2016年12月20日火曜日

田尻由貴子(慈恵病院元看護部長)・ゆりかごからつなぐ命

田尻由貴子(熊本市慈恵病院元看護部長)・ゆりかごからつなぐ命
66歳、慈恵病院では様々な事情から親が自分で育てられない子供を救う「こうのとりのゆりかご」という取り組みを9年前から行っています。
田尻さんは中心的に関わり去年病院を定年退職しました。
今年9月には支援の状況や現場で感じてきた命への想いを伝えたいと、本を出版し、新たな活動をしています。

「はい、赤ちゃん相談室田尻です」と言う本を出版。
命が一番だよね、と言う事を本を通して若い人はもちろん多くの人にメッセージしたいという事です。
「こうのとりのゆりかご」は9年前から始めましたが、その前にドイツにも行きました。
慈恵病院はカトリックの修道会が作った病院で胎児から命にという考えを持っていて、生命尊重センターがあり、そこの手伝いをしていて、ドイツに行く事になりました。
ドイツでは赤ちゃんがごみ箱に捨てられたり、檻の中に捨てられたりという事が多かったときでベビークラッペ(赤ちゃんポスト)が出来ました。
2004年に70か所、今は100か所あるという事です。
妊娠葛藤相談所が色んなところにあり、どうしても相談できない人がいる、その人のためにベビークラッペ(赤ちゃんポスト)ができて、命を救う活動が盛んに行われていました。
2005年~2006年にかけて熊本県で3件遺棄事件が有り、そのニュースを聞いて先生が直ぐ作ろうと開設に踏みきられました。

構想がもれたのか、新聞とかで2006年11月に報道されて、物凄いバッシングとか、電話が鳴り響き、取材の方が沢山来て、捨て子助長とか、赤ちゃんの育時放棄だとか沢山受けました。
日本とドイツとの考え方の違いを痛感しました。
「こうのとりのゆりかご」は匿名で赤ちゃんの命を預けるという事で、手紙が入っていて、赤ちゃんを預かり、引き取りたいときにはいつでも連絡して下さいと手紙を渡します。
赤ちゃんの健康状態をチェックして、熊本市に通告して、児童相談所の職員が駆けつけて赤ちゃんの処遇を考えます。
慈恵病院は命を預かり、ずーっと育てるわけではなく、児童相談所が乳児院を探して育ってゆく、
中にはお母さんが引き取りたいときには引き取ってもらって、里親とか特別養子縁組で育てる子供もいます。
妊娠中から相談にかかわることもあります。(赤ちゃん縁組もあります)
私が関わって235人の赤ちゃんの命が新しい家庭で育っています。
おおきくなってから会いに来てくれることもあり、その時にはあーっ良かったなあと思います。
特別養子縁組についてはそういった団体が有り、色々対応してもらっています。

相談に来る人は、最初は辛かっただろうとハグしてやって、泣くだけ泣いて、ポツリポツリ話をしてくれて、理由が未婚だったり、経済的に困窮したり、パートナーが逃げてしまったり、戸籍に入れられない子供を産んでしまったり様々です。
「ゆりかご」はシンボルであってほしいと思います。
その前にいろいろ相談に乗れると思うので、一本の電話をして利用してほしいと思います。
電話相談も同じ時期に立ちあげましたが、20代が一番多くて45%、15歳未満が1%ですが、67人ぐらい、高校生が9%、専門学校が11%、20歳代未満が60%を越えてしまっています。(未婚)
親に知られたくないというお嬢さん達が殆どです。
電話してくれた人を否定しない、というスタンスでやっています、共感して親身になる。
匿名で話しはじめますが、色んな話を聞くうちに、実はという事で深い話をしてきます。
話をするうちに、勇気を持って母親に打ち明ける人もいますが、自分からは言えないので私から電話してほしいとか様々です。
自分で育てるという人もいますが、中学生は厳しいです。

無事に出産して退院してゆく前日に大事にしていることは、聖堂で彼女と共に祈ることです。
赤ちゃんが幸せになる事と、新しい夢に向かって歩いて行こうと言って一緒に祈ります。
私からはもう会うことはないと云いますが、手紙をくれたり、電話をくれたりして、看護士になると言ってくれることなどもあります。
保健師としても地域に関わってきました。
人の一生に関わってきました、赤ちゃんが生まれて家庭訪問したり、検診、癌検診などにかかわったり、高齢者の訪問看護のモデル授業なども受けて、幅広く活動してきました。
「ゆりかご」に関わって生かされています。
私は主人と友達、近所の人に支えられて、子供達を育てることが出来ました。
町長さんのおかげで私のきっかけで延長保育が始まりました。
私は家は貧しかったが、5人兄弟の末っ子で祖父母、父母に支えられて育ちました。
中学を卒業後、准看護士になるために、慈恵病院の全寮制の学校に行きました。
学費も無料でした。

卒業する時に院長先生が「君たちは国費で卒業するんだからいずれ社会に貢献することをわすれずに」という言葉を戴いて、定年後もと言う気持ちになりました。
菊水町の保健師として24年間、要請が有り50歳で慈恵病院に戻りました。
「こうのとりのゆりかご」 2年目以降は減って来て10人前後、多くなっているのが電話相談です。
2014、2015年から電話相談が増えています。
今は5000件を越えていると思います。
「ハート トゥ ハート」の電話相談を開設しました。
退職後も、命に対する思いが有り、もっと続けたいと思って、相談をする様にしました。
24時間 フリーダイヤルという事でやっています。
育て方とか、目の前の赤ちゃんを虐待しそうだとかの相談もあります。(地元の保健師さんに相談するように言いました)
今の若い人たちは自分から話をすることができない人達がいるので、周りの大人たちが声掛けをしてやると話せるのかなあという気がします。
ママが生き生きして赤ちゃんが愛おしいという気持ちになって、赤ちゃん達もそういうふうに育ってゆくんです。
赤ちゃんは未来の宝物だし、あの笑顔を見ると癒されます。