2017年5月11日木曜日

佐藤一男(「日立理科クラブ」代表理事・ぼくら“理科室のおじさん”

佐藤一男(NPO法人「日立理科クラブ」代表理事 ・ぼくら“理科室のおじさん”
日立市には25の小学校がありますが、すべての小学校で行われる理科の授業に「理科室のおじさん」が派遣されてます。
おじさんたちはボランティアで、授業に使う理科室を整理整頓して実験教材の準備をするほか先生の授業の補助をしています。
おじさんたちを派遣しているのはNPO法人日立理科クラブです。
代表理事の佐藤さんは79歳、大手電機メーカーに勤めていた佐藤さんは会社を退職する際、理科嫌いの子供を何とかしてほしいと頼まれ、日立理科クラブをスタートしました。
メンバーは増え続け現在ではおよそ100人です。
おじさんたちはどのような活動をして、そこから何を得て居るのか伺います。

週2日間学校に常駐して理科室の改革その他子供たちとの科学の相談に乗っています。
おじさんは25名です、会社の現場でもの作りをやったり検査をやったりした人達が個性を生かして理科室の改善に努力しています。
平均年齢は8年たったので70歳に近くなっています。
「日立理科クラブ」には100名いて、その中から25名はおじさんになって他の人は理科授業の支援、教材の作成で頑張っています。
創設に到るまで2年間の準備が必要でしたし、お金を集めることも必要でした。
会社と学校現場と我々の企業OBの3つがそろって、日立理科クラブを旗揚げすることができました。

青森県七の戸町の片田舎に生まれて、小学校、中学校、高校とそこで過ごしました。
中学校に入るなり、電気班に入るように言われて、それが電気との関係が出来たきっかけでした。
真空管ラジオを作ろうと先生から言われて、配線図をみながら勉強してゆく過程で、電気店を通して秋葉原から組み立てキットを手に入れて、挑戦しました。
当時はラジオなどは一般家庭には無かった時代です。
2~3カ月掛かって配線が終了して、8人中3人が配線が間違っていませんでした。
驚きました。
チューナーを静かに回すと、間もなく「こちらは青森放送です」という言葉が入ってきて飛び上がりました。
音楽、スポーツ放送が聞こえてきてその時の喜びは一生忘れません。

中学で電気の世界に行きたいと思って、大学を受けたいと思って岩手大学を受けて、受かってしまいました。
奨学金を貰わないと大学生活が出来ないので、奨学金を希望したが受験時の成績が悪いので対象外だと言われてしまった。
教養学部の前期で優秀な成績だったら、可能性があると言われて、勉強して1年後期で奨学金を貰えました。
強電関係のほうにすすみまして、モーター、発電機などの勉強をしました。
3年の時にこの会社に行くようにと言われて、1か月間の夏季実習をして、その後内定の通知が来ました。
長男だったので故郷に帰らなくてはいけないと思っていたが、先生から説得されてその会社に行くことになり、大手電機メーカーに進みました。

面接で大きな電動機器を作りたいと発言したら、発祥工場の製造部門に入ることになりました。
水力発電機、火力発電機、原子力発電機、大型モーターの製造部門に入りました。
当時国内、海外から沢山の受注が入っていました。
その後本社の役員になりましたが、想像もしませんでした。
生産技術本部、品質信頼性本部等兼務してグループ全体を統括しました。
本社にいても月に2から3か所は現場の工場に行きました。
最後は専務取締役になりました。(従業員が30万人)
本社にでんと座っているだけではいい仕事ができません。
製品事故を起こしてお客さんにお詫びして、復旧工事に携わったことは何回もあります。
沢山の始末書も書きましたが、上司が栄転するときに「これを返すぞ」と始末書を返してくれました。
「お前も成長したな」と言われた時は叩かれた思いが一発で吹き飛んで感動しました。
始末書は人を育てる、私はそう思います。

2005年に会社を退職するときに、相談役に挨拶に行ったら、あなたはもの作りに従事してきたが、子供達が理科嫌いだと言っているが、理科嫌いと言うのと取り組んでみてくれないかと言われました。
日立市長、教育長に会いに行きました。
日立の子供たちも理科が嫌いかを質問したら、「嫌いではないが楽しくないと言っています」と言われました。
企業OB達を集めて子供達の理科の授業を支援しようと思い立って、日立理科クラブの創立に着手しました。
最初5~6人に声を掛けたが出来ないと言われてしまいました。
子どもと接すると物凄く感動があるよと言うことで、説得して段々参加してくれました。

理科室のおじさんは、理科室の解放、理科室の教育機材のメンテナンスから始めました。
子供たちは今まで見たことのないような教材を、理科室に飾ることが出来て段々来るようになりました。
次には理科の先生の授業の助手を務めることになり、教育現場からも愛されるようになりましたが、この二つが基盤になりました。
好奇心の湧かないような理科の授業は成功しないです。
理科が好きかどうかのアンケート調査で全国平均が69.1%、日立では79.8%と10%上でした。
評価していただいて私達も喜んだ次第です。
自分たちの手作りの教材を作って子供達も作らせて、作ったものを実験すると言う流れを自分でやっているので身に付くような実験が出来る。
そのあとに先生が教科書で原理原則をおしえると言う形になり、自然に子供達も理科が楽しいと言うふうになったと思います。

モーター、固定子と回転子があるが回転子はコイルが沢山巻かれているが、ワンターンモーターといって銅線一本で輪にして、輪に電流が流れるような仕組みにして、下に電磁石を持っていけば回転子のワンターンモーターが廻るんです。
単純なモーターを子供たちに作らせて、フレミングの法則で電流の流れと、電磁石の流れとその直角の方向に力が働くので単純に判り、法則が理解しやすくなる。
最初先生方からの抵抗がありました。
時間が足りなくて、次の日の理科の実験の準備などはできなくて、夏休みに先生のための理科教室をやって、積極的な先生を支援すると言うことで、最近は理解してもらえるようになりました。
自分の教育現場が荒らされると言うことは当然だったと思います。(5年の歳月が必要だった)
助けようと言うことを合言葉にみんな頑張りました。

他県からの見学者、文部科学省、理科大学、機械学会、電気学会などの皆さんもこられました。
東京大学の先生からは授業のやり方についての手法を教えてもらいながら、我々の教育現場で一緒に見てもらいました。
中学生の時に電気を教わった、教わり方がラジオを組み立てると言うテーマで教育してくれたことに感動しましたが、そういう体験を日立の子供たちにさせてあげたいと言うのがわたしの信念でした。
今は中学生に対して理科と数学のアカデミーを開いていて、やる気のある生徒を採用して、生徒の自主テーマでそのテーマに基づいて1年間研究、勉強しようと言うやり方に取り組んでいて、優秀なテーマについては全国大会などに派遣して頑張ってもらう。
いろんな場所で良い成績を収めて喜んでいます。
おじさんたちは子供たちと一緒に科学の不思議を発見し感動した、と言うことが最大の喜びではないでしょうか。
課題は次の時代の企業OBを育てることが最大の仕事だと思っています。