2013年6月29日土曜日

渡辺玉枝(登山家)        ・富士山から世界へ

富士は日本一の山 をテーマに甲府放送局がつたえてきた 最後の一時間
皆様からの便り
「富士登山の思い出」
昭和16年の登山の様子  中等学校、学友と3人で登山  当時の日本は対戦不可避と見て軍部を始め、国民の全ての人が緊張した時代だった
まず吉田の浅間神社に参拝、バスで馬返しまで行く、そこからは草履ばきで、杖を頼りに歩く
5合目を抜け出ると、広大な赤茶色の山肌が見えてきた
その夜は8合目の山小屋に泊まる  夜、小屋から外に出ると、富士吉田の町明かりや、暗い山肌に捨てられた空き缶が月の明かりに照らされて、とてもきれいだった
翌朝は暗い中を頂上を目指して、登った  
頂上でご来光を拝んだ  綿のような雲の上からオレンジ色の太陽が見えると、その景色の素晴らしさに居合わせた人々から万歳の声も聞かれた
しばらく休んだ後、お鉢めぐり 火口巡りに出かけた
この素晴らしい富士山に夢多き多感な少年時代の私が登山を体験することができ、89歳の今も幸せに思っている   

「富士山の氷」
今から70年前 私が10歳のころ 父が一人で富士登山に出かけたときの事です
当時は山形から東京経由で登山口に行くのに、夜行列車を乗り継いで2日半、登山、下山に2日半、帰るのに2日半 合わせて1週間の長旅でした
お土産はなんと富士山の氷 麻布に包まれた 1辺が50cm 長さが1mの氷の柱が車いっぱいに横たわっていた 息がとまる思いでした
考えてみれば、真夏の8月に列車の中で2日も3日も氷が解けないはずは無いのです
後で解った事なのですが、実は隣町の製氷所から買ってきて、子供たちを喜ばせようとした、父の最初からの計画だったようです これが富士山の氷だと子供に感動を与えた父の子育てこそ、日本一の富士山に負けない日本一の親心だと今でも思っています  その父は35歳の若さで招集され、フィリピンで戦死しました  恥ずかしながら私も80歳になりましたが、父の足もとまでも及びません

渡辺玉枝(登山家)     富士山から世界へ
富士河口湖町の出身  短期大学を卒業後 神奈川県庁に勤務 1965年神奈川県庁山岳会に入会をきっかけに登山を本格的にはじめ、19977年北米大陸最高峰マッキンリーの登頂その後4810mのモンブラン アフリカ大陸最高峰 キリマンジェロ 南米最高峰のアコンカグアなどにも登頂
退職後は地元に戻り、青木が原樹海のネーチャーガイド 自然の魅力を伝えるガイドをする傍ら 
登山を続けて、2002年、世界最高峰のエベレストに、63歳で登頂される
それは女性世界最高齢記録となりました
去年2012年 73歳でチベット側ルートからエベレストに挑戦して、女性世界最高齢記録を更新されました

富士山が世界文化遺産になる  富士山は生れて来て、毎日ずーっと見続けてきた
肉親の様な思いでいつも眺めてきた 
故郷に、大きな山から帰ってきて、身の回りにきれいな緑があって、その緑の中にすくっと立っている富士山を見ると、あっ、日本に帰ってきたという、そういう感じを持って、やっぱり富士山はいいなと思います
10年前に、ネパール側からのぼった チベット側は全く環境が違うと聞いて、やっぱり行ってみないと解らないという事で、ルートはどうなっているのかと いろいろな興味をもって昨年行きました
運良く、それほど苦労せずに登れることができた 外国の山 22回のぼっている
22回全部頂上からの景色を見ることができた 

高い山は 自分の体調と、隊の組み方によってもよる
1998年 定年の1年前 「ガッシャーブルムⅡ峰」  
遠藤京子さんがマナスル、田部井淳子さんがエベレストに登り、田部井さんが一躍有名になる
素晴らしい登山家とも一緒に登ることができた
8000m 4回一緒に登っているカメラマンの村口徳行さんと一緒に登った
シェルパ ネパール人のなじみのシェルパさんがいる  日本語で解るシェルパさんだった
こっそり登って、こっそり帰ってくるのは出来ない時代になった(無線連絡等)

高度順化 1週間かけて行う チベット側は車で5200mのところまで行ってしまうので注意が必要
8000m超えるとかなり急斜面 岩場 滑落すると体がバラバラになってしまうという想いがあった
絹の布(長さ2m~2.5m 幅30cm) 頂上においてくる   3000人ぐらいは登頂している
登頂日 2日おいてあるかどうか 秋は1日あるかどうか 運が結構ある

昨年3月27日 日本を出発した トレーニングはなかなか苦手で、日本ではしなかった
畑で草を取ったり、昔ながらの鍬でやっているので、それがトレーニングかと思っている
山で使う筋肉は違うので、最低一回だけは近所の山に出かける
富士山は毎日毎日 私が小さい頃、用水が流れていて、飲料水をカメに汲んできて、そこで自分の顔を洗ったりする  富士山を眺めて、今日は富士山はご機嫌がいいぞとか、今日は雲がくっついているとか、そんな感じで富士山は日常生活の中に一緒にある山
青木が原樹海の自然の魅力  河口は樹海とは離れているが樹海と言われているところは東京都と同じ面積ぐらいがある広いところ、886年の噴火で溶岩が流れてきて、その上に木が生えて森になったのが、青木が原樹海  

富士山の裾野の魅力も、もうちょっと知りたいし、そういう自然を大事にしなければいけないと思って、いろいろ研修とかうけて、ネーチャーガイドもやるようになった
高い山に登るのに、それほど過酷かとは私は思わない
頂上に登ってみると、地球は丸いなあと感じる 
1回目は40分ぐらい 無酸素状態を感じた  今回は無理のない程度、無酸素状態を味わった
自然は容赦は無いけど、それを乗り越えた感激はある

もし大人になって、いろいろな国にいけるかも入れないけど、絶対に富士山のふもとから見る景色はどこへ行っても負けないよと、両親から言われたが、富士山はやっぱり素晴らしい
逆さ富士、素晴らしい