2017年5月20日土曜日

祖田修(京都大学名誉教授)     ・野生動物による被害と向き合う

祖田修(京都大学名誉教授)   ・野生動物による被害と向き合う
77歳、京都大学で農学を教え福井県立学長を最後に退職、京都府の南山城に古民家を見つけ、週末に通って農業を始めました。
7年前70歳の時でした。
研究者として各地の農村を調査し、鳥、獣などによる被害を目の当たりにした祖田さんが今自ら鳥獣害に悩まされています。
野生動物による被害の実態と日本の農業が直面する問題について伺いました。

この家は新聞広告に紹介されていて、ピッと来てここを選びました。
土地の広さはテニスコート3面分ぐらいあります。
4家族14人分の野菜を自給できないかと思って、作っています。
長持ちするものを基本に20数種類作っています。
農家に生まれて2町歩を超える農地があったので、農作業は経験をしています。
農業をやるようになって或る日、鹿が出てきて色んなものを食い散らしていて、畑がずたずたになっていました。
おもに猪と鹿が出てきます。
鹿は柔らかい部分が好きで一口ずつ食べるので野菜が全滅してしまいます。
村の対策としては山側に防止柵をしてあったが、道路側から入ったり、そちら側も柵を講じて居たが、柵を越えたりしてもしています。
池に鯉を飼ったりしていますが、鷺がきて、上手い対策が出来ずに鷺に負けました。
茶畑があるが鹿、猪は興味がないので動物の被害にはなっていません。

農林経済学のなかの農学原論(農学の哲学)地域経済論をやっていました。
国内だけでなくアメリカ、オーストラリア、アフリカなどにも行って農業を調べました。
農業改良普及員の方が自ら中山間地の農業の在り方を見えるようにしたいと稲作、栗園、シイタケ、林業、牛の飼育などを始めたが、1960年代の末ごろから熊、猿、猪が出ると言うことで経営が崩壊に近い状態に成り、鉄砲を撃ったりしていた。
補殺に対して最初に補助金を出したところですが、全国的に鳥獣害が問題になって来ました。
北海道は鹿の対策をしていて、或るところでは400kmの柵をめぐらして、人間が檻の中で暮らすと言うことでここまで事態が深刻だとは思わなかった。
岐阜県の和良町では「いのしか無えん策」(猪、鹿、猿)として、街作りを始めて特産物をうみだしたりしています。
針金のメッシュ、電気を流したり、ひらひらするものを付けたり、いろいろ工夫をしています。(鹿、猿、猪などを一気に追い出したと言う実績がある)

三重県の或る地域の場合、村全体で団結して猿を見ると追い返して、それを徹底的に繰り返して、領土意識をしみこませて来ないようにした。
香川県讃岐市、徳島県神山町などでは山と田畑の間に干渉帯を設けて木を切って空間を作ってそこに牛、羊、山羊、犬などを放して防止するなど全国それぞれの地域の考え方で対策しているが、全国では被害は200億円に達している。
被害のために意欲を無くして農業をやめてしまうと言うことがありこれも問題になっています。
昔は動物は山奥に、人間は里山を含む農業空間にお互いに棲み分けをしていたのではないか、そして頭数も少なかったのではないか。
最近は山を利用しなくなったために住みかを広げて、家の近くまで来るようになって、そこにはおいしいものが山ほどあり一遍この味をしめてしまうと、鳥獣害があっという間に広がっていったと思います。

神戸市では猪に襲われ怪我をする。(人身被害)
六甲山系があり、また瀬戸内国立公園では鳥獣保護区に成っており、動物を撃ってはいけない。
神戸市は条例を作って、被害を最小限にするために、犬にほえないように指導するとか、ゴミ置き場は網をかぶせるとか、餌を与えないとか、被害を最小限にするための条例にしました。
捕獲も対象に入って年間700~800頭と言うことで大変な数に成ります。
全国での推計値 日本鹿=約300万頭 猪=約100万頭 
生態系が崩れる可能性、人身被害、農作物被害があるので、現在の猪、鹿については半数に持っていこうと考え方が変わってきた。(農水省、環境省)
捕獲の鹿、猪の肉、皮などを利用できないかという事で、地域振興を含め色々考えられている。

新しい動物観、自然観が必要なのではないか。
食べるということは人間が持っている宿命の様なもので、畏敬、祈り、感謝これらのものがなえ混ざった「いただきます」「ごちそうさま」という気持ちが必要なのではないか。
これが原点となった新たな動物観が形成されてゆくことを望んでいます。
消費者の方には食料の安全、保障、農業の人為的でないどうしようもない農業の条件を考えていただいて、50%とか守るべき農業の下限というものがあるのではないかと考えて居て国民の理解がもっと広がってほしいと思います。
人間と動物を含む地球温暖化の問題とか、人間と自然と言うことについて私たちは考えて行くべきだと思っています。
動物と人間の適切な折り合いを見つけ出すということが必要だと思います。