学校退任した後、現在は埼玉県の細田学園女子バレー部のコーチをしています。 

1955年名古屋生まれ。 父の仕事の関係で子供のころインドに行きました。 小学校3年の時からボンベイで暮らしました。  5年生から日本人学校が出来ました。 そこでバレーに触れました。  中学にあがる時に、父は残って私は日本に帰ってきました。 バレー部への誘いがあって入りました。 中学の顧問の先生がバレーの専門の方ではありませんでした。 高校の2,3年生のころはOBの大学生が私たちに自主性を持たせるような指導方法でした。 それが影響してきている思います。  名門校のバレーの先生がどんな指導をしているのか、知りたいと思いました。  高2の時には男子バレーがブームの時でミュンヘンで松平さんが優勝した時でした。  松平さんの解説が凄く心に残りました。  指導者の果たす役割は凄く魅力的だなあと思いました。  

早稲田大学法学部を卒業後、早稲田大学教育学部教育学科体育学を専修する。 大学時代も教えていて、教員資格を取ってから下北沢成徳高等学校に入りました。  厳しくすると上手くいかないことを経験しました。  シード権を持つベスト16が目標でした。 1988年関東大会初出場で3位に入りました。(関東大会出場するための東京大会では11位だった。)  本当に嬉しかった。 大山加奈さん、荒木絵里香さんらが3年の時に全国制覇しました。  自主性を重んじる練習法をしてきた関係から、厳しくやたっつもりでも周りからは甘いと言われていました。  より厳しい指導をしてみましたが、辞めて行ってしまいました。  「引退まであと何日」と言うのを見た時に、違うなあと思いました。  指導の改革を迫られました。  

練習の中で指導者が怒るとか、怒りを納めるとかを求められて、やってみたら初全国大会になってしまって、あれっという風に思いました。  バレーボールをどう好きにさせるか、どうやって練習が彼女たちにとって楽しみに変わるかというふうに、私の高校時代の原点に結び付けて、変えて行ったのが私が35歳前後でした。  選手たち寄りにものを考えるという事が定着して大山、荒木と言った大きな選手たちも納得して、バレーが嫌いにならないような形で指導できるんだという形が伝わって入ってきてくれた。

最初のころは指導者として勝ちたいという自分の欲求ばかりで、選手たちにとってどういう指導がいいのかと言うようなことは全く考えていませんでした。  高校3年間は通過点であり、そこで何を学んでその先のプレイヤーとして、それを生かしていけるか、それが指導者としての役割だなと変化していきました。  それぞれ人は違うので、どういう風にその人に関わったらよい指導と言う風に受け止めて貰えるのか、考えると上手くいかない方が多いですね。  一番やりたくないのは私の価値を押し付ける指導はしたくない。  一心不乱に選手たちが練習の中で没頭している時間を見るのが好きでした。 成長してゆくところを見ているので、積み重なっていくところを一番身近で見ているので、幸せだと思っています。