2017年5月8日月曜日

本郷和人(東京大学史料編纂所教授) ・樋口一葉【近代日本150年 明治の群像】

本郷和人(東京大学史料編纂所教授) ・樋口一葉【近代日本150年 明治の群像】
神田蘭(講談師)
貧乏、薄幸、近眼、頭痛持ち、若くして肺病で亡くなる幸薄い女流作家のイメージ。
神田:樋口一葉は天才、野心家(自分思っている才能を世に出したい)、初めての女性職業作家で夢がかなった幸せな人生だったのではないかと思う。

講談内容(神田蘭)
夏子と言って明治5年下級役人の娘として生まれる。
幼い頃から本を読むことが大好きだった。
7歳で南総里見八犬伝を3日で読破、小学校高等科を首席で卒業、進学を望んだが母親から諌められ、進学を断念、しかし父親は彼女の才能を買っていた。
中島歌子の主宰の和歌の塾に通わせた。
周りは華族、皇族の娘達で生活様式等一切違っていた。
新春歌会があり、最高得点を獲得する。
「打ちなびく柳をみればのどかなる朧月夜も風はありけり」(15歳の時の作品)
しかし出る杭は打たれる、先輩方から叩かれる。
田辺竜子が「藪の鶯」と云う小説を発表し華々しくデビューし、現代の額で40万円を貰ったと言う事を聞いて、小説を書くことを考える。
父が多額の借金を残して亡くなってしまって、お金の苦労、生活の苦労をすることになる。

両親は山梨出身で駆け落ちしてくる。
父親は塩山市の豪農だった。
一葉の祖父は番所調所の先生だった、父親も学問が大好きだった。
お金を出して武士の株を買って武士の列に連なることになる。

たけくらべ
「回れば大門の見返り柳いと長けれど、おはぐろどぶにともしび移る三階の騒ぎも手に取るごとく、明けくれなしの車のゆききにはかりしられぬ前世を占いて、大音寺前と名は仏くさけれど、さりとはようきの街とすみたる人のもうしき。
三嶋様の角を曲がりてよりこれぞと見ゆる大厦(いえ)もなく、かたづくのきばの十軒長や、二十軒長や、・・・このあたりに大長者のうわさも聞かざりき。 ・・・・・・。」
講談は75調ですが、同じように流れるような文体で美しい。

中島歌子の主宰の萩野屋 女性ばっかりの歌の勉強会。
周りはみんな晴れ着姿であったが、晴着は着れなかった。
14歳で入門するが、良家の娘達の集まりなので才能がある一葉に対して、嫉妬などがあったのではないかと思う、つらかったと思う。
中島歌子は水戸藩の出身で、元々は農家の生まれで、女学校を経営することになる。
一葉を支えてくれたのは彼女だったのかもしれない。
17歳で父が亡くなり樋口家を支えていかなければならなくなる。
一葉(19歳)は半井桃水(なからいとうすい 30歳)という朝日新聞の専属作家と出会うことになる。
半井桃水から小説の書き方を学ぶ事になる。
一葉の処女作「闇桜」は桃水の校閲を経て『武蔵野』に発表された。
小説はなかなか売れなかった。

小説を学ぶため半井桃水に通ううちに男女の仲なのではないかとのうわさが出てくる。
神田:一葉は半井桃水に対しては物足りなさがあったのではないかと思いました。
一葉日記に半井桃水とは別れなさいと中島歌子先生に言われて、翌日どうしたら小説を世に出せるか相談している。
神田:小説家としての野心家樋口一葉像が伺える。
下谷龍泉寺の駄菓子屋で生活費を稼いでいたが、明治27年に本郷丸山福山町に転居する。
酌婦が上で身体を売る居酒屋が立ち並んでいるところだった。
ここが「にごりえ」の舞台になる。
明治27年12月に「大つごもり」を発表する。
明治28年 「たけくらべ」にごりえ」「十三夜」などを発表する。