松家仁之(作家) ・編集者が作家になると
松家さんは1958年生まれ、東京出身。 早稲田大学在学中に、初めて書いた小説が新人賞の佳作に入選、しかしその後作品が書けないまま雑誌編集のアルバイトを経て出版社に入社、28年間は編集者として仕事をしました。 51歳の時改めて小説に向き合いたいと会社を辞職し、読売文学賞を受賞したデビュー作『火山のふもとで』では建築家の吉村順三をモデルにその事務所に勤める青年が主人公となっていますが、この春刊行された『天使も踏むを畏れるところ』は、その前日譚に当たり空襲で焼け落ちた明治宮殿に替わる新宮殿の造営とそれに関わる人々のドラマを描いています。 これまで芸術選奨文部科学大臣賞を受賞するなど、繊細で美しい文章に定評のある松家さんに、ご自身の人生と作品について伺いました。
今回刊行された『天使も踏むを畏れるところ』は登場人物が結構多いんです。 新宮殿の造営に関わると言う意味では、全員共通していて、立場が違うと思いとかいろいろなことに対して結構丁寧に追って行けるのが長編なと思います。 デビュー作『火山のふもとで』と言う小説の前日譚という事になっていて、もともとは一つの小説として放送されていた。皇居新宮殿の設計を任されたが、 途中で宮内庁と意見が対立して、工事の中途で辞任する建築家がいて、その人の建築事務所に大学を卒業したばかりの男の子が入って行って、老大家と若い建築士との物語で、一つの小説として書こうと思ったんですが、到底無理だと思いました。 皇居新宮殿の話は宿題にして、『火山のふもとで』を書いたことになります。 直ぐかけなかった理由のもう一つは宮内庁、皇居の中で働いている人たちがどういう風に働いているとか、ほとんど判っていない。 宮内庁に関わる様々な本、日記、資料を読むようになったのは、判るようにしてから書きたいと思いました。
構想25年、乃作?から数えて15年と言う時間が必要でした。 令和になってから宮内庁の情報公開が大分進みました。 そういった中でのびのびと書かせていただきました。 皇居新宮殿が造営された時代は自分が小学生のころなので、皇居新宮殿が造営されたという事も知りませんでした。 私は学校が苦手でしたが、図書館での時間は、世界への入口みたいなものが空いていて、いろいろなところへも行けて、過去、未来へも行けて私の命の恩人です。 中学、高校と海外文学に関心が向きました。 その世界にどっぷり入っていけました。 小説を書き始めたのは19歳の時でした。 佳作に選ばれました。
アルバイトで編集の仕事をして、その関係で出版社に入社しました。 30年近く編集者生活がありました。 丸谷才一さんは本当に忘れられない作家でした。 小説とは何かという事を教えられた気がします。 橋本治さんも忘れ難い作家の一人です。 「文学と言うのは要するに鎮魂なんだよね。」とおっしゃって、自分の核心に落ちて来た。 僕が小説を書く時に、ここに描かれた人たちのやってきたこと、思ってきたことを上手く伝えて、それで彼等を鎮魂したいなという事でやっているのかなと思う様になりました。
自分の思う良い編集者は、つかず離れずちゃんと伴走して、一番大事なところについて率直に言える編集者が優れているのではないかと思います。 2002年、季刊総合誌『考える人』を創刊、編集長となります。 創刊号が養老孟司さんへのインタビューでした。 インタビューは偶然飛んでくる球を受け取るような受け身の姿勢も大事です。
書くという事に集中させてもらおうと思って、会社を辞めました。 会社員時代は一行も書いていないです。 建築についてはずっと関心を持ち続けていました。 『火山のふもとで』の次の『沈むフランシス』では実験的な意味合いのある作品でした。 『光の犬』では家族とか一族みたいなものを描いてみたいと思いました。 芸術選奨文部科学大臣賞 及び河合隼雄物語賞受賞。 新聞小説「箱」は初めての経験です。 出版の歴史をたどる小説です。 本というものが特別な時代であったことはいつの間にか終わって仕舞って、出版界の盛衰も描くし、出版界への愛情もあるので、両方を物語の中に入れていきたいと思います。 僕に中には設計図みたいなものはないです。 人生って思う様に行かないし、それが面白いところでもあるし、やれること、やりたいと思う事をやって行きたいと思います。