ニシャンタ(准教授) スリランカから夢を抱いて
大阪堺市にあるはごろも国際大学、現代社会学部の准教授で社会学を教えています
タレントとして、社会人落語家として、幅広く活躍しています
スリランカの出身で、高校生の時にボーイスカウトの代表として、日本での大会に参加、その後もっと日本を知りたいと、立命館大学に入学しました
平成17年には日本国籍を取得しています
日本で活躍するまでには、様々な困難にぶつかりましたが、負けずに前に進もうをモットーに壁を乗り越えてきました
ニシャンタさんはどんな生き方をしてきたのか、今日本人に伝えたいのは、何なのか伺いました
日本では26年目になる スリランカのキャンディーと言う街の生れ 街そのものが世界遺産
小さい頃は学校に牛車(乗合の)で通っていた
道端にある像を数えながら、学校に行った 奇数だと良いことが起きる
偶数だと悪いことが起きるというジンクスがあったので、そんなことをした
父親は銀行員、母親は学校の教員 妹の4人家族
英国民が作ったホテル、 王様のお城等 街そのものが世界遺産
①湖、(経済基盤をささえる部分) ②仏舎利塔(精神面の支える部分) ③あなたと私
この3つで街は構成されるといわれている
牛車だったのが、ある時期から一気に車が増えた 車は日本車だった(信じられなかった)
何故かというと、当時TVで「おしん」が放映されていた 同じ国とは思えなかった
似ていると思ったのは、物がないけれども、内面的には豊かだよね とおしんは教えてくれた
中古車がやってきた 何を教えてくれたかと言うと、おしんのようにがんばっていたら、車を持てるんだという事
それで日本に行ってみたいと思った ボーイスカウトで日本に来る(1週間だけ)
おしんのような姿は日本では無かった 見たっことない世界(スリランカとは似たものは無かった) もう一度来たいなあと思いながら、帰った
ホームステーで日本人は豊かだなあと実感した 優しくもしてくれた
スリランカではお金がある事はゆとりにつながる 人を助ける事に通じる
2回目に日本に来た時に、ステー先で又泊めてもらって、面倒を見てくれると思った
7万円しかもっていなかった 半年面倒みるので、帰ってくれと言われた(ワンワン泣いた)
アルバイトを見つけてくれたりした 結局3か月ぐらいしかいなかった
アルバイトの旅館先に、住みこみとして、その後住むようになって、日本語学校に2年間通う
大学を受けて立命館大学に入学する 物理的にアルバイトをする時間が無くなった
新聞配達するアルバイトを見つけてくれる人がいて、そこでアルバイトをするようになる
朝3時に起きて配って、朝食を食べさせてもらって、そのまま学校にいく 授業を受けて、日本拳法をやって、3時頃に帰って、又配達に行く(夕刊を配る) 大学に戻ってラグビーかボディービルをやったりして、あまり眠らなかった 全てが楽しかった
ゆくゆくスリランカに戻ろうと思った 学位をたてに社会の良いポストに就きたかった
スリランカでは階層が厳しかったので
途中で考えが変わった 日本の事が判るようになる 日本の面白さが判る
帰ることが、面白いだろうかと思うようになった
日本の会社に進みたいと思った 時代はバブル期だった
国際交流パーティーとかが、盛んで 国際感覚を養う仕事などもした
学部総代で卒業した その間 、いろんなことにチャレンジした スピーチコンテストに参加
優勝した(賞金が20万円だった)
これは行けると思って、結構スピーチコンテストがありそこに参加して、全部優勝してしまった
賞品が豪華だった
大学院に進むことになる 国際は自分に一番強みであろうと思って、就職口を当たったが、外国人ではまずいという事があって、就職口は見つからなかった
友人から大学院を勧められる 日本人と結婚する
今は20組に1組は国際結婚なんです 結婚してくださいと言ったらすぐにできると思っていたが、そうはいかなかった 父親から反対だと言われた
①墓の問題 私は仏教徒で長男
日本に来ていていいのかと 墓守はどうするのかと スリランカではお墓は無い 輪廻転生の世界 お釈迦さんは墓守をしなければいけないと、言っていないとスリランカでは思っている
②結婚する前から日本の国籍を持っているが、それもいけないという(喜んでもらえると思った が) 自分の故郷を平気で捨てられる人間は家族も大事にしない、と言う事で反対される
③黒い孫は困る と言われた (いじめが待ち構えている
自分の孫がいじめられるのを見ていられないと)
2008年の正月に、迎えてくれて、その時点では結婚を許してくれるものと、思われた
家に泊めてもらって、「留学生が愛した国 日本」という本を以前、書いたことがあって、その本を母親に、私はこういう人間です、読んでくださいと渡した
一晩で読んでくれて、その感想文を手紙にして枕元に置いておいてくれた
その手紙に感動した(宝物にして今も持っている)
「ニシャンタさんへ 昨日あなたの本を読みました あなたはとても強く、優しく、立派な人です
あなたは今の日本人にはない、心を持っている本当の日本人です
今まで私たちは、文化の違いや肌の色であなたのことを誤解した自分が恥ずかしいです
ごめんなさい 何を書いていいかわかりませんが、私たちは立派な息子が一人増えて、幸せです
あなたのご両親に感謝しています」 という手紙です
昔は うーうーと泣いてしまって読めなかった (今では読めるようになったが)
なんで大事にしているかと言うと、まさに人間とは、違う者同士がつきあってゆくに当たって、心の壁があるが、心の壁が突破られた瞬間が、この手紙なんだろうなと、思います
生きる道、わがままは言えないし、生きていかなければいけないし、どこかで突破口を見つけて生きてきたのだと思います
人間になりたい と言うのが口癖だった どこか管理されているような気がして 厳しかったビザ一つ貰いに行くにも、鍛えられて、お陰で今の自分ができたのかなあと思います
日本は豊かな国 私たちはスリランカにいて、貧しさを知っている
だからちょっとしたことでよろこびを感じる事が出来る 貧しさを知った上で、豊かさを知っている人が、最近の若い人は少ないのかなあと感じる
豊かさしか知らないというのはある意味貧しさのような気がする
若い学生さんとかに、いろんな生き方、いろんな人生があるんだなあとかを知ってほしいと思います
40歳で結婚したが、やっとおしんを見つけたんだねと、周りから言われた
私がおしんになりましたと、言った(もう一回、おしんを流してほしいと思う)
なんで世界中でおしんが受け入れらたかと言うと、普遍的な豊かさを探すための一つのたたき台的な物も含めておしんはそういうドラマだったと思う
日本人の無くしてしまったものは?
①循環性(ちいさな)失っている 家族の循環 地域の地産地消の循環 食べ物の循環(大きな循環に乗っている)
大きな循環に乗っかれば乗っかるほど、ぬくもりが無くなったり、どんな人が作っているのか判らなくなっている
子供を作るのも減っている 絆、循環が弱くなっている
②多様性が無くなっている 単一化されていっている 欧米化されていている 景色も同じ
地域の多様性が無くなってきている
③関係性が希薄になってきている 過剰な商品化 なんでもかんでも商品化 ちょっとしたやさしさもお金が行き来しないとなりたたないという
非人格化 人間関係性も商品化されている 人間そのものも商品化されている
日本の良いものを世界に教えてほしい
商品化の大きな流れは今後益々大きくなってゆくと思われるが、関係性の部分 お金では無い
ところの部分をどんだけ確保するかが、今後の日本の課題だと思いますね
循環性、多様性、関係性を取り戻す これが日本が一番豊かな文化を持っているんだと思います