寺尾聰(俳優・ミュージシャン) ・やりたいことをやり続けるには
寺尾さんは1947年神奈川県生まれ。 父は劇団民芸の創立メンバー宇野重吉さんです。 1996年グループサウンズの「ザ・サベージ」のベースとしてでデビュー、1968年石原裕次郎制作主演の「黒部の太陽」で俳優デビューし、以後俳優として活躍します。 1981年自身が作曲した「ルビーの指輪」が大ヒット、」その年のレコード大賞、紅白歌合戦出場など音楽業界を席巻しました。 俳優としては代表作に映画「雨あがる」「阿弥陀堂だより」「半落ち」などがあります。 今月16年振りの主演映画「父と僕の終わらない歌」が公開予定です。
*「ルビーの指輪」 作詞:松本隆 作曲:寺尾聰 歌:寺尾聰 1981年
刑事ものの撮影の合間を縫ってレコーディングをしたり、歌番組に出なくてはいけない状況になって、仕方なく出たのが最初です。 いろいろ賞を頂きました。 中学生のころからギターをもってバンドをやったりしていました。(エレキブームの前) 「ザ・シャドーズ」を初めて映画で目にしました。 全身が鳥肌が立つ演奏を聞きました。 それが「ザ・サベージ」と言う曲でそのままバンドの名前にしました。(高校1年) 僕はベースを担当しました。 高校では野球(レフトで4番バッター)をやっていて、足も速かったので陸上もやりました。 事情があって高校を退学することになりました。 (高校1年を3回やることになりました。) 音楽でプロでやろうという人は一人もいませんでした。
高校は中退で、卒業証書はもらえないが修了証書を貰うために、終了試験を受けて、それで大学検定を受けられます。 文化学院を卒業しました。 父から石原裕次郎さんに預けられることになって、俳優をスタートします。 初出演が「黒部の太陽」です。 テレビのも多く出て刑事役が多かったです。 大病をして極細になってしまいました。 その姿で演技しているところを子供たちが観て、吃驚するぐらいのファンレターが来るようになりました。 舞台も芸術座で山本周五郎の「柳橋物語」、水上勉の「紅花物語」に出ました。 その後帝国劇場で1,2本やりました。 舞台よりも映像の方が向いていると思って父に話しました。 「好きなものが見つかってよかったな。」と言われました。
今月16年振りの主演映画「父と僕の終わらない歌」が公開予定です。 イギリスであった実話です。 松坂桃李さんの父親役です。 或る日アルツハイマーだという事がわかり、そこから物語が進んでいきます。 この病に対してどう向き合うかという事も、映画のなかで当然必要ですが、本当にどういう映画を作りたいのか自分で思ったときに、これは全く愛情の映画でいいんだとおもって、関わる息子、妻、友達などとの心のいきかう愛が最後に胸にキュンとしてくれればいいなあと思って、この映画をやったという感じです。 チャップリンの映画『モダン・タイムス』の中の「スマイル」と言うメロディーが大好きだったので、乗せさせてもらいました。
「フェードイン フェードアウト」のように遠くからスーッと近くに来て、自分の目に前をずーっと通り過ぎて、向こうの方に消えてゆくという、そういうものをちょっと音楽ではやっています。 映画でもそれでいいんじゃないかと思います。