渡邉研太郎(第54次南極地域観測隊長) 自然を恐れず侮らず 2
延2000名くらいの人が南極に行っている オゾンホールの見つけるきっかけになった(23次隊の時) 地表から上空に向かってどのくらいのオゾンがあるかという全体の量を観測する事を定期的にやっていたが、9月10月とドンドン少なくなっていった
最初は機械がおかしいのではないかと思ったぐらい数値が減っていった
装置を確認したが問題無くて、これは本当の値として低くなったので、帰国後、国際学会でその報告をしたのが一番最初の報告だった
宗谷のころは探検隊的な色彩が濃かった
1年、人が安全に観測できるのだろうかとか、建物はそういう風なものがいいのかとか、食べ物はどのようにできるのかとか、最初は越冬隊員は水杯を交わしたといわれている
その後段々設備も整って観測機材を沢山持っていけるようになって、いろんな観測が本格的に立ち上げられた(富士になって)
地球温暖化についても、断続的に取ったデータでは十分なことが言えない、毎年同じようなやり方で、気温を測って、50数年分溜まったのですが、それを解析して初めて傾向がはっきりするようになる
一番最初にオゾンを観測したのは1961年ごろに行った
継続してデータを得るようになったのは1970年代の後半だったと思います(それまでは時々だった)
1982年の観測データで1983年に発表した
イギリスの基地でも同様な観測が出ていたといわれる 結果と原因を結び付けて論文を書いた
世界的にはそのグループが論文としてオゾン層の破壊が起きているという報告をしている
これがオゾン層破壊では有名な論文となる
観測データで最初に報告したのは、日本の研究者だと言われている
人間が作った物質、フロンがオゾン層を壊する主要な犯人だとなる
オゾンが破壊されてオゾンホールが南極大陸の上に広がっているのが分かったのは、アメリカの人工衛星の観測データを解析したのがきっかけですが、それでこのままだとオゾンが壊されてしまって、生物に有害な紫外線が地表に届くようになるという事で、なんとしてもとめなければいけないという事で、フロンを作って使うのをやめましょうと、モントリオール議定書、オゾン層を保護するためにフロンの使用を禁止する条約ができる
最近はもともとのフロンの排出が無い状況にはあるが、それまでに放出されたフロンが地球を取り巻く大気にずーと蓄積されているので、すぐにはオゾンの破壊はとまらなかったが、このところの観測結果はオゾンの破壊の増加はおさまって、回復に向かってるようだと、ただし破壊が始まる前になるまでには、まだまだ20年、30年かかるだろうといわれている
裸氷帯と言って雪が無く氷がむき出しになっているところがあるが、そこで隕石を発見、他でも同様に隕石を発見した(隕石が集まっている)
成因を調べた 沢山の隕石を集めた
雪が降り積り、何百年と経つと氷になる
低い方に向かって流れだしてゆく
動きと一緒に内陸でも氷が動いていて、ところどころ岩盤が突き出ているような山のようなところがあって、そういうところに流れてゆくと、表面が太陽、風などで氷が無くなってしまう
ちょうどベルトコンベアーに乗った隕石を含む氷が、山にぶつかると上の方に上がってくると太陽のエネルギーで氷が無くなる、そこが裸氷帯、氷の中に含まれた隕石がそこに残ってその結果集まったような結果になる
氷の上ですから、すぐに区別がついて採集しやすい
火星と木星との間にある原始天体が一杯集まっているところから地球の重力に引かれて地表に落ちてくる、あるいは月とか火星に隕石がぶつかって、もともと月の石だったものが、宇宙に放出されて、なんかの拍子に、地球の引力に引かれて、地球に落ちてくる
そういうものが南極にぽつぽつ出てきている
かなり日本は南極隕石で大きなコレクションを作った
アメリカも隕石探査をやっていて、隕石の数ではアメリカがトップになっている
別働隊は3つある 4人の隊員がベルギーと一緒に隕石探査をやった ベルギー隊の近く
420個位 75kgを極地研究所に持ち帰っている 18kgが一番大きい
有機物を含んだもの、 地球上の岩石にはないような結晶を持ったものとか ある
火星からは岩石を持ち帰っていないので、貴重な隕石となっている
氷床掘削 昔の氷を持ち帰る 雪が固まって氷になるので当時降った雪だったもので、当時の空気と一緒に氷になっている
氷を分析すると、当時の大気の組成が分かったり、気温が何度ぐらいのところで雪になったのかを推定できる
ドーム富士 昭和基地よりも1000kmぐらい内陸にある
3000mくらいの氷の柱を切り抜いた
一番深いところの氷はおそらく72万年位前の雪が氷になった部分と言われる
72万年前の大気の様子が分かる
地球温暖化の犯人と言われる、二酸化炭素が当時どのくらいの濃度だったのかと、言うのも分析することによってわかる
過去70万年までの大気中の成分が推定できるという事になる
ロシアのボストークと言う基地は世界で最初に深い氷のサンプルを取っているが、40数万年前の
大気中の成分の分析結果を出している
フランスとイタリア の内陸基地でも氷の柱を取っていて、分析して論文にして、過去の大気の組成はこうだったと、言う結果が出ている
同じ様な分析項目で、同じような結果がでれば、南極大陸でこの辺りは大体同じような結果、違った結果が出たとすれば、何か別の理由があるのではないかと研究が進む
近年人が増えて、北半球での大気の成分は、活動が増えると、人為的な要素を含んでいるが、南半球はそういうところから離れていて、工場も少なくて、人間の数も少ないので、そう言う影響が少ない 平均化したようなデータが取れる
古い氷が残っているのは南極大陸しかない
放射性物質は精度を高く分析できる物質なので、核実験をやった後、(初めのころは大気圏でやっているので、地球全体を循環して覆ってしまう
南極にもそういう物質が飛んでくるようになり、それが雪と一緒に大陸に降り積もって、コアの一部になって採集できる様な状況ですね
放射性物質の多い層は1950年代、何年のものだという事が成分を分析することによって特定できる
火山の爆発で噴煙が大きいと成層圏までゆくので、噴煙なども記録されている
冬の間暗くはなるが、外に出られなくなるわけではないので、一番明るい時刻帯ですと、新聞が読めるが、すぐ暗くはなる 外作業はあまり向かない やりたいこともできない
いつ寝ればいいのかとか、いつ起きるかとか、時計を見ながら時間管理しないと、経験のある人たちは食事の時間は同じようにしておいて、朝起きたらば明るい蛍光灯を浴びるとかして、体内時計を調整している
越冬初めて3カ月すると、なかなか眠れないとか、仕事がはかどらないとか、たまに出てくる
越冬は4回している 最初は週に一回は氷を取るような作業をしていたので、体調が崩れるようなことは無かった
最近の昭和基地は大きくなっているので、寝室は個室を与えられている
そこでパソコンを使ってデータ解析をする
22次隊の時に海事衛星 インマルサット 電話ができるような仕組みを昭和基地に持ちこんだ
それまでは短波無線で昭和基地の場合は電電公社の無線局と電報のやり取りをしていた
電話は高かった 1700円/分
電話でやり取りしなくては行けないようなこともあり(子供が生まれて間もないころで声を聞かせようとしていつの間にか時間が経ってしまい)、越冬して帰ってきたら、100万円以上払わなくては行けなかった
インスタント食品 宗谷のころにお湯を入れれば食べられるカップラーメンとか、今でもお世話になっている
乾燥食品 野菜は? 第一便は鮮生品が主、でも国内で有れば賞味期限が切れたようなもの、卵とか、ビールとか、いろいろ でも第一便のビールは感激する
オーロラが出る位置に昭和基地がある
オーロラに関する研究は進んだ
太陽の活動のピークに当たってるといわれるが、ピークの高さにもいろいろあって、結構低く過ぎそうだと言われる
北極と南極では対称形で出ている
オーロラの元は太陽から来る電気を持った粒子が地球の大気にぶつかって、光をだす(ネオンサインと同じような原理で光を出す)
同じタイミングで北極と南極で画像を較べることができた 理屈が実際に確認できた
南極おきあみ 一番多くいる ペンギン クジラ、アザラシが食べるが どのくらいいるのか、それの共同調査をする 資源量と言うのがいろんな場所のデータを総合して判る
国際共同研究が南極では多い
オーストラリアの観測船に乗ったり、中国の観測隊と一緒にやったりもした
最近は地球規模の環境の変動、温暖化とか 言われていて気象観測を毎日観測している
日本は観測のために昭和基地を維持している
国によっては越冬するが研究者は気象観測するだけ、あとは陸軍の人たちだけ、と言う国もある
南極は領土権の主張は凍結されている、といっても、もしその条約が無くなった時には、凍結する前の状況になってしまうので、でも今のところそういう状況をどこのくにも望んでいないので、続いているが、なんかの拍子にそのバランスが崩れると、いろんなところでいろんなことが起きてしまう
隕石なんかの、どういう隕石なのか一次カタログを作る
研究者に利用できるように、研究者がどういう研究をしたいかを申請して、了解されれば、それを利用してもらうような形になっている
生物資料 20年前にどこで取ったサンプルかがあるので、当時の主組成はどうだったかとか
アザラシの脂肪の中にどういうものが含まれているとか、汚染物質の調査などのもサンプルによってはできる状況にある