2016年12月31日土曜日

桃月庵白酒(落語家)   ・新たな挑戦、落語に深みを!

桃月庵白酒(落語家)   ・新たな挑戦、落語に深みを!
ちょっと毒のあるユーモアあふれるまくらと、江戸と現代を結ぶセンスある古典落語として知られていて、独演会等の切符は手に入りにくい人気の落語家です。
鹿児島県出身、48歳、平成4年早稲田大学を中退して五街道雲助師匠に入門、前座、五街道はたごになり入門の年に高座に上がりました。
平成7年に二つ目 喜助に改名、平成17年真打ちに昇進し、三代目桃月庵白酒を襲名しました。
2011年には花形演芸大賞と、彩の国落語大賞を受賞しています。
来年で入門25年になる桃月庵白酒さんに伺いました。

桃月庵白酒、先代から100年以上たってから襲名しました。
探した候補の中に桃月庵白酒という名前が有りました。(師匠も五街道という名前)
つい、「しろざけ」さんといわれてしまいます。
落語は表情を見て頂く芸なんで顔が小さいのは、ちょっと不利ではあるのですが、肥っているのでフォルムで得はしていると思います。
入門すると明るく大きな声を出せとしかいわれないんです。
前座の時はうるさかったと思います。
或る程度のところに行ってもマイクなしで出来ますので楽ですね。
落語研究会にいましたが、師匠から落研くせえなあと言う風に言われてしまいます、先ずそれを抜けなければなあと言われ、明るく大きな声を出せとしかいわれませんでした。
それから後、細かく言ってくれるようになりました。(2年ぐらいたってから)

落語ブームは半分当たっていると思いますが、半分は外れていると思ってまして、観客動員はブームといわれるほど入っていない。
若い女性は前から入っていましたが、最近は若い男性が増えました。
ベストは地声で聞いていただきたいと思っているので、ぎりぎり300名ですね。
無精の小話。
「どうだい、これだけ無精な連中が集まったんだから、これから無精の会をやらないかい」
「いいよ、めんどくせい」
ネタは200は越していると思います。(1度だけの高座の話を含めて)
持ちネタと言えば100~120位です。
入門前は廓話が好きだったが、噺家になってからはどうでもいい内容の話が好きですね。(何のテーマもない)
「芝浜」はやらないと言ってたんですが、去年やったりしています。
ネタ選びが一番重要だと思います。(その日のお客さんに合ったもの)
拍手でなんとなくどの程度寄せに通っているかが、判ります。
いくつか用意しておいて客の様子などを見て絞ってゆきます。

鹿児島県南大隅町の出身です。
子供時代は野球が好きだったので、野球をして遊んだりしていました。
部活動は一生懸命やっていました。
鹿児島県立鶴丸高校に進むが、落語は興味はなかった。
野球と音楽が当時は好きでした。
学校が決めた行ってはいけない映画に行って、特に「アニマルハウス」がコメディーで、大学が舞台で、それを見て大学に行きたいと思いました。
早稲田大学に入学、東京にあこがれていたので、楽しくてしょうがなくて最高でした。
学校にいっていなかったです。
サークルには5つ入っていましたが、その頃景気が良かったので貧乏人は相手にされず、落語研究会だけが残りました。
サークルではいい客になれ、いい観賞者側になれと言われました。
短い話をして受けると、人前で反応が有るといいなあという感覚が出てきましたが、職業にしようという考えはなかったです。

大学3年から就職活動が始まるが、スーツも持っていなくて、就職はしなければいけないとは思っていたが、単位が足りなくて卒業出来ないこともわかって、どうしようと改めて考えました。
サークルでは私を含めて3人が決まっていなくて、一人は決まって、残りの一人が噺家になろうかなと言い出して(柳家甚語楼)、そのまま月日が経ってしまいました。
弟子になるなら、ずーっと頭を下げてもいい様な人、その師匠がうちの師匠でした。
迷いもあり、入門しようかどうしようか、何日か家の周りをぐるぐる廻ったりしました。
一週間後最初、ドアホン越しに断られて、それが却って火が付きました。
その後会える事が出来て指定された日から1週間が経って、その後入門が許されました。

平成4年に入門、前座がいなくて直ぐ前座になり、入門して2週間後に楽屋入りしました。
「五街道はたご」が3年、二つ目になり「五街道喜助」、10年経って真打ちになりました(37、8歳)
親はいつか諦めて帰ってくるのではないかと思っていた様で、真打ちになって諦めた様です。
今 弟子が二人います。(桃月庵はまぐり、桃月庵ひしもち)
弟子を育てると言う事ではなく、一緒に育ってゆく、勉強になりました。
良く師匠は私を首にしなかったのかなと思います、前座の時には何もできなかったし。
師匠は恩人の何物でもないです。