2012年10月29日月曜日

天野祐吉            ・隠居大学(内舘牧子)

 天野祐吉        隠居大学(内舘牧子  
岩手県の盛岡で、打ち上げをやっているときに急に心臓がおかしくなって 目の前に心臓の先生がいて直ぐに処置をしてくれて、2時間後には大手術、13時間の手術をする。
2週間ぐらい意識不明だった。  46kgに痩せてしまった。  
桜餅が大好き 和菓子が圧倒的に大好き。 (エッセーに書かれている。)
桜餅はこしあん、(天野) 私はどちらでもいい(内舘)
画家の横尾忠則さんは徹底的な粒あん派なんですよ。
或る雑誌でこしあんかつぶあんかを徹底討論したが、決着がつかなかった。
粒あんは噛んで2度楽しめると最後に言われてしまった。
アズキは日本で栽培されていて、70%はあんことして使われ、日本で消費されている。
スイーツと言う言葉が大っきらいですね。(内舘、天野)
  
「生きざま」と言う言葉は嫌い。「○○先生の生きざまが憧れ」とかいうが、平気でいう。
「ざまをみろ」のざまですよね。  日本語はかなり凄い事になっている。  
「こだわる」も嫌い。  「こだわりのラーメン」なんて食いたくもない。(天野)
退院する時に2つ条件を言われた、朝青竜とカッカ、カッカしない事、大関の相撲を見ない事、相撲は大好き、 
小さい時から。 私はいじめられっ子だった。
助けてくれる男の子がいて身体が大きかった。  力道山に似ていた。
身体が大きい人は優しいんだ、良い人だと4歳のときにインプットされた。
相撲は4歳から見ている。 プロレスは5歳から、ボクシングは14歳から見ている。
相撲の研究の為に東北大学の大学院にいた。  
土俵とはどういう意味を持つかとか、3年間勉強したら、相撲がもっと面白くなった。
 
相撲協会では600年代といわれているが、実はもっと古くて、紀元前から相撲が有ったという話もある。
かしわ手を打って、ぽんと「ちりを切る」というが、直ぐに手を離さない。
揉み手みたいな動作を知るがこれも意味がある。
外で相撲を取っていた江戸期は、土俵の上は聖域ですから、そこに立つときには身を清めなければいけない。
そばに生えていたちり草をちぎって手のひらに乗っけて、草を揉んで身を清めた、ということがいまだに残っている。 
相撲の起源は非常に古く、古墳時代の埴輪・須恵器にもその様子が描写されている。 
戦国時代には、織田信長が相撲を奨励した
また、信長は土俵の原型の考案者とされる

江戸時代には、徳川将軍家の上覧相撲がたびたび開催された  
江戸時代から、職業としての大相撲が始まる

水を付ける(力水) 勝った力士が残っていて次に上がってくる力士に水を付ける。
昔(奈良、平安時代)は水ではなく花だった  
花道  東は葵の花 西には夕顔の花が有って、東から出てくる力士は太陽を浴びて咲く葵の花を耳の横に付けて、西の力士は夕日を浴びて咲く夕顔を耳に付けて、戦ったんです。  
勝った力士が次の力士に花を付けてやった。  
今になっても水を付けると言う事で残っているんです。
単なるスポーツではなく、芸能的な意味合いもある。

13年間OLをやる。伯父の力でコネで一流の会社に入った。 
男子は社員と言われたが、女性は正社員でも雇員と言われた。 
大事にはされていたが、重要な仕事は廻ってこなかった。(お嬢さんで通されていた)
女の人の生き方はみえてくる。
  
どんな人が持てるのか、どうアピールするのかなど物を書くようになって全部役に立った。  
会社を辞めて劇作家の道に入る  シナリオライター養成講座の広告を見て通った。
今まで見た映画で一番好きな映画について言ってくださいと言われたが、見てなかったので焦ってしまった。
土俵の鬼 若乃花といってしまった。 小学校の校庭に幕を張ってみたといった。
OLをやめて、正しくは隠居の始まりですね。(食べる為に働く事を捨てて自由の身になる事)
書きたいと思う事しか書かなくなる。  
シナリオライターを40歳でデビュー、43歳で「ひらり」を書く(相撲の話なので書いてもかいても疲れなかった
48歳で毛利元就を書いた。
3から4年前から将棋を始めた。  米長さんと一緒の会議があり、弟子にしてくださいと言ったら、周りが驚いて、相撲を取ったことの無い人が北の湖に、弟子にしてくださいというのと同じだといわれてしまった。
僕の弟子の一番若い人を教師につけようと言ってくださって、中村太一6段から習っている。
ゼロからやって、年取ったら将棋をやるのはいいですね。
最初に先生と対局したときに先生は王将だけなんですが、ぼろぼろに取られて負けてしまった。
性格が出てしまって、面白い。

将棋はシンプルだが本当によくできている。
昔は縁台があり、そこでやっていていい風景だった。
福島に6月にいったが、縁台がでていて、夏になればおじいさんが出てきて、将棋をやったり、子供たちが足元でせんこ花火をやったりして、遊んだはずなんだろうと、縁台をみたときにショックだった。
一番面白いのがものを書く仕事なんですよね。
源氏物語と13年間のOLでの生活と共通点が一杯有る。
紫式部って凄い女だと思いましたね。 ああいう風に見てたんですね、そうでないと書けませんものね。
相撲はこれからも見続けるが、もっと強い力士が出てきてほしい。
相撲の色んな事と言うのが外国人や日本の若い少年たちに教えると言う事を判ってもらう事が大変。
迎合すると返って滅びると思う。
土俵の大きさが変わったり、制限時間が短くなってきている。
仕切りの間に携帯をかけている人がいるが、これはいけないと思う。
呼び出しがオペラでいう序曲に相当する。

相撲を観戦していて、土俵から2人が落ちてきてあばら骨を折った事があった。
「内舘牧子さん下敷きに」と新聞に載った。 写真を新聞社から頂いた。