2017年5月1日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)        ・絶望名言(ドストエフスキー)

頭木弘樹(文学紹介者)  ・絶望名言(ドストエフスキー)(H28/11/8 OA)
「全く人間と云う奴は、何と言う厄介な苦悩を背負い込んでいかなければならないもんなんだろう。
人生には悩み事や苦しみ事は山ほどあるけれど、その報いというものははなはだ少ない。
絶え間のない悲しみ、ただもう悲しみの連続。」(創作ノート)
病気、事故、災害あるいは失恋、挫折、孤独、人生において受け入れがたい現実に直面した時に人は絶望します。

悲しい気持ちの時には悲しい曲を聞きたくなる、慰められる。
絶望的な言葉の時の方が心にしみて救いになることが或る。
「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などが有名。
ドストエフスキー文章はくどくどしている。
読むのを断念したことがたびたびあったが、入院して読んだ時は読みやすかった。
苦悩している時は心地良いと言うほどぴったりしている。
ドストエフスキーの登場人物はみんな渾然一体となって苦悩している。
苦悩しているときに苦悩しているものを読むとそれだけでちょっと救いになる。

「もしもどこかの山のてっぺんの岩の上に、ただ二本の足をやっと乗せることしかできない狭い場所で生きなければならなくなったとしても、しかもその周囲は底知れぬ深淵、広漠とした太陽、永遠の暗闇、永遠の孤独と永遠の嵐だとしても、そしてこの方1mもいたらぬ空間に一生涯、1000年、10000年、永久にそのままとどまっていなければならないとしても、それでも今すぐ死ぬよりは、そうしてでも生きてる方がまだましだ。
生きて生きてただ生きて居られさえすれば、たとえどんな生き方でも、ただ生きて居られさえすればいい。
何という真実だ。 ああー全くなんと言う真実だろう。」(罪と罰小説の一節)
これを読んだときに本当に死にかけたことのある人でないと書けない文章だと思います。
ドストエフスキーは死刑宣告を受けて刑場までひきだされて、銃殺刑の直前に特赦で助かったと言う経験があり、これが非常に大きな経験だった。

病院でチューブだらけになっている人を見ると健康な人は死んだほうがましだと思ってしまうかもしれないが、いざ本当にそういう状況になったら、ドストエフスキーが言っているようになると思います。
苦悩している時はドストエフスキーは信頼できる人だと思う。
病気はその人の運命で仕方ないと思いやすいが、病気で死ぬんであってもこれは他殺なんです、なんとしても払いのけたいと思う。
絶望と笑いは意外と近いものもあるかもしれません。
登山の時の命綱は普段はブランとさがっているだけだが、いざという時には大変で命綱的なものが読書であり、こういう話をしておくことだと思います。

「サナトリュウム」 さだまさしの曲(絶望音楽)
入退院を繰り返していたときに聞きました。

「その生涯で苦しい運命を体験し、ことに或る種の瞬間にその悲哀を味わいつくしたものは、そうした時に全く思いがけなく親身も及ばない同情を示されるものがどんなに甘美なものであるかをよく心得て居るものです。」(書簡集)
つらい体験は少ない方がいいと思っているが、つらい経験をしたからこそ人からの親切が判ると言うことはあると思います。
辛い時、痛い時などに手をそっと握ってくれる、やさしく微笑んでくれたりすると、痛みが和らいだり、ほっとする時があります。
同情って素敵な真理だと思います。
「我々は自分が不幸な時には、他人の不幸をより強く感じるものなのだ。」とドストエフスキーは言っている。

「僕がどの程度に苦しんでいるものやら、他人には決して判るもんじゃありゃしない。
なぜならばそれはあくまで他人であって僕ではないからだ。
おまけに人間と云う奴は他人を苦悩者と認めることを余り喜ばないものだからね。」
(カラマーゾフの兄弟の言葉)
つらい体験をしたことのマイナス面。
自分より辛くないと言うふうに相手を思うと、そんなことで騒ぐなと言う冷たさも出てきてしまうことがある。
「大きな悲しみを見ることもあろうが、その悲しみがあればこそ幸福にもなれるだろう。これがお前に送る私の遺言だ。
悲しみの中に幸福を探し求めるのだ。」(カラマーゾフの兄弟の言葉)
まだこういう境地にはたどり着けない。

絶望体験を踏まえて何かを得られれば良かったと言うこともあるが、失う一方ということもあると思う。
ドストエフスキーは苦悩の連続な人だった。
15歳のときに母を亡くし、父は無慈悲な人で18歳のときに父が治めて居た領地の農民たちの恨みを買って惨殺されてしまう。
デビュー作「貧しき人々」は評価され絶賛されたが、その後の作品は酷評されて、前のことまで否定されてしまい、反政府活動に入って死刑にされかけて死刑は免れてシベリアに流刑になり監獄で4年間過ごして、持病のテンカンがひどくなりその病気に生涯悩まされる。
最初の結婚も不幸で、生涯借金に追われて、それなのにギャンブル依存症で、子供も二人亡くしてている。
シベリアに4年間いた時に犯罪者にはそれぞれ事情がありそれぞれ苦悩をしており、受刑者の苦悩にも接して詳しくなってこの人ほど苦悩に通じて居る人はちょっといないと思う。
生きる意味、生き甲斐などを言われるが、その前にまず生きて居ること自体に価値があり素晴らしいことだと思っている。