2023年10月11日水曜日

水戸茂雄(リュート奏者)        ・古楽の音色に魅せられて

水戸茂雄(リュート奏者)        ・古楽の音色に魅せられて 

1954年生まれ、小中学生のころから音楽に興味を持って、高校卒業後東京に出てからは、ギター教室でヨーロッパの古い時代の音楽を学びました。 この中で演奏する楽器はギターからリュートに変りました。 古楽の良さ、味わいをさらに深めようという事からでした。  1980年に留学でスペインに渡り、7年間バロック音楽の演奏様式を学びました。 そして現在は海外や日本各地でのソロリサイタルをはじめ、リュートの講習会を行っています。 又音楽大学で非常勤講師を務めるほか、CDや教則本を多数発行しています。

先月、新譜のCDの録音が終わりました。 イギリスのリュート音楽ということでルネサンスとバロックの音楽を入れて、来年発売という事になっています。 CDは10枚目になります。  公開講座もやりました。  5月にはコンサートを行いました。  時代によって楽器も音楽も変わって来ます。 

持参したのはルネサンス時代の初期のリュートです。   6通りの弦が張ってあります。琵琶と兄弟です。 7世紀ごろアラビアの方からシルクロードを通って日本に来たのが琵琶です。 スペイン、ヨーロッパに渡って広まったのがリュートです。  もともとアラビアの「アル・ウード」と言いますが、スペインに渡ってスペイン語では「ラウ・ルード」と言います。  その後ヨーロッパに広がりました。  初期のころは小ぶりで弦の数も少ないです。 ピックで弾いていたのが段々指で弾くようになりました。  復元には博物館に或る楽器をコピーしたのと、現存しない楽器があり、それは壁画とか彫刻に残っているので、それを観て想像して復元する。 

*「比類なきお方」 リュートによるヨーロッパ巡りのパート1 作曲:ヴィンチェンツォ・ガリレイ(ガリレオ・ガリレイの父) リュート演奏:水戸茂雄

1954年大阪生まれ、広島県福山育ち、尾道北高校、その後東京に行く。 音楽はラジオを聴いたり、ギターもやっていました。 (小中高時代)  中高校生のころから音楽の道に進みたいと思いました。 東京ではギター研究所でギターをやりました。 リュートでオリジナルの曲を弾くとぴったりはまるわけです。 これしかないと思いました。 リュートの曲は凄く沢山あります。 父は旧満鉄の助役をやっていました。(史上最年少)  私の音楽に対しては猛反対でした。(勘当に近かった。)  母親は背中を押してくれ、スペインに行くときに短歌を詠んでくれました。 

「荒海の静まるかしと祈るらん音楽一途に励みし我が子よ」(漢字、かな等違っているか?)

スペインには7年間いました。  最初はアリカンテの国立オスカル・エスプラ音楽院に入りました。 2年間勉強して、その後マドリットのマドリッド王立音楽院に4年半ぐらい学ぶ。  先生は、ホセ・トマス。 日本に戻って来て、サントリー20周年記念特別企画「天正少年使節と音楽の旅」で参加しました。  ソロリサイタル、リュートの紹介などもしました。 東京音楽大学、同大学院非常勤講師として教えています。  CDも10枚出しました。 『バッハ、ヴァイスリュート作品集Vol.2』はレコード芸術誌で特選盤に選ばれました。  『フランスバロック音楽Vol.2誇り高き貴婦人 』はレコード芸術誌で準推薦盤に選ばれました。  古楽器のアマチュアのグループが増えて行きました。

*BWV998からの抜粋で「プレリュード」リュートによるヨーロッパ巡りのパート2 作曲:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ  バロックリュート

日本人が聞いても音楽の中に懐かしさがあります。  歯切れもいいです。  宮廷で聞かせる音楽から、劇場が出来て、劇場で聞かせる音楽になりました。 楽器も大きな音を出せるように改良していきました。  古楽器はピリオド楽器と言うようになりました。

1997年パリの楽器博物館で楽器が見つかって、調べてもいたらビウエラでした。   幻の楽器でした。  設計図を取って製作家