沢田亜矢子(女優・歌手) ・75歳からの挑戦
沢田亜矢子さんは1949年北海道の出身。 地元の高校を卒業後、単身上京して国立音楽大学入学、1973年シングルレコード 『アザミの花』で歌手デビューしました。 その後舞台、映画、テレビ、ドラマ、バラエティー番組の司会など多岐にわたって活躍しています。
芸能生活昨年で50周年を迎えました。 笑顔でいろいろな人に話し掛けて50年過ごしてきました。 大学の教育課程の時の高校生に教えるのが怖いと思ってしまいました。 自分で働こうと思って、都内のホテルのジャズクラブでピアノの弾き語りのバイトを始めました。(22,3歳) 20歳という事でデビューしましたがばれちゃいました。 ピアノは小学生の頃に習い始めました。 父は国鉄の職員で母は農業をやっていました。 兄弟3人の長女です。 3人とも大学を出させてくれました。 いろいろなことをやってきて、一番合っているのはもしかしたら芸能界かもしれないと思いました。
学校を中退することは事後報告でした。 生活は責任を持つから自立させてくださいと言いました。(24歳) 声楽でクラシックをやっていても流行歌の歌手としてはかなわないと思いました。 森光子さんのドラマに出る機会があり、「ちゃんと歌っているけれども歌は違うのよ、伝えるのは言葉よ、貴方の心よ。」とおっしゃいました。 「それは芝居の世界にも通じて、自分の心を自分の身体を通して、人に伝える事、表現する事が大事かという事を一から勉強しなさい。」と言われました。 「じゃがいも」と言うドラマでした。
演劇の個人授業を始めました。 森さんからやっといいと言って貰えたのは30年、40年経ってからです。 1979年、『ルックルックこんにちは』の司会を担当。 司会者は目立たないようにしゃべらない方がいいという事を言われました。 オーディヨンではほとんどしゃべりませんでした。 担当していろいろ失敗をしました。 5年半番組の司会をやっていました。(生放送)
その後女優の道を選ぶことになります。 自分が飛び込んでみて、感じることが私を作ってゆくんだろうなあと言う気がします。 しなくていい苦労もしたかもしれませんが、今考えると無駄な苦労はなかったと思います。 音楽への思いがどこかにあって50周年でCDを作ろうと思って、CDを発売することになって、話題にもなりました。 車にCDを積んで首都圏を回りました。 SNSにて自己PRをしました。 CDはあまり売れませんが、頭の活性化にもなるし、若者の人たちとのいろいろな交流がありました。 自分の生き甲斐を見つけた感じです。