十朱幸代(俳優) ・今、舞台への思い 後編
姿勢のことは子供のことから母親にやかましく言われました。 木登りが凄く得意な女の子でした。 奈良で育ちました。 兄と妹がいます。 父・十朱久雄は芝居が好きで東京に出てき1年後に家族も東京に行きました。 父の世界に憧れ、女優になりたいと思っていました。 (小学4年生) 1958年、NHK『バス通り裏』でデビュー。(15歳) 生放送なので毎日NHKに行って撮影をしていました。 (15分ドラマ) 翌年、映画『惜春鳥』(木下恵介監督)で映画デビュー。1980年「震える舌」(デビューから22年後)、1983年「魚影の群れ」、1985年「花
いちもんめ」、 1987年「夜汽車」。 テレビ、舞台が多くて映画は少し経ってからやらせて
頂きました。 映画が盛んな時代でした。 2003年、紫綬褒章受章。(61歳) 2013年度秋の旭日小綬章受章。 歌も歌いました。
*「セイタカアワダチ草」 作詞:吉岡 治 作曲:岸本 健介 歌:十朱幸代 1977年
2010年ぐらいの時に足首のくるぶしのところの手術をしました。 捻挫を繰り返していました。(20年ぐらい) 大腿骨の骨を取って足首の骨とを繋ぎました。 11時間の手術でした。 一月後に反対側の足も手術して、5か月間入院しました。 筋肉が減ってしまって歩けないぐらいでした。 舞台も立てるようになりました。 医学に感謝です。 今はプールで30~40分ぐらいは歩いています。
俳優業は面白いです。 次から次に問題があって、仕事する内容も全部違って面白いです。 自分ではない違う人生をいろいろ堪能できるところが凄く面白いです。 良い人の役ばっかりやっていると悪人がやりたくなります。 今はもういろいろやったので、自分に密着したものをやりたいです。 仕事しかない人生だったので、健康に留意して仕事ができる態勢が目標ですかね。