2023年10月28日土曜日

垣根涼介(直木賞作家)         ・(インタビュー)

垣根涼介(直木賞作家)         ・ (インタビュー)

受賞作「極楽征夷大将軍」では室町幕府を樹立し、征夷大将軍となった足利尊氏の生涯を、無欲の人物という独自の解釈で描いています。 新たな足利尊氏像からみえる、今という視点から話を聞きました。 

23年ぐらい前にデビューしまして、それから13年ぐらいは現代小説を書いていました。  いくつか文学賞の候補になり、幸い受賞することができました。 10年ぐらい前から歴史小説を書き始めまして、5回ぐらい候補になりましたが、受賞には至りませんでした。    今回たまたま3度目の直木賞候補で受賞する事ができました。  

諫早を出て40年近くになります。  国内、海外にもいろいろ旅行しましたが、住んでみるとどこがいいかというと諫早は相当上のランクに来ます。 優しい感じの美しさで過ごしやすいところは実は世界的にもなくて、海、山があり温暖でご飯も美味しい、不自由なく生きていられるというのでは、諫早はかなり上位に入って来ます。

1966年(昭和41年)生まれの57歳、長崎県立諫早高等学校筑波大学第二学群人間学類卒業、2000年『午前三時のルースター』でデビュー。  2004年には日本人移民たちを描いた 『ワイルド・ソウル』で第25回吉川英治文学新人賞受賞などを受賞、今回直木賞を受賞。  本を読むのは子供のころから好きでした。 28歳で結婚をして、ローンを組んでマンションを購入しました。  世の中が不景気になり、経済状態も悪化して、バイトもできないので、小説でも書いてみようという事がきっかけになりました。 『午前三時のルースター』というデビュー作となりました。  社会人1,2年目は広告の製作をやっていて、そのために文章を書くことがあり、修行として本を浴びるように読みました。1日1冊と決めて2年間で700冊ぐらい読みました。 小中高とよく本は読んでいました。 大学時代は旅行に出かけていました。  

受賞作「極楽征夷大将軍」は鎌倉幕府を倒して室町幕府を成立させ征夷大将軍となった足利尊氏の生涯を、やる気も執着も使命感もない無欲の人物と独自の解釈で描いた歴史小説。 周囲から極楽殿とからかわれていた尊氏の不思議な求心力や意図せずに上り詰めた背景を、影の立役者である弟の足利直義と家臣の高 師直こう の もろなお)の視点と史実に基ずく丁寧な筆質で書き上げた大作です。  私は50歳を超えたあたりからは毎日を機嫌よく過ごしたいと思っている人です。  子供のころから何の努力もせずに気分が全てで生きてきた歴史上に人物がいるんです。 それが足利尊氏という人物です。 勉強もできない、武芸もできない、ないない尽くしの人でした。  でも後醍醐天皇、新田義貞、楠木正成を破ってゆくわけです。 それはなんでと思った処から始まりました。 

結局足利尊氏は基本的には何も考えていない人です。 なんだか周りが決めてくれたことがうまくいく、というような人ですね。  ぼんくらだが、彼は物凄く人が良くて、人の悪口をいったり人の好き嫌いがないんです。 弟の足利直義と家臣の高 師直こう の もろなお)は資料で調べている限りでは相当優秀です。 この二人が鎌倉幕府を倒して、尊氏は御輿の上に乗っかっていただけの人です。  でも不思議なのは尊氏の存在が薄くなってくると足利家が纏まらなくなるということもあり、独特の魅力のあった人なんでしょうね。  我がないんですね、本当になにも考えてない。 人の上に担ぎやすいんでしょうね。

征夷大将軍になった人はみんなある家の正室の嫡男なんですね。 でも尊氏は側室の嫡男なんです。 本来足利家を継ぐ立場ではなかった。 親から期待されて育ってはいない、教育を受けて育っていない。 人の好さを売り物にするしかなかったのではないか。 足利直義と家臣の高 師直こう の もろなお)も戦は下手で負けてしまうが、尊氏が加わると何故かうまくいってしまう。 戦は理屈通りにはいかない。 感覚的に次の手、次の手を打って行かなくてはいけない。 そういうのには尊氏は向いていた。  

社会は皆が頑張って努力すれば一定の方向に報われる的なことがあったと思うが、停滞したという事はこの30年間感じ続けています。 織田信長のような強力なリーダーシップではなくて、尊氏の様になんにでも変化できる人なのではないかと思いを掛けて書いたのが、そういう事です。 現在の我々は大それた野望は持っていないと思います。 今の時代に生きているみんなって、それぞれ迷いながら虚しさとかを感じながら生きていると思います。   700年前にもそういった人が一人居たというように足利尊氏を捉えています。 強烈な野望、欲望を持っている人間が尊氏を祭り上げた。 「足利兄弟は現代に生きる我々に何かを教えてくれる。」という事を直木賞選者の伊集院静さんは言っています。 

歴史小説を書く時に考えるのは、常に今の時代にリンクしているかどうかという事です。  虚しさという穴の中に 人々の欲望が全て吸い込まれてゆくというような発想で書いています。 『信長の原理』という本では信長の一生を書きましたが、それは「効率」の話を書きました。  信長が部下を使う時に、どうしたら最も効率よく部下が動いてくれるのか、試行錯誤をし続ける話を書いています。 今の時代にリンクしていないと書く気が起きない。

時代の流れも違ってきているし、潮目の変わり目も早くなってきている。 初志貫徹というのはある時代が一定の方向を向いている時で、潮目がころころ変わる時代には、初志貫徹はかなりハードな生き方ですね。  もうちょっと柔軟な感じで、生き方をじわじわっと変えて行ってもいいような気がして居ています。 駄目な例として尊氏を書きました。 調子が悪くなった時、負けが込んだりした時にどう対処してどう損害を一番少なくするか、というのが今の時代は大事だと思います。  

今の娯楽はほとんど眼か耳から入ってくるもので、感覚的なものは映像の方が伝わりやすい。  この人は何を考えているのだろうとか、人間の思考を追っかけるような小説は、映像ではなかなか表しにくいところがある。 人の気持ちを詳細に書けること、文字は最大の映像に対する優位性だと思っています。  映像とは違った面白さを提供できると思って小説を書いています。 若い人には「心配するな、何とかなる。」と言いたいです。