2012年10月18日木曜日

宮本輝(作家65歳)       ・創作の源泉を語る 2

宮本輝(作家65歳) 創作の源泉を語る
家庭の事情である時期押し入れに隠れて、いろんな小説を読んだ  
父が商売に失敗して、怖い借金とりが夜中に押し寄せてくるようになり、
父親に愛人ができて、家に帰らなくなったと言う事もあり、父が愛人と暮らすようになる
非常に苦しんで、母親が段々アルコールに溺れるようになり、遂にある日睡眠薬を飲んで、
自殺を図った
その時の感情を旨くは言い表せないし、良く覚えていない 
親戚の家で薬を飲んだ 電話がかかってきて、直ぐ来いと、  でも私は行かなかった
何でか、私が行ったら、母親が死んでしまうような、気がした  
病院に行って胃の洗浄をした 
 
助かったという電話が来たのはそれから4時間後位
その間も借金取りが来て、身の置き所が無く、押し入れに入って「あすなろ物語」を読みふけった  
よくそんなときに読んだなと思った(中学生の時)
なんか空洞みたいに記憶が抜け落ちている   母親に対する憎しみみたいなものが出てきた 
助かったと言うのは結果であって、死ぬことに薬を飲んだ事は事実
母親は俺を捨てたんだなと思った 助かったことは喜んだが、 薬を飲んだこと、それは死んだと
一緒だと、母親に捨てられたんだと
分析すると今では判るけど、中学2年生の時には判らなかった 

その時に「あすなろ物語」は物凄く胸に浸み込んで来た 極限のような状況で、しかも押し入れの中で
その時小説とは何と素晴らしいものだろうと思った  
それからは勉強しないで、人から借りては小説を読んでいた
近所に読書好きな人がいて、貸してくれた  手当たりしだいに読んだ 
中学から高校はずーっと読んでいた
大学に入ると、テニス部に入り、4年間テニスに夢中になった  
卒業後、広告代理店に入り、小説を読むことなど忘れていた
25歳の時に突然病気にかかり(パニック障害)、当時は病名が無くて、どうしてこうなるか判らない  
乗り物に一人で乗れない、動悸が激しくて、目眩がしてきて人ごみの中を歩けなくなる
地下街が歩けない、会議が駄目になる、エレベータが駄目になる
  
サラリーマンができなくなってしまった
或る時凄いにわか雨が降ってきた 地下街に飛び込み、本屋に入る 
満員だったが、一か所だけすいているところが有った 文芸誌、純文学雑誌の置いてある箇所
ふっと背表紙を見て永いこと小説読んでないなと思って、立ち読みをする  
読み始めたら、巻頭を飾っていた短編(有名な作家) 面白くなくて読めなかった
吃驚した 前に読んだ小説はもっと面白かった 自分の人生に何の役にも立たない 
何の力も与えない  あきれ返った その時に小説家になろうと思った
小説家は電車に乗らなくていいと、妻に反対されると思ったがやってみたらと言われた
パニック障害は30年ぐらい続いた  医者から完治してると言われた 
 
パニック障害になっていなかったら、作家には成っていなかった
風景から始まる 今まで見たもの、こんな風景を見てみたい  ふーっと出てくる事がある
風景は全く浮かんでこない、人物も浮かんでこない、 大事なふーっと一行が出てくる時がある 
 そうすると小説が書ける
20代から40代の初めごろまでは、風景が無いと書けなかった
「水のかたち」は風景があり、タイトルがあり、かつ出だしが有った 幸運に三つが有った
小説には絶対的に重要なテーマがコアとして必要なんです  それが年齢とともに変わってゆく  
50歳過ぎてから歳月の重み、歳月の凄さ、良き人々の連帯
ここ7,8年の大きなテーマになっています 
 
その前はもっと宇宙的なもの、宇宙の時間、宇宙と自分とかを必死で考えた時期がある
観念的に考えると観念的な小説になってしまう   
「星々の悲しみ」(短編) 青年の感受性を使って、宇宙と言うものと、人間の生死と言うものをクロスさせて
行きたいと 32歳の時の作品  若書きって言うらしいが、若くないと絶対に書けない  
無謀な作品であるが  でも若い読者が良いと言ってくれるので
やろうと言うのは勇気なんですよ  書かないと駄目だと 必ず書くぞと  
決意するのは勇気ですから  勇気は自然には出て来ない
自分の中から力ずくで出さないといけない  嫌なことをするときでも、やってやろうと、
勇気を引きだしている  助走が必要だか心の中で葛藤がある
長編と短編の違い  素材ですね  短編を長編には伸ばせない 
  
人間と人間が絡み合ったりすると短編には出来ない  素材を間違えると短編と長編を
取りちがえると失敗する  
30枚の短編であろうものを、300枚にすると、水増しして、薄まった、まずいコーヒーの様に成ってしまう
書くテーマが無くなったという話も聞きますが、正直無くなってきていますよ
65歳になって、宇宙と自分とか、生と死とかに入っていきたい様な想いがある   
自分自身が成長していかないと手が届かない
自分と言う人間の基底部を一度見つめる必要があるような気がする   
心配性な人はあまり楽しくない 何かにつけて心配する
  
自分の心の基底部みたいな
物が、心配性のものがあるので、もっと楽観主義で、意図的に、自己訓練は必要だが、
自分を変えてゆこうよ と  
どうしても自分はケチだと、 考えてみるとどうしてもケチだと  それを変えてゆこうよ と  
どうせ金なんて持っていけないのだから と
自分はいったいどういう人間なのか 自分と言う人間をなしている根本のところに、どういうものが
あるのか どういう性格なのか どういう性分なのか
それを今度こんな性分になりたいと言う風に変えてみたらどうか  
それが60歳過ぎた人だからこそ
できる  30代ではできない 

変える必要をまだ感じなかった  会社もリタイアし、経済状況を別にして、起承転結 の「結」の部分
に入ってきた  如何ともしがたい事実ですから
自分の基底部をなしているここを直したいなあと、思っていることを直したらいいのではないか  
難しいことではあるが
之からは自分の中での戦いになる 
 母が死ぬか、生きるかの時に 押し入れに入っていた時の
自分を思い出すんです 歳が行くたびに鮮明に成ってくる
その時に中学2年生の僕は、そんなはっきりした言葉で自分の感情と言うものを、自己解析した
わけではないんですが、やっぱりお母ちゃんの人生、
今死んだら負けやんか  というお母ちゃんそうしたら、自殺するために生きてきたんか 
俺をこんな目にあわせるために、お母ちゃん俺を産んだんか
こんなつらい目をするために親父と結婚したのか  お母ちゃん今死んだら負けやろと 
そうしたら何か母親が死なないと言う気がしてきた 

母親は悪人ではない 優しい、非常に情の深い、人に親切で 真っ当な女性だと  
それがこんなことで死ぬはずが無い
お母ちゃんは何で生れてきたんだと 絶対死なないと思った  今だから判る  
茫漠とした中で読んだ小説だから、行間のものが読めたのではないか
辛いことも有ったし、病気も辛かったし、結核病棟に放り込まれて、亡くなってゆく人を目の当たりに
したし、そんなことを全部僕の中で発酵させて、もっともっと良い小説が書けるだろう
そのための与えて貰ったものだろうと思っている

常になんか変わらなければいけない、俺は戦わなければいけない 、こんなものに負けないぞ  
もっといい事をするんだ  なんか人の為になる事をするぞ と
常にやって行く事が、やってるその姿が、行動が、一つの到達点だと思います
*起承転結(きしょうてんけつ)とは、物事の展開や物語の文章などにおける四段構成を表す概念。
元々は4行から成る漢詩の絶句の構成のこと
起 → 物語の導入部   承 → 「承」は「受ける」を表し、「起」で提起した事柄を受け、
さらに進めて理解を促し物語の核となる「転」へつなぐ役目を果たす部分
転 → 物語の核となる部分。「ヤマ」ともいわれる、物語の中で最も盛り上がりを見せる部分  
結 → 「オチ」とも呼ばれる部分 物語を締めくくる部分