2017年5月15日月曜日

上治丈太郎(日本オリンピック委員会国際専門部会員)・アスリートとともに追った夢

上治丈太郎(日本オリンピック委員会国際専門部会員)・アスリートとともに追った夢
メインの活動は2020年東京オリンピックパラリンピック組織委員会の参与のたち場で色んな会議があり、そこに出席し、活動のお手伝いをしている事と、日本オリンピック委員会の国際部会員として、2020年を目指してのレベルアップの仕事がメインです。
スポーツの持つ力を以て人生が変わるとか、社会を変える力があるとか、世界をつなぐ力があるとか、未来を作る力があるとか、スポーツ省は2期目の基本法案で骨子としてまとめたもので、こういった形でお手伝いが出来ればと思います。
64年は高校3年生でした。
聖火はアテネで採火され沖縄にきて、4ルートで東京に集まる訳ですが、たまたま住んでいる近くを通り興味深く見させてもらって、国立競技場で最終ランナーがともされると言うのが余りに感動的で、将来こういった事に関われたらいいなあと思いました。

私は卓球をやっていて、ミズノによってみたら是非にと言うことで採用通知をいただいて、1965年にミズノに入りました。
最初はスポーツ施設を作る部門に配属されてそういった仕事をするようになりました。
建築の知識が必要で、早稲田大学の2部に建築本科がありそこに入って建築の勉強をしながら、織田幹雄さん、西田修平さん達が日本の陸上はどうしたら強くなるかの勉強会を開催されていて、そこに参加させてもらい話を聞かせてもらいました。
1988年のソウルオリンピックからミズノの統括リーダーとして担当しました。
ベン・ジョンソンのドーピング問題が発覚。
カール・ルイスとは1988年ローマ世界陸上から契約していました。
シューズのピンを配置するが、その位置によって力のロスが逃げなくてすむかを研究していたが、男子100mは注目されるので、日本製のスパイクが金メダルをと言う挑戦をかかげて、挑戦していました。
ジョイナー 10秒49という世界新記録を出して、ジョイナーに契約を要望した。
サンプルを渡したら良いと言うことで、ソウルオリンピックでは男女の100m、200mの金メダルを取れて感激しました。

中学生がカール・ルイスが履いているシューズをくださいということで、マーケットの動きが凄いものがありました。
1991年世界陸上でカール・ルイスが9秒86で金メダルを取ることになりました。
F1レーサーアイルトン・セナに対して2足シューズを送ったら大変気に入って、逢うことが出来て翌年から使いたいと言うことで、履いてもらうことになり、原価で10万円するものでしたが、亡くなるまでミズノを履いてもらいました。
アルペンのクロアチアのヤニツァ・コステリッチという女子の選手で長野の時は8位だったが、経済的に苦労していたようで、ウエアを提供してほしいと言われて提供しました。
2002年ソルトレイクシティーの冬のオリンピックでアルペン4種目のうち3つを金メダル、1つは銀メダルを取りました。
板とかスキーウエアーは日本のメーカーはまだまだ知らないのではないかと、海外のスキーメーカーから思われていました。
オリンピックが終わって、彼女は大統領からのお迎えもあり英雄になりましたが、サポートして良かったと思います。

非常に難しい要望が出てきて、技術者が泣かされるような要望、いくら投資したらいいんだろうというようなこともあります。
一緒に金メダルをとるんだという形で挑戦をよくやりました。
卓球の女子チームは卓球の動作解析、バレーのアタックの動作、ウエアの腕のアームの切り返し、力の伝わり方など動作分析を全部行い、そこで裁断を決めて、パフォーマンスが最も出易いものを作る。
各競技種目ごとに挑戦をします。
結果が出せたメーカーが次の市場における優位性を保てるので命がけでやっています。
レーザー・レーサー 国際連盟が公認したが、スピード社だけの水着の話題がフォーカスされるので、北島選手が「泳ぐのは私達です」というコメントを出した。
しかしレーザー・レーサーの開発競争には海外のスポーツメーカーにはしてやられたと実感としてあります。

室伏広治さんの父親とは知っていて、広治さんはやんちゃな子でしたが、成田高校の瀧田先生に預けられて、大学はお父さんのもとで頑張って、一昨年20連覇を区切りに現役を退きましたがその間いろいろな事がありました。
アメリカに修行に行ったときに、目からうろこと言ってきてこちらでやりたいとの熱望がありベースをアメリカにおいてやるようになりました。
彼が凄いと思うのはバーベルではなく漬物石をもって見て、使わない筋肉に気がついたり、赤ちゃんを手に載せて筋肉のバランスを考えたりそういう研究をし、投網の遠くへの飛ばし方などありとあらゆる普段の動きを研究していました。

オリンピックには205,6カ国が参加するが、そこで選ばれる商品は認知度が高くなる。
IOCにオフィシャルウエアーがないことで、アトランタのオリンピックの時にIOCのメンバーの服装を作ろうと言うことで、その時からIOCのサプライアーをするわけです。
そこから人間関係がずいぶん出来ました。
招致活動での人間関係と云うものの情報提供してもらいたいと言うところから招致委員会のメンバーにして貰って、活動をしてきました。
オリンピックの成功には、国際人として国際連盟の中に入り情報交換をしあって各会場で大会運営に貢献できると言うところからそういう人材を養成しようと言うことから、8か月の間に、必要なプログラムのもとに人材育成についてお手伝いさせてもらっています。

IOCは商業化をして、肥大化してきたが600万人の都市でもオリンピックを開催できるような形にしたい、14~18歳がスポーツ離れをしてユースオリンピックが作られましたが、バッハ会長は40項目の課題を出して、今改革に取り込まなくてはいけないと言うことで、ドーピング、八百長だとか不正を根絶することが大切で、健全なものにしたいと言うことで加速を掛けて分科会を設けて取り組んでいます。
選手だけでなく東京オリンピックに来られた外国人が、日本人の文化、健全性だとか日本人の良さ、色んな形で日本を見てもらって日本人の良さ素晴らしさを見てもらう、おもてなしをする、2020年を通じてさらにすばらしい国民として生まれ変われるような形になってもらえればいいと思います。