2017年5月4日木曜日

陽信孝(宮司)          ・短歌に託した妻への介護日記

陽信孝(宮司)   ・短歌に託した妻への介護日記
山口県萩市、78歳 15年前妻八重子さんをアルツハイマーが原因の病で亡くしました。
その間4000日に及ぶ介護日記を短歌に託し、その介護記録は映画「八重子のハミング」となり、この5月から全国公開されています。
夫婦とも離島の中学校の教師として長く尽くされ、介護時期は萩市教育長として忙しい立場にありなりながら支えてくれたのは家族の存在でした。
陽さんの日記に残した短歌を紹介しながら夫婦の純愛、家族愛、介護の難しさについて伺います。

大病して26年になります。
最初胃がんが見つかり、食道の直ぐ下に3つ出来て居て取り除いて、30日の退院予定が癒着して60日間、そのうち40日は点滴で水も飲めずに生きて来ました。
半年して痛み出して、腸に転移していました。
日赤の外科部長も3回とも助かるとは思っていなかったと言っています。
妻は廊下を泣きながら歩き出して、ビニール袋に衣類を入れたり出したり同じ動作を繰り返して、夜になると泣くわけです。
何をボケて居るんだと言って、入院の準備、支払など私が中心でやってました。
父が34,5歳のときに痴ほう症にかかって妻と一緒に見て来ました。
多少知識があったので妻に辛い思いをさせなくてよかったと思うのですが。

「湖の氷は溶けてなお寒し三日月の蔭な身にうつろう」 中学の時この短歌に触れたときに感動してそれから短歌に興味を持ち作ったりしました。
入院して、短歌を書いて1000首ぐらい出来ました。
「病みすする?背に伝わるる妻の手のぬくもりあり手再び眠る」
「一睡もせざれし看護の夜は知らぬ我妻優しき笑顔そそげり」
ほとんど離れないで夜も床に膝をついて、ずーっと背中をさすり続けてくれましたので妻のぬくもりは自分の中に残っています。
「昼夜に我が背さすりし手をのべて疲れし妻の無償の寝顔」
痛みに苦しんでいた時で妻のこと、家族のことなど考える余裕はなかったが、自分が病気になると家族も苦しむんだなあと思うようになりました。

妻は2,3年目ごろから箸が持てなくなってきて機能を失う。
若年性アルツハイマーは瞬間的なショックで脳細胞が縮んで、縮み続けて極端にいえば赤ちゃんの脳になってゆく、学習が効かない。
日常の生活が出来なくなってゆく。
動作がおかしいと疑いを持っていたが、若年性アルツハイマーという思いは無かった。
若年性アルツハイマーだと言うことを言われたときに頭の中は真っ白になりました。
「同じこと繰り返し問う妻の日々繰り返し答う我が一日」
「幼子に戻りし君の日々なれどかまのう?つなぐ日々あれかしと」
妻は徐々に言葉を忘れて行く。
こっちの接し方によって相手は変わってくると言うことを、介護される人達に対して僕自身が全てにあてはめたい。

高齢化社会に向かっている中で、今の子供たちが大人になった時に当たり前のことが当たり前として子供たちに教えられていない。
とにかく勉強すればいい、親が叱ることを知らない、有難さも判らない、思いやりの心も育たない、そんな中で大人になった時にはたして介護が出来るかどうか、物凄く心配しています。
教育が介護にも繋がってていくんだと言う事の国の連携がなされていない、日本は福祉国家ではないと思う。
ボケたのを見ながら胸をえぐられるような悲しい思い、妻がウンチをたべるのを口で吸いだしたり、残尿処理が出来ない、娘のことが判らない、しかしプライドは残っている。
いろんな生々しい現実が判って介護って大変ですねと言われる社会が構築されていかないと本当の介護、看護ができないのではないかと思っている。

山口県下の非行少年非行少女、育成学校でもお手上げの子が情の島のあけぼの寮に入りますが、そこに新任で行きました。
妻は私より2つ上で、そこには100人ぐらいいました。
妻は音楽、私は国語が専門でしたが、他に社会、英語、技術、体育でした。
生徒指導の原点を学ばして貰いました。
市長から教育長をやってほしいと頼まれました。
その頃妻はハミングで歌っていました。
童謡唱歌がいかに人の心をつかむか、日本の生活文化と言う事ですね。
「朗らかに優しく妻を導ける娘の日々に我は救わる」
妻からは笑顔しか得られなかったので、孫がピエロを演じてくれましたが、その陰に娘夫婦たちの子供たちへの厳しい教育があったからこそと思いました。

「美しき老い」が自費出版のテーマでした。
妻が徘徊しているときに母がずっと見て居てくれました。
教育長を辞める時に母が「これで安心して死ねる」と言いました。
娘は本に出すことも映画になることの公演に連れて行くことに反対でした。
或る時にお母さんは瞬間的に判るんだと言って食いついてきました、他にもバトルがいろいろありましたが、映画を作っていただき、試写会の案内が着いたときに娘は行かないと言っていましたが、2日前に出席すると言うことになり、わだかまりがスーッと消えていきました。
今は感謝感謝の毎日です。
私が妻を一緒に連れて歩くことは娘は本当に厭だったが、娘がオープンにしていてよかったねとポロっと言ったんです、サンダルを近所の人が貸してくれたり、一緒に手をつないで家まで歌を歌いながら連れて来てくれてオープンでよかったねと言ってくれました。

「優しさを婆から学び育ちゆく孫らの日々は健やかけくあり」
孫の作文が県の優秀作品になる。
「バーバはアルツファイマー病です。どういう病気かと言うと段々赤ちゃんに戻ってゆく病気です。・・・・一日のほとんどは廊下で一人で遊んでいます。・・・バーバの薬は優しさとおじいちゃんに聞きました。・・・だれもバーバの事を叱りません。・・・昔の曲を流すとバーバが笑ってくれるので嬉しくなります。・・・私の家にはヒーババとバーバがいてくれるお陰で優しさがあります。 ヒーババとバーバがいてくれてとても嬉しいです。」
笑顔が一番の財産だと思います。
原点は家庭教育だと思いますね。

介護記録映画「八重子のハミング」
介護が大変と云う映画よりも、介護に伴って来る心を作っていくのは何なのか、と言うのがテーマでずーっと流れて居て嬉しかったです。
「思い出をたどりて訪ねし旅の空流るる雲よいまひとたび」
「くずれては湧き上りくる夏雲を迎えて妻よ生きねばならぬ」
二人とも雲が大好きだった。
「雲流る」と言う題にして自費出版しました。
先の見えない介護でした、介護する方が倒れては何にもならないので施設に預けることも大切だと思います。
いかに穏やかな死を迎えさせてやるかと言うことばっかり考えて居ました。
「去りてなお笑顔残せし妻なれど向きて語るも言の葉帰らず」
「生きることは逃げないことだ」と言うことを学ばさせてもらいました。
「怒りには限界があるが、優しさには限界がない」と言うことも学ばさせてもらいました。
人間の優しさは泉の様に出てくる。
しかし優しさを続けることの難しさはある。