2023年10月10日火曜日

山本學(俳優)             ・〔出会いの宝箱〕

山本學(俳優)             ・〔出会いの宝箱〕 

昭和30年(1955年)俳優座養成所に入所、1958年のデビュー以来、存在感のある演技で活躍しています。(86歳。)

文学者と医者の役が多いですね。  一番最初にやったのが「女と味噌汁」で池内淳子さんがちょっと憧れを持つ小児科の医者の役でした。  山崎豊子さん原作の「白い巨塔」、1978年から79年に放送される。  あのドラマを見て医者になった人が多いんですね。    とある大学病院で主人公は田宮二郎さんが演じる外科医財前五郎、手術は上手いが野心もある。  対極にいるのが善人の塊のような里見脩二の役(山本學)でした。  内科医で誠実一筋。  韓国版の「白い巨塔」が放送されました。 田宮二郎さんは女子医大の手術室を見れるところに通い詰めて、勉強していました。  私も遠い親戚に岐阜の外科病院があり、1週間ぐらい泊まり込みで、観に行きました。  田宮さんも熱が入っていて、最初からある場面で衝突して、「僕は不愉快だ。」といってセットの陰に椅子を持って行って、出てこないんです。  しばらくしてから監督から「そろそろ謝りに行ってよ。」と言われて謝りに行って、そこから撮影が始まったんです。 そのぐらい彼は打ち込んでいました。

彼は最後がんで死ぬんですが、御見舞いに行った時に僕の手を強く握って、未だにその手の痛さが残っています。  里見脩二の役は影の役なので、でっぱらさないように気を使っていました。  ドラマの終盤に大学を辞めて地方のがんセンターに行きますが、あるおばあちゃんの癌を見つけるのですが、切るのは厭だというのを家まで行って説得するんです。 或る講演を頼まれて医者の話などをした後に、おばあちゃんが出てきて、床に手をついて「先生、私を診てください。」というんです。  「俳優です。」と言ったんですが、「判ってます。 家でも反対されるのを出てきて、診ていただきたいんです。」というんです。 講演を主宰した建設会社の人に頼んで、大学病院へ診察してもらうようにやって欲しいと言って帰って来ました。 

女子医大の或る女医さんと昼の食事で同席するときがあって、その方からは「里見先生みたいなお医者さんはあり得ないと思います。 だから嫌いです。 財前先生の様に自分の技術を磨いて、教授になりたくて、そういうのが本当の医者なんじゃないんでしょうか。」と言われてしまいました。 人間っていろんな人が居ると思いました。 両極端を実際に経験しました。

「白い巨塔」に出演中に、父(山本勝己)が入院し女子医大で手術を受けました。 腸の癌で腸壁を破ってがんが出ていました。  手術をしたんですが、癒着があって再手術をしましたが、それを田宮さんが見ていたんですね。  「出血は多かったけどあれは大丈夫だよ。」というんです、田宮さんはお医者さんみたいなことを言うなあと思いました。    数年後にアナウンサーの逸見政孝さんが癌を公表し、手術を受けましたが、父親の手術をした方と同一の先生(羽生医師)でした。  逸見さんが亡くなられて、1年後逸見さんを偲ぶドラマがあり、羽生医師の役が僕に来たんです。 そういった繋がりがり、面白いもんだと思いました。

私は家族に迷惑を掛けないように、胃ろうはしないで欲しいとか、いろいろ具体的に箇条書きにして残してあります。  がんに対する考え方、治療の仕方も変わってきているので、意志と患者の間での話でも随分踏み込んだ話が出来るようになってきた。  「愛と死をみつめて」で僕はドラマをやりましたが、当時は絶対本人には癌という事は言ってはいけない、「白い巨塔」でもおばあちゃんには言ってはいけなくて苦労するんですが、数年前に僕は「がんですよ。」と言われて、こんなに簡単に言うんだなと思いました。 父はステージ4でしたが、亡くなる(85歳)時には肺炎で亡くなり、腸は綺麗に治っていました。  僕は胃がんで2/3取り、そろそろ87歳になりますが、精一杯に生きてゆくという事は、自分で覚悟してやれば出来るんですよね。  もっといろんなことを勉強しておけばよかったなあと思って、今は脳の医学書を読んでいます。  最後まで勉強しながら逝けたらなあと思っています。  

映画監督山本薩夫(叔父) 

「白い巨塔」 朗読

「私の撮ってきた作品を見てみると、権力というものに対して反抗してゆくような内容を持った映画には、自分でもなんか張り切ってぶつかってゆくようなところが見える。 だがそうでない作品になるとどうも気持ちが乗らない。 大映で1966年に撮った「氷点」などもその一つだ。・・・ 人間の原罪と言うモチーフとして展開される話の内容に戸惑い、私自身もう一つ乗り切れないところがあった。 山崎豊子の「白い巨塔」は派閥抗争に明け暮れる医学界の内幕を暴く中で、一つの権威を突くという要素を持っており、題材としても非常に面白いものだ。 ・・・ ただ問題は撮影である。医学界の派閥や権威が絡んでどの病院も協力してくれない。・・・ 

手術はなかなかセットで撮影するというわけにはいかない。・・・ 東京女子医大の手術室を見せてもらう事にした。・・・偶然にも主人公のモデルになった医者がそこで手術をしていた。・・・映画では彼を悪として描いており、これはまずいなと思ったが、ここの手術室だけは貸してもらわないとならない。・・・ 日曜日だけを利用して撮影することに決めた。・・・たまたま噴門癌の手術の患者がいたので、不道徳なことだとは思ったが、私は撮らせてもらう事を頼んだ。・・・そして撮影されたのがこの映画のトップシーンとなった。 白黒にした。 カラーでは刺激が強すぎて出せなかったからである。・・・ 

病院内は色々な病院を撮影してつなぎ合わせた。・・・ 白い塔についてはやっと聖路加病院の許可を得たのだが、この病院の塔には十字架がついている。・・・十字架を上手く切って「白い巨塔」とした。  この映画はモスクワの映画祭に出品され、トップシーンの手術実写が残酷だと問題になり、グランプリには取れず、銀賞になってしまった。 ・・・ 医者で小説を書く人たちがグループを作っており、そこへ呼ばれていったことがある。・・・これまで医者を扱った日本映画はすべて嘘だけれど、これだけは本物だと言って褒めてくれた。 これはどんな賞を貰うよりも嬉しかった。・・・役者たちもよくやってくれたと思う。 ・・・ 世の中には派閥や権威に反駁している人間が必ずいるという事、そういう人たちの協力が無ければ、こういう映画は出来ないという事を、この映画を通して私はつくづく学ぶことが出来た。」